見付地区は、磐田市役所の北東約2kmのところ
県道56号旧東海道を北へ、加茂川信号を過ぎると県道44号線になります次の信号を右(東)へ、やはり旧東海道です
中川橋を過ぎて、見付宿場通りを東へ進み次の信号を左(北)へ入ると右に見付天神への参道が出ています
見付天神は丘の上です道なりに進むと、白鳥居を過ぎた境内に駐車場が有りますので利用させて頂きました
参道入口です
見付天神は通称でしょうか、矢祭比賣神社
1、祭神 矢祭比賣命
菅原道真公
1、由緒 創立年月日不詳なるも、延喜式内社 続日本後記、承和7年6月戌辰(840年)奉受。
三代実録 貞観2年正月戌寅(860年)記授 神階を授けらる。
菅原大神は一条天皇正暦4年(993年)勧請奉杞す。
1、大祭 旧暦8月10日・11日
(現在は旧暦8月10日前土日曜日に執行、奇祭・裸祭り神輿渡御nお神事を行う。)
白鳥居です
右脇に大きな切株があります、2011年9月の台風15号で倒壊し伐られてしまったそうです、目通り幹囲10mを超える巨木だったそうです
見付の名木 楠 クスノキの標石です
忠犬悉平太郎(しっぺいたろう)像です、人身御供を要求する怪物を退治したそうです
赤鳥居です
裸祭りの説明版です
境内社の住吉神社です
駐車場の前参道右側に、境内社の山神社です
境内案内図です
ご縁木です
和歌ですね
.
参道を進みます
手水舎です
御神木の杉です
拝殿前から、目通り幹囲4m程の大木です
北側から
御神木認定証です
拝殿です
拝殿軒下の額です
本殿です
神社の説明版です
見付天神
矢奈比賣神社
御祭神 矢奈比賣命(やなひめのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
例祭日 旧暦8月10日・11日前の土・日曜日
由緒 ※延喜式内社・※国史現在社として磐田の里々をはじめ、京の都にも名が知られ崇敬されていた相殿の御祭神(菅原道真公)は一条天皇の正暦4年(993年)に筑前国太宰府天満宮より勧請される。慶長8年(1603年)徳川家康公より神領50石を寄進される。明治6年社格が県社に列せられる。
※延喜式内社とは、平安時代の延喜年間(10世紀前半)に著わされた延喜式神名帳に載せられている。古い格式のある神社。
※国史現在社とは、六国史(日本記・日本後記・続日本後記・文徳実録・三代実録)に記載のある神社。
当社は、続日本後記と三代実録に記載されている。
御神徳 古より学業成就・安産・子育て・縁結び・諸産業振興の神として「見付のお天神様」と崇敬され、天下の奇祭(裸祭り)しっぺい太郎の伝説(人身御供伝説)とともに世に知られている。
拝殿前の梅です
願かけ牛です、右側に雄牛
左側には牝牛です
氷室神社です
裸祭りの案内板です
伊勢神宮遥拝所です
梅之湯御霊水之井戸です
本殿東側の印塚です
筆塚です
本殿を東北東側から
御神木スギを南から見ました
では、次へ行きましょう
県道56号旧東海道を北へ、加茂川信号を過ぎると県道44号線になります次の信号を右(東)へ、やはり旧東海道です
中川橋を過ぎて、見付宿場通りを東へ進み次の信号を左(北)へ入ると右に見付天神への参道が出ています
見付天神は丘の上です道なりに進むと、白鳥居を過ぎた境内に駐車場が有りますので利用させて頂きました
参道入口です
見付天神は通称でしょうか、矢祭比賣神社
1、祭神 矢祭比賣命
菅原道真公
1、由緒 創立年月日不詳なるも、延喜式内社 続日本後記、承和7年6月戌辰(840年)奉受。
三代実録 貞観2年正月戌寅(860年)記授 神階を授けらる。
菅原大神は一条天皇正暦4年(993年)勧請奉杞す。
1、大祭 旧暦8月10日・11日
(現在は旧暦8月10日前土日曜日に執行、奇祭・裸祭り神輿渡御nお神事を行う。)
白鳥居です
右脇に大きな切株があります、2011年9月の台風15号で倒壊し伐られてしまったそうです、目通り幹囲10mを超える巨木だったそうです
見付の名木 楠 クスノキの標石です
忠犬悉平太郎(しっぺいたろう)像です、人身御供を要求する怪物を退治したそうです
赤鳥居です
裸祭りの説明版です
境内社の住吉神社です
駐車場の前参道右側に、境内社の山神社です
境内案内図です
ご縁木です
和歌ですね
.
参道を進みます
手水舎です
御神木の杉です
拝殿前から、目通り幹囲4m程の大木です
北側から
御神木認定証です
拝殿です
拝殿軒下の額です
本殿です
神社の説明版です
見付天神
矢奈比賣神社
御祭神 矢奈比賣命(やなひめのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
例祭日 旧暦8月10日・11日前の土・日曜日
由緒 ※延喜式内社・※国史現在社として磐田の里々をはじめ、京の都にも名が知られ崇敬されていた相殿の御祭神(菅原道真公)は一条天皇の正暦4年(993年)に筑前国太宰府天満宮より勧請される。慶長8年(1603年)徳川家康公より神領50石を寄進される。明治6年社格が県社に列せられる。
※延喜式内社とは、平安時代の延喜年間(10世紀前半)に著わされた延喜式神名帳に載せられている。古い格式のある神社。
※国史現在社とは、六国史(日本記・日本後記・続日本後記・文徳実録・三代実録)に記載のある神社。
当社は、続日本後記と三代実録に記載されている。
御神徳 古より学業成就・安産・子育て・縁結び・諸産業振興の神として「見付のお天神様」と崇敬され、天下の奇祭(裸祭り)しっぺい太郎の伝説(人身御供伝説)とともに世に知られている。
拝殿前の梅です
願かけ牛です、右側に雄牛
左側には牝牛です
氷室神社です
裸祭りの案内板です
伊勢神宮遥拝所です
梅之湯御霊水之井戸です
本殿東側の印塚です
筆塚です
本殿を東北東側から
御神木スギを南から見ました
では、次へ行きましょう