西田町丹伊田地区は、郡山市役所の北東17kmのところ
郡山内環状線を北へ、やがて東へ向いてJR東北本線と東北新幹線を潜ると
国道288号線富久山バイパスです、二つ目信号を案内表示の「市内西田」左(北)へ
阿武隈川左岸沿いの道路を北東へ進み磐越道の高架を潜り次の信号を右(東)へ県道115号線です
小和滝橋で右岸に渡ると直ぐの信号を左(北)へ県道73・115号合同線です
間も無く三叉路を右へ県道115号線を道成りに進みます
西田ふれあいセンター前の信号を左(北西)へ郡山東部広域農道です、次の信号を右(東)へ
県道28号線との交差点を過ぎて約700mの一時停止の交差点を左(北)へ間も無く左手に
鹿島大神宮が南東向きの参道で鎮座します
鹿島大神宮参道入口です
郷社 鹿島大神宮です
国指定天然記念物ペグマタイト岩脈と市指定文化財の標柱です
道路脇に説明版が並びます、まずは「ペグマタイト岩脈」です
国指定天然記念物
ペグマタイト岩脈
昭和41年6月11日指定
ペグマタイトは「巨晶花コウ岩」ともよばれているように、花コウ岩質で、石英・長石を主成分とした非常に大きな結晶の集合した岩石のことです。
かつて、西田町から隣の白沢村にかけて阿武隈山地は、ペグマタイトの大産出地でしたが、今では工業用原料として採掘されつくされてしまい、約14000トンと推定される量のペグマタイトが、現在でも保存されていることはたいへんめずらしいことです。
露出している面の延長は約40m、幅14mにおよび、地下10mまではこの岩石があると推定されます。
郡山市教育委員会
絵馬神馬図説明版です
郡山市指定重要有形民俗文化財
絵馬 神馬図
昭和52年5月11日指定
鹿島大神宮に保存されている神馬図の絵馬は、縦51cm、横90cmの家形で、画面中央には、二人の神官が曳く神馬を配し、右上に神馬を奉納した神社の鳥居と拝殿の一部が描かれたいます。
剥落が進み一部不明な点はありますが、画面上部には雲がたなびく松林を、右下には松の木が描いてあります。画面の左端に、「弘治2丙辰年9月吉辰」と奉納年月が明記されています、9月吉辰とありますから、あるいは秋祭りを祝して奉納したのかも知れません。
1556(弘治2)年に奉納されたこの絵馬は、福島県内で現存する最古の絵馬です。絵の構図や描写から見て絵馬絵師の描いた絵馬であると見られますが、年号は後から奉納者によって書かれたものと推測され、その書体から一般庶民の奉納になるものと思われます。
この絵馬は、県内最古の絵馬であるばかりでなく、中世における絵馬奉納という庶民信仰を知る上で極めて貴重な絵馬です。
郡山市教育委員会
参道を進みます
手水舎です
案内書きです
鹿島大神宮
御祭神 武甕槌大神
御鎮座 天慶元年9月15日
茨城県鹿島神宮より勧請
文化財
国指定天然記念物 ペグマタイト岩脈
郡山市指定文化財 曳馬図 弘治2年(1556年)
祭礼図 文久2年(1862年)
障子絵馬 養蚕安全祈願
境内社
八坂神社 御祭神 素戔嗚命 櫛稲田姫命 八神御子
養蚕神社 御祭神 天照皇大神 保食神 稚産霊神
多賀神社 御祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命
桜が咲いています
太鼓橋を渡ると鳥居です
鳥居下から、目的のスギを見ました
鹿島大神宮のスギの標柱です
右側のスギです
奥側から
左側のスギです
奥側から、共に合体木ですが、目通り幹囲5.3mの巨木です
参道石段を上って
拝殿前にもスギの大木です
拝殿です
ペグマタイト岩脈の露岩の上に本殿です
拝殿西に大きな岩が見られます
説明版です
ペグマタイト岩脈
この岩脈は花崗岩の一種で、巨晶花崗ともいう。この種の岩石は地球上に於いて地向斜といわれる凹地を形成し、そこに厚い堆積岩を堆積したような地殻の比較的不安定な地域、すなわち造山帯の弱線に沿って迸入した。
