白羽神社は、御前崎市役所の東南東約7kmのところ
国道150号線から県道240号線へと御前崎灯台への道を進むと
県道左手に白羽神社が南向参道で鎮座します
県道の南側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました
神社は嘗ての横須賀街道に面しています、案内図です
説明版です
通称横須賀街道旧跡
横須賀街道の名は元和元年(1615)駿遠合せて五十万石の領主となった徳川家康の第十一子頼宜が、慶長十四年(1609)駿府から横須賀に移封が決まったが、在府のまま横須賀領を治める為に駿府、横須賀間の街道を整備し、駿府、相良間に馬次場を開いたことに始まると言われています。
この旧跡はその支道の一部であり、相良町堀野新田了見寺前で本道と接続しており横須賀は東の相良と共に、城下町として栄え、この地方の政治、経済の中心でした。
明治22年東海道本線が開通し、堀之内(現菊川駅)に駅が開設され、それに通ずる県道が整備されにつれて横須賀街道の名は次第に薄れていきました。
御前崎市教育委員会
参道入口です
縣社 白羽神社です
鳥居です
手水舎です
境内は「ふるさとの自然100選」選定の森です
拝殿前右手に、目的のマキの木です
.
拝殿前(北西側)から見ました
御神木石碑と認定証です
説明版です
御前崎市指定天然記念物
マキの木
平成6年1月31日指定
このマキの木の樹種はイヌマキで、昭和63年に実施された巨樹・巨木林の調査によると、目通り283cm、樹高14mで、市内のイヌマキとしては一番の大木であり、平成元年3月1日に静岡県神社庁より、白羽神社の御神木に指定されている。
樹齢は不詳であるが、長年の風雨に耐え、悠久の時を刻んできた老木であり、その姿は訪れる参拝者に深い感動をあたえてくれる。
御前崎市指定有形文化財(古文書)
武田家朱印状
昭和45年10月15日指定
北側から
参道左手には馬の像が有ります、戦時中に供出されたものを再建したそうです
拝殿です
本殿覆い屋です
説明版です
御前崎市指定有形文化財(建造物)
白羽神社本殿
昭和44年6月25日指定
白羽神社は、社伝によると平安時代の承和4年(837)2月現在の社地に鎮座したと伝えられる。
本殿は間口三間、奥行二間お入母屋流造で、様式上から江戸中期から後期前半あたりの時代的傾向が認められる。屋根は杮葺で、地棰と飛檐棰の二軒で、いずれも繁棰で構成されている。流れ屋根は四本の向拝柱(方形)で受け、柱をつなぐ頭貫は三梁の化粧虹梁を使用している。頭貫の中備は蟇股となっており、構造上の役は無く、表裏の彫刻が異なった特殊な装飾であり珍しい。木鼻は象形の丸彫の掛鼻で飾られている。
母屋(本殿)は台輪建てであり、台輪の上に大斗をのせ出三斗で丸桁をささえる構造で、母屋柱は縁上の切目長押・その上に重なる戸口下の半長押・戸口上の冠木長押をもって柱を内外から挟み、横揺れを止める耐震的な構造をなしており、これは平安時代の意匠であたいへん珍しい造りになっている。母屋柱は方形より格の高い丸柱であり、いずれも亀甲形の彩色が施されたことが見て取れる。
柱間装置は、板唐戸(板扉)の上下に端喰を入れ、扉の合わせ部の定規縁の面取りも大きく、古来の意匠を継承したものである。板壁に蓮花と欄間部分には花鳥の彩描gあ施され、神仏習合の思想が如実に表れている歴史的に見て大変貴重なmおのである。
御前崎市教育委員会
境内社です
北西側から離れて見ました
では、次へ行きましょう
国道150号線から県道240号線へと御前崎灯台への道を進むと
県道左手に白羽神社が南向参道で鎮座します
県道の南側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました
神社は嘗ての横須賀街道に面しています、案内図です
説明版です
通称横須賀街道旧跡
横須賀街道の名は元和元年(1615)駿遠合せて五十万石の領主となった徳川家康の第十一子頼宜が、慶長十四年(1609)駿府から横須賀に移封が決まったが、在府のまま横須賀領を治める為に駿府、横須賀間の街道を整備し、駿府、相良間に馬次場を開いたことに始まると言われています。
この旧跡はその支道の一部であり、相良町堀野新田了見寺前で本道と接続しており横須賀は東の相良と共に、城下町として栄え、この地方の政治、経済の中心でした。
明治22年東海道本線が開通し、堀之内(現菊川駅)に駅が開設され、それに通ずる県道が整備されにつれて横須賀街道の名は次第に薄れていきました。
御前崎市教育委員会
参道入口です
縣社 白羽神社です
鳥居です
手水舎です
境内は「ふるさとの自然100選」選定の森です
拝殿前右手に、目的のマキの木です
.
拝殿前(北西側)から見ました
御神木石碑と認定証です
説明版です
御前崎市指定天然記念物
マキの木
平成6年1月31日指定
このマキの木の樹種はイヌマキで、昭和63年に実施された巨樹・巨木林の調査によると、目通り283cm、樹高14mで、市内のイヌマキとしては一番の大木であり、平成元年3月1日に静岡県神社庁より、白羽神社の御神木に指定されている。
樹齢は不詳であるが、長年の風雨に耐え、悠久の時を刻んできた老木であり、その姿は訪れる参拝者に深い感動をあたえてくれる。
御前崎市指定有形文化財(古文書)
武田家朱印状
昭和45年10月15日指定
北側から
参道左手には馬の像が有ります、戦時中に供出されたものを再建したそうです
拝殿です
本殿覆い屋です
説明版です
御前崎市指定有形文化財(建造物)
白羽神社本殿
昭和44年6月25日指定
白羽神社は、社伝によると平安時代の承和4年(837)2月現在の社地に鎮座したと伝えられる。
本殿は間口三間、奥行二間お入母屋流造で、様式上から江戸中期から後期前半あたりの時代的傾向が認められる。屋根は杮葺で、地棰と飛檐棰の二軒で、いずれも繁棰で構成されている。流れ屋根は四本の向拝柱(方形)で受け、柱をつなぐ頭貫は三梁の化粧虹梁を使用している。頭貫の中備は蟇股となっており、構造上の役は無く、表裏の彫刻が異なった特殊な装飾であり珍しい。木鼻は象形の丸彫の掛鼻で飾られている。
母屋(本殿)は台輪建てであり、台輪の上に大斗をのせ出三斗で丸桁をささえる構造で、母屋柱は縁上の切目長押・その上に重なる戸口下の半長押・戸口上の冠木長押をもって柱を内外から挟み、横揺れを止める耐震的な構造をなしており、これは平安時代の意匠であたいへん珍しい造りになっている。母屋柱は方形より格の高い丸柱であり、いずれも亀甲形の彩色が施されたことが見て取れる。
柱間装置は、板唐戸(板扉)の上下に端喰を入れ、扉の合わせ部の定規縁の面取りも大きく、古来の意匠を継承したものである。板壁に蓮花と欄間部分には花鳥の彩描gあ施され、神仏習合の思想が如実に表れている歴史的に見て大変貴重なmおのである。
御前崎市教育委員会
境内社です
北西側から離れて見ました
では、次へ行きましょう