中田町柳橋地区は、郡山市役所の東南東約17km
郡山市役所中田行政センターの東約3kmのところです
県道65号小野郡山線を東へ道成りに進みます

柳橋に入って柳橋郵便局を過ぎると、駒板・木目沢左の案内板が有ります

左(北)に入ると直ぐ左手に菅布祢神社が南南東向きの参道で鎮座します
戻って県道脇に
車を止めさせて頂きました

菅布祢神社です

道路脇に標柱が並びます

水準点も有りました(標高433.8m)
*水準点とは、全国の主な国道又は主要地方道に沿った約2kmごとに設置してあり、この水準点を使用することにより、土地の高さを精密に(mm単位)に求めることができます。また、地殻変動、地盤沈下対策等に必要な土地の上下変動は、水準点の測量を繰り返すことにより求められます。水準点には、基準、一、二等の種類があり、全国に約16,400点設置されています。

一ノ鳥居です

説明版です
郡山市指定天然記念物
菅布禰神社のケヤキ
平成8年5月21日指定
本樹の現在
本樹は郡山市中田町柳橋、菅布禰神社の社叢内にあるケヤキである。
この菅布禰神社は、ごく小さな丘陵の上面に造営されており、南東隅の平頂部が崖に落ち込む場所に本樹が生育している。
根回り5.2m、目通り幹囲4.85m、樹高24m。崖上部にあるので東側が開け、この方向に多くの枝を広げている。
西側は、本樹と接するばかりに神社の神楽殿が建っており、北に接しては、やや大きいスギの木が生育している。
枝張りは樹幹を中心に、南、北でそれぞれ約10m~15mほどである。太い枯れ枝も二、三見られるが、全体として樹勢も盛んである。
本樹の来歴・樹令
寛文5年(1665年)8月、村上伊豆掾直之が京都の神祇管領卜部兼連より奥州田村郡柳橋村菅船大明神、羽黒大権現の祠管の免許状を受けたときには、すでに菅布禰神社境内にケヤキがあったと言い伝えられているが、本樹がそれにあたるという証拠はない。
本樹が生育している場所から考えると、なにかの記念木として植栽されたというよりも、社叢内に自生していた古木が神域ゆえに手をつけることなく現在に至ったものと見た方が自然である。
今、阿武隈山地を中心に同じ程度のケヤキの樹令を調べると、
①霊山町、経王塚のケヤキ 胸高幹囲 5.2m 樹令350年*(2018年7月20日にこのブログで紹介)
②川俣町、春日神社のケヤキ(双幹)胸高幹囲 4.7mと5.5m 樹令400年*(2018年7月22日にこのブログで紹介)
③大玉村、南町の大ケヤキ 胸高幹囲5.9m 樹令400年*(2016年11月30日にこのブログで紹介)
④三春町、愛宕神社のケヤキ 胸高幹囲4.8m 樹令400年*(昨日このブログで紹介させて頂いております)
〈以上データは緑の文化財〉
以上の事例を参考に、本樹の樹令を350年~400年と推定する。
郡山市教育委員会

鳥居を潜ると境内右端に目的のケヤキが見えました

ニノ鳥居です

境内に上がると手水舎です


狛犬です

拝殿です


本殿です
神楽殿です、背後にスギとケヤキの樹冠が見えます



南西側から目的のケヤキです




南側から



西側から



北側から



北側からスギです
社殿西側には稲荷神社のようです
では、次へ行きましょう
郡山市役所中田行政センターの東約3kmのところです
県道65号小野郡山線を東へ道成りに進みます

柳橋に入って柳橋郵便局を過ぎると、駒板・木目沢左の案内板が有ります


左(北)に入ると直ぐ左手に菅布祢神社が南南東向きの参道で鎮座します

戻って県道脇に


菅布祢神社です


道路脇に標柱が並びます


水準点も有りました(標高433.8m)

*水準点とは、全国の主な国道又は主要地方道に沿った約2kmごとに設置してあり、この水準点を使用することにより、土地の高さを精密に(mm単位)に求めることができます。また、地殻変動、地盤沈下対策等に必要な土地の上下変動は、水準点の測量を繰り返すことにより求められます。水準点には、基準、一、二等の種類があり、全国に約16,400点設置されています。

一ノ鳥居です


説明版です
郡山市指定天然記念物
菅布禰神社のケヤキ
平成8年5月21日指定
本樹の現在
本樹は郡山市中田町柳橋、菅布禰神社の社叢内にあるケヤキである。
この菅布禰神社は、ごく小さな丘陵の上面に造営されており、南東隅の平頂部が崖に落ち込む場所に本樹が生育している。
根回り5.2m、目通り幹囲4.85m、樹高24m。崖上部にあるので東側が開け、この方向に多くの枝を広げている。
西側は、本樹と接するばかりに神社の神楽殿が建っており、北に接しては、やや大きいスギの木が生育している。
枝張りは樹幹を中心に、南、北でそれぞれ約10m~15mほどである。太い枯れ枝も二、三見られるが、全体として樹勢も盛んである。
本樹の来歴・樹令
寛文5年(1665年)8月、村上伊豆掾直之が京都の神祇管領卜部兼連より奥州田村郡柳橋村菅船大明神、羽黒大権現の祠管の免許状を受けたときには、すでに菅布禰神社境内にケヤキがあったと言い伝えられているが、本樹がそれにあたるという証拠はない。
本樹が生育している場所から考えると、なにかの記念木として植栽されたというよりも、社叢内に自生していた古木が神域ゆえに手をつけることなく現在に至ったものと見た方が自然である。
今、阿武隈山地を中心に同じ程度のケヤキの樹令を調べると、
①霊山町、経王塚のケヤキ 胸高幹囲 5.2m 樹令350年*(2018年7月20日にこのブログで紹介)
②川俣町、春日神社のケヤキ(双幹)胸高幹囲 4.7mと5.5m 樹令400年*(2018年7月22日にこのブログで紹介)
③大玉村、南町の大ケヤキ 胸高幹囲5.9m 樹令400年*(2016年11月30日にこのブログで紹介)
④三春町、愛宕神社のケヤキ 胸高幹囲4.8m 樹令400年*(昨日このブログで紹介させて頂いております)
〈以上データは緑の文化財〉
以上の事例を参考に、本樹の樹令を350年~400年と推定する。
郡山市教育委員会

鳥居を潜ると境内右端に目的のケヤキが見えました


ニノ鳥居です


境内に上がると手水舎です



狛犬です


拝殿です



本殿です


神楽殿です、背後にスギとケヤキの樹冠が見えます




南西側から目的のケヤキです





南側から




西側から




北側から




北側からスギです


社殿西側には稲荷神社のようです

では、次へ行きましょう

