ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

兵庫県淡路市、岩屋「藤原定家和歌の題材・松帆の浦と台場跡」です!!

2021-12-04 06:16:45 | 遺跡・史跡
 淡路島の北端に位置する「松帆の浦」です

 「鳥の山展望台」から北へ県道31号線淡路サンセットラインの歩道を緩く下って行きます


 途中で、明石海峡大橋が段々近くなって


 橋の下からさらに県道31号線を北西へ歩きました

道端に大きなリュウゼツランです

ヤギが草刈?をしています

「松帆の浦」への入り口です、「望楼 青海波」現在はパソナグループの保有施設となっています

中へ入らせて頂きました

松帆の浦台場跡です
  海面をにらむ13砲門
 文久3年7月(1863年)阿波藩領主蜂須賀候は、徳川幕府将軍家茂の命で、この地に明石海峡を通る外国艦隊を迎撃するため大砲を据え、一大砲塁とした。
 砲塁は真北の明石天文台の方向にむきΛΛ型に土塁が築かれている。海に面した土塁の基礎部分は高さ約2mの花崗岩の切石で築かれており、その上部は・・の急傾斜で粘土が盛られていて土塁・・・は・・・土塁の最上部は巾4mある。土塁の内側・・上部から1~2mが切り取られ・・防・壁となっている。さらに二段低くなって・・・上部と大砲を据え付ける場所となっていた。
 ・・・阿波藩中老職の寺沢男也以下70名の藩士と付近の村から260名を保・口中・を・・・し台場の中央部の広場で連日練兵訓練がおこなわれた。また台場の中には合拮所・兵・・・が棟を連ねていた・・・・(読めなくなっています)

砲台の上はベンチが有り公園化されています
 

砲台の上から明石海峡大橋を見ました


明石海峡を進む客船が見られました


少し西側の海辺の様子です



松帆の浦プレートです(岩屋ポートビル前に有ります)
 島の最北端で、激しい潮流で全身が潮騒にとりつつまれる。
 古来、松帆は製塩が盛んな地で、塩を作るための朝の「藻刈り」や夕刻の「藻焼き」の風景は高貴な人々が関心をもち、藤原定家・柿本人麻呂・笠朝臣金村らがその思いを和歌に託した。
  来ぬ人を 松帆の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ
   藤原定家(新勅撰集)
 藤原定家・・・応保2(1162)~仁治2(1241)
  藤原俊成の子で「小倉百人一首」「新古今集」「新勅撰集」の選者。
  歌論書「近代秀歌」「毎月抄」、日記「名月記」、歌集「拾遺愚草」がある。
  正二位・権中納言まで進み、和歌所寄人となった。
  和歌史上最高の歌人といわれるほど名が高く「松帆の浦」はこの歌をきっかけとして歌枕となった。

では、バスで岩屋港へ戻ります
コメント
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