南松野地区は、富士市役所の西約8kmのところ
県道396号富士由比線を西へ、富士川橋で富士川右岸へ渡ると直ぐに右(北)へ
県道10号富士川身延線を進みます、新東名高速道路の下を馬坂トンネルを潜ります
まもなく左にフードマーケットポテト松野店が有りますので手前の信号を左へ
すぐのY字路は左へ、道なりに進むと道路は山の中へ入って行きます
約2km進むとようやく山の上の集落(粒良野)に出ます
正面に林道粒良野八棟線(終点)の案内板が見えますので、比較的広い道路脇に車を止めさせて頂きました
右の林道に入ると、ステンレス製の立て看板が見えます
説明版です
スダジイ(椎)
管理者 粒良野区
根回り7m、胸高幹囲5.43m、樹高13m
スダジイは、日本の暖温帯の植生を示す常緑広葉樹を代表する樹種である。かつてはこの地域を広く被っていたと考えられるヤコブコウジ・スダジイ群集も今日では人為的変遷により、ほとんどその姿が失われてしまった。
この中で、当地のスダジイは、かつての姿をとどめる残存林の中心樹として、大変貴重な存在である。
昭和63年(1988年)環境庁の行った巨樹巨木林全国調査の中でも、県内有数のスダジイ巨樹として登録されている。(巨木コード22381-006-001)
粒良野区は、中世からの伝承が数々残されており、古くから発展した村で、このスダジイは、当区氏神富豊七神社の御神木として大切に保存されてきた。
*黒く消された部分が気になりましたが、スダジイを見て分かりました
立て看板の脇から栗の木やミカンの木の間に入らせて頂きました
右上にスダジイです、神社の参道は、南西側林道下の住宅から上ってきています
手前のスダジイの大木です、ほとんど枯れてしまっています、枯れた葉が付いているのでまだ枯れて間が無いようです
奥側のスダジイが目的のスダジイです
昭和54年富士川町時代の案内板です、町の古木No10の様です
富豊七神社の社殿です
手前の大木を社殿前から見上げました、高い幹には茸が生えてしまっています
社殿脇から、ヒコバエが数本緑の葉を付けています
社殿前から奥側のスダジイです、目通り幹囲5.4mの巨木です
社殿脇から見上げました、高い幹の枝に緑が確認出来ました、まだまだ生きて欲しいものです
では、次へ行きましょう
帰りに松野の集落前から富士山が良く見えました
県道396号富士由比線を西へ、富士川橋で富士川右岸へ渡ると直ぐに右(北)へ
県道10号富士川身延線を進みます、新東名高速道路の下を馬坂トンネルを潜ります
まもなく左にフードマーケットポテト松野店が有りますので手前の信号を左へ
すぐのY字路は左へ、道なりに進むと道路は山の中へ入って行きます
約2km進むとようやく山の上の集落(粒良野)に出ます
正面に林道粒良野八棟線(終点)の案内板が見えますので、比較的広い道路脇に車を止めさせて頂きました
右の林道に入ると、ステンレス製の立て看板が見えます
説明版です
スダジイ(椎)
管理者 粒良野区
根回り7m、胸高幹囲5.43m、樹高13m
スダジイは、日本の暖温帯の植生を示す常緑広葉樹を代表する樹種である。かつてはこの地域を広く被っていたと考えられるヤコブコウジ・スダジイ群集も今日では人為的変遷により、ほとんどその姿が失われてしまった。
この中で、当地のスダジイは、かつての姿をとどめる残存林の中心樹として、大変貴重な存在である。
昭和63年(1988年)環境庁の行った巨樹巨木林全国調査の中でも、県内有数のスダジイ巨樹として登録されている。(巨木コード22381-006-001)
粒良野区は、中世からの伝承が数々残されており、古くから発展した村で、このスダジイは、当区氏神富豊七神社の御神木として大切に保存されてきた。
*黒く消された部分が気になりましたが、スダジイを見て分かりました
立て看板の脇から栗の木やミカンの木の間に入らせて頂きました
右上にスダジイです、神社の参道は、南西側林道下の住宅から上ってきています
手前のスダジイの大木です、ほとんど枯れてしまっています、枯れた葉が付いているのでまだ枯れて間が無いようです
奥側のスダジイが目的のスダジイです
昭和54年富士川町時代の案内板です、町の古木No10の様です
富豊七神社の社殿です
手前の大木を社殿前から見上げました、高い幹には茸が生えてしまっています
社殿脇から、ヒコバエが数本緑の葉を付けています
社殿前から奥側のスダジイです、目通り幹囲5.4mの巨木です
社殿脇から見上げました、高い幹の枝に緑が確認出来ました、まだまだ生きて欲しいものです
では、次へ行きましょう
帰りに松野の集落前から富士山が良く見えました