国本地区は、袋井市役所のすぐ東側です
県道253号線旧東海道の松並木の東側に南面して七ツ森神社が鎮座します
すぐ北側には国道1号線袋井バイパスと県道413号磐田袋井線が走ります
南側の県道253号線脇に車を止めさせて頂きました
旧東海道に面して参道入口です
七ツ森神社です
本殿裏から久能城跡が見えるそうです
説明版です
七ツ森神社
国本字森廻2586番地
祭神 久努国造 大己貴命
相殿 玉依姫命 別雷命
相殿賀茂神社は延喜15年(915年)
境内社 七ツ森稲荷社 倉稲魂命
明治7年七字森廻より遷座
大日神社 天穂日命
明治7年広岡田所より遷座
末社 神明神社 天照大神
白山神社 菊理姫命
天白神社 猿田彦命
夷神社 蛭児命
金刀比羅神社 金山彦命
末社5社は明治7年合祀
住吉神社 末社2社は明治7年北原川宇佐八幡社へ遷座
飯高神社
由緒 創建年代不詳 往古の郡辺神社と云う。大化の改新前久努国あり、印旛足尼を国造となす。国造は世々に久努に住す。為に国造の遺霊を郡辺村に祀り祭神となす。927年完成した延喜式神名帳に「遠江国山名郡式内郡辺神社」と所載す。
後世神社は、原野谷川の大洪水で宝物古文書等全てを流出。社は高部村に漂着し村人により厚く祀られ明治34年渋垂神社に合祀される。流失年代不詳以来当神社の社名は世々に於いて変わり久努神社、加茂神社に偲ぶ事が出来る。
徳川時代は朱印高七石、明治6年村社に列格し昭和20年宗教法人「七ツ森神社」の認証を受け静岡県13等級社となる。
平成5年3月放火により社殿を焼失す。社殿は同年10月再建したるものなり。
平成7年3月記
もう一枚の説明版です
七ツ森神社
七ツ森は田圃の真中に残る七つの塚として、尾張藩(愛知県)藩士高力猿候庵が天明6年(1786)に、東海道を自ら旅して記した「東街便覧図略」に描かれています。
その中で一番大きな塚の上に描かれているのが現在の七ツ森神社です。
この七つの塚(森)には悲しい伝説が伝わっています。伝説では桓武天皇の頃、日坂宿に出没していた怪鳥を退治するために朝廷から派遣された七人の武士は、退治出来ずに返り討ちにあい命を落としてしまいました。哀れんだ村人が墓を造り彼らを葬りました、その墓が七つ森だと伝えられています。
神社には古墳時代にこの地方を治めていたと考えられる久努国造が祭神として祀られて、周辺に久努・久野・久能そして国本などの地名が見られます。久努国造の名を記した扁額が納められていたり、七つの森(塚)は古墳とも考えられることなどからも、この場所は久努国造ゆかりの深い場所であったと考えられます。
平成10年3月25日
袋井市教育委員会
右に境内社稲荷神社参道です
境内社の七ツ森稲荷社です
拝殿です
本殿覆屋です
目的のシイの木です
袋井の銘木の標柱です
神木です
南西側から
東側から
西側から、目通り幹囲6.7mの巨木です
本殿裏側のクスノキです
境内社ですがお名前が有りません
では、次へ行きましょう
県道253号線旧東海道の松並木の東側に南面して七ツ森神社が鎮座します
すぐ北側には国道1号線袋井バイパスと県道413号磐田袋井線が走ります
南側の県道253号線脇に車を止めさせて頂きました
旧東海道に面して参道入口です
七ツ森神社です
本殿裏から久能城跡が見えるそうです
説明版です
七ツ森神社
国本字森廻2586番地
祭神 久努国造 大己貴命
相殿 玉依姫命 別雷命
相殿賀茂神社は延喜15年(915年)
境内社 七ツ森稲荷社 倉稲魂命
明治7年七字森廻より遷座
大日神社 天穂日命
明治7年広岡田所より遷座
末社 神明神社 天照大神
白山神社 菊理姫命
天白神社 猿田彦命
夷神社 蛭児命
金刀比羅神社 金山彦命
末社5社は明治7年合祀
住吉神社 末社2社は明治7年北原川宇佐八幡社へ遷座
飯高神社
由緒 創建年代不詳 往古の郡辺神社と云う。大化の改新前久努国あり、印旛足尼を国造となす。国造は世々に久努に住す。為に国造の遺霊を郡辺村に祀り祭神となす。927年完成した延喜式神名帳に「遠江国山名郡式内郡辺神社」と所載す。
後世神社は、原野谷川の大洪水で宝物古文書等全てを流出。社は高部村に漂着し村人により厚く祀られ明治34年渋垂神社に合祀される。流失年代不詳以来当神社の社名は世々に於いて変わり久努神社、加茂神社に偲ぶ事が出来る。
徳川時代は朱印高七石、明治6年村社に列格し昭和20年宗教法人「七ツ森神社」の認証を受け静岡県13等級社となる。
平成5年3月放火により社殿を焼失す。社殿は同年10月再建したるものなり。
平成7年3月記
もう一枚の説明版です
七ツ森神社
七ツ森は田圃の真中に残る七つの塚として、尾張藩(愛知県)藩士高力猿候庵が天明6年(1786)に、東海道を自ら旅して記した「東街便覧図略」に描かれています。
その中で一番大きな塚の上に描かれているのが現在の七ツ森神社です。
この七つの塚(森)には悲しい伝説が伝わっています。伝説では桓武天皇の頃、日坂宿に出没していた怪鳥を退治するために朝廷から派遣された七人の武士は、退治出来ずに返り討ちにあい命を落としてしまいました。哀れんだ村人が墓を造り彼らを葬りました、その墓が七つ森だと伝えられています。
神社には古墳時代にこの地方を治めていたと考えられる久努国造が祭神として祀られて、周辺に久努・久野・久能そして国本などの地名が見られます。久努国造の名を記した扁額が納められていたり、七つの森(塚)は古墳とも考えられることなどからも、この場所は久努国造ゆかりの深い場所であったと考えられます。
平成10年3月25日
袋井市教育委員会
右に境内社稲荷神社参道です
境内社の七ツ森稲荷社です
拝殿です
本殿覆屋です
目的のシイの木です
袋井の銘木の標柱です
神木です
南西側から
東側から
西側から、目通り幹囲6.7mの巨木です
本殿裏側のクスノキです
境内社ですがお名前が有りません
では、次へ行きましょう