西島地区は、磐田市役所の東北東約5kmのところ
県道413号磐田袋井線(旧東海道)を東へ
国道1号磐田バイパスにに合流してすぐまた県道413号線に戻ります
太田川を超えると西島地区です、西島信号の手前二本目を右(南)に入ると
西島公会堂の南側に立派な玉垣の廻った須賀神社が右手に鎮座します
神社前の道路脇に車を止めさせて頂きました
須賀神社参道入口鳥居です
村社 須賀神社です
手水舎です
拝殿です
本殿です
説明版です
須賀神社
祭神 素戔嗚尊
所在地 磐田市西島字北浦42番地
相殿 六所神社(八幡社・牛頭天王社他4社)
創建年代 嘉永元年(1225年)
例祭日 7月15日(現在7月第二日曜日)
10月16日(現在10月第二日曜日)
由緒
元字南海道に在りましたが明治7年6月26日六所神社の社地から今の地に遷座す。
家康公の時代地頭、村上彌右衛門社参あり。
格別の古社と認め社殿建立となった。
六丑年8月24日伊奈備前守より任先規黒印4石5斗頂戴す。
慶安5年10月17日家光公より御朱院印に改められ、社務無怠勤行。
明治7年4月に至り上地す。
明治22年村社に列せられ、明治44年8月11日静岡県告第273號を以って神饌幣帛を共進し得べき神社に指定せらる。
其の六所神社を本社に合祀したるは、明治22年2月9日の指令に基き、この際特に両社のために、一社殿を新築せり。
現在の社殿即是れ也。
田原歴史愛好会
右側から回り込むと本殿北側に目的のクスノキです
西側から、クスの大枝が社殿を覆っています
南西側から
説明版です
須賀神社クス 市指定天然記念物
須賀神社のクスの幹は三本に分かれていて、1本は直立するように空に向かい、1本は南東に、1本は南に向って伸び、社殿を覆っています。推定樹齢500年、高さ15m、根回り周囲12.1m、目通り周囲10.6mの大木です。平成13年8月の台風11号で主幹が折れるなどの大きな被害を受け,15年度には樹形を維持するための支柱を設置しましたが、その後の風雨にもよく耐え、樹勢を保っています。
指定年月日 平成17年11月21日
平成30年1月 磐田市教育委員会文化財課
北東側から見ました
境内社の八幡社です
菅谷陣屋牢屋跡だそうです
菅谷陣屋跡の説明版です
菅谷陣屋跡
由緒
徳川幕府は関東や東海道沿いの重要地点に親藩・譜代大名・直参旗本を配置して江戸防ぎょを行っていました。
直参旗本4500石の菅谷氏も、東海道に面した西島に陣屋(元禄11年・1698年)を設けたのもその一環と思われます。
菅谷陣屋は、須賀神社の南側一帯に築かれていました。
陣屋の遺構などは何も残っていませんが、神社の北側にある西島公会堂玄関脇に、菅谷陣屋牢屋敷跡の標柱が、立てられています。
「宿村大概帳」には西島往還左方に菅谷陣屋有りと記され、「延絵図」にも往還左方に菅谷紀八陣屋と記されています。
また西島須賀神社の建立・造立・修復祈願等に菅谷氏が地頭として棟札が上棟されています。
遠州山名・豊田両郡のうち、西島村高662石1斗3升外16ヶ村高4770石余を支配していたが、旗本菅谷氏でした。
田原歴史愛好会
では、次へ行きましょう
県道413号磐田袋井線(旧東海道)を東へ
国道1号磐田バイパスにに合流してすぐまた県道413号線に戻ります
太田川を超えると西島地区です、西島信号の手前二本目を右(南)に入ると
西島公会堂の南側に立派な玉垣の廻った須賀神社が右手に鎮座します
神社前の道路脇に車を止めさせて頂きました
須賀神社参道入口鳥居です
村社 須賀神社です
手水舎です
拝殿です
本殿です
説明版です
須賀神社
祭神 素戔嗚尊
所在地 磐田市西島字北浦42番地
相殿 六所神社(八幡社・牛頭天王社他4社)
創建年代 嘉永元年(1225年)
例祭日 7月15日(現在7月第二日曜日)
10月16日(現在10月第二日曜日)
由緒
元字南海道に在りましたが明治7年6月26日六所神社の社地から今の地に遷座す。
家康公の時代地頭、村上彌右衛門社参あり。
格別の古社と認め社殿建立となった。
六丑年8月24日伊奈備前守より任先規黒印4石5斗頂戴す。
慶安5年10月17日家光公より御朱院印に改められ、社務無怠勤行。
明治7年4月に至り上地す。
明治22年村社に列せられ、明治44年8月11日静岡県告第273號を以って神饌幣帛を共進し得べき神社に指定せらる。
其の六所神社を本社に合祀したるは、明治22年2月9日の指令に基き、この際特に両社のために、一社殿を新築せり。
現在の社殿即是れ也。
田原歴史愛好会
右側から回り込むと本殿北側に目的のクスノキです
西側から、クスの大枝が社殿を覆っています
南西側から
説明版です
須賀神社クス 市指定天然記念物
須賀神社のクスの幹は三本に分かれていて、1本は直立するように空に向かい、1本は南東に、1本は南に向って伸び、社殿を覆っています。推定樹齢500年、高さ15m、根回り周囲12.1m、目通り周囲10.6mの大木です。平成13年8月の台風11号で主幹が折れるなどの大きな被害を受け,15年度には樹形を維持するための支柱を設置しましたが、その後の風雨にもよく耐え、樹勢を保っています。
指定年月日 平成17年11月21日
平成30年1月 磐田市教育委員会文化財課
北東側から見ました
境内社の八幡社です
菅谷陣屋牢屋跡だそうです
菅谷陣屋跡の説明版です
菅谷陣屋跡
由緒
徳川幕府は関東や東海道沿いの重要地点に親藩・譜代大名・直参旗本を配置して江戸防ぎょを行っていました。
直参旗本4500石の菅谷氏も、東海道に面した西島に陣屋(元禄11年・1698年)を設けたのもその一環と思われます。
菅谷陣屋は、須賀神社の南側一帯に築かれていました。
陣屋の遺構などは何も残っていませんが、神社の北側にある西島公会堂玄関脇に、菅谷陣屋牢屋敷跡の標柱が、立てられています。
「宿村大概帳」には西島往還左方に菅谷陣屋有りと記され、「延絵図」にも往還左方に菅谷紀八陣屋と記されています。
また西島須賀神社の建立・造立・修復祈願等に菅谷氏が地頭として棟札が上棟されています。
遠州山名・豊田両郡のうち、西島村高662石1斗3升外16ヶ村高4770石余を支配していたが、旗本菅谷氏でした。
田原歴史愛好会
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