阿武隈山地は日本で最も有名なペグマタイトの産地であるが、このような弱線は高原の西縁部に梢南北に、北は宮城県伊具部大張村より、福島県伊達郡白根村・霊山町・川俣町・東和村を経て、郡山市西田町高瀬を過ぎ、宇津峯山を通り、須釜村達し、更に南下して野木沢・石川町を通って山橋・鮫川村を貫き、塙町に到るときはその勢が弱まり、二つに分岐しその一つは茨城県多賀郡高岡村に、他は久慈郡加美村に達する。その全長は140kmに達する。
多くのペグマタイトは、この弱線に沿うて迸入し、その大さ、形状は種々様々である。構成鉱物は石英・長石・雲母等を主とするが、その上部又は縁辺部は長石・雲母等の外に電気石・紅柱石・ザクロ石・キンセイ石・モナズ石・ザマルスキー石・ヘルグリン石等、ウラニウム・トリラム・イットリウム等の希元素を含む鉱物を含有するものが特徴である。
現在見られるこのペグマタイトは岩体の下部に相当し、主として石英の結晶の集合体であるが、一部に長石も残存する。
この岩脈が生まれてから約一億年の時が経過し、その間に、地殻の変動、風化、浸蝕のために地表に突出したものであるが、その間の歴史は岩肌に強く刻み込まれている。
これらの岩石を構成する石英及び長石は、光学レンズ・陶磁器等の重要な原料であるために、殆ど採掘し盡され、このような雄大な自然の状態を示すものは稀である。
したがってこのペグマタイトは、学術的研究資料として貴重なものである。
福島県文化財専門委員
福島大学教授 理学博士 三本杉巳代治
神楽殿です
社殿の西側尾根筋には境内社が並びます、まず養蚕神社と八坂神社です
神明宮です、ご祭神は天照皇大神です
立派な鳥居のある多賀神社です、ご祭神は伊邪那岐・伊邪那美の両大神です
他にも祠が並びます
社殿北側のペグマタイト岩脈の露岩には、羽黒神社の祠です
では、次へ行きましょう
郡山内環状線を北へ、やがて東へ向いてJR東北本線と東北新幹線を潜ると
国道288号線富久山バイパスです、二つ目信号を案内表示の「市内西田」左(北)へ
阿武隈川左岸沿いの道路を北東へ進み磐越道の高架を潜り次の信号を右(東)へ県道115号線です
小和滝橋で右岸に渡ると直ぐの信号を左(北)へ県道73・115号合同線です
間も無く三叉路を右へ県道115号線を道成りに進みます
西田ふれあいセンター前の信号を左(北西)へ郡山東部広域農道です、次の信号を右(東)へ
県道28号線との交差点を過ぎて約700mの一時停止の交差点を左(北)へ間も無く左手に
鹿島大神宮が南東向きの参道で鎮座します
鹿島大神宮参道入口です
郷社 鹿島大神宮です
国指定天然記念物ペグマタイト岩脈と市指定文化財の標柱です
道路脇に説明版が並びます、まずは「ペグマタイト岩脈」です
国指定天然記念物
ペグマタイト岩脈
昭和41年6月11日指定
ペグマタイトは「巨晶花コウ岩」ともよばれているように、花コウ岩質で、石英・長石を主成分とした非常に大きな結晶の集合した岩石のことです。
かつて、西田町から隣の白沢村にかけて阿武隈山地は、ペグマタイトの大産出地でしたが、今では工業用原料として採掘されつくされてしまい、約14000トンと推定される量のペグマタイトが、現在でも保存されていることはたいへんめずらしいことです。
露出している面の延長は約40m、幅14mにおよび、地下10mまではこの岩石があると推定されます。
郡山市教育委員会
絵馬神馬図説明版です
郡山市指定重要有形民俗文化財
絵馬 神馬図
昭和52年5月11日指定
鹿島大神宮に保存されている神馬図の絵馬は、縦51cm、横90cmの家形で、画面中央には、二人の神官が曳く神馬を配し、右上に神馬を奉納した神社の鳥居と拝殿の一部が描かれたいます。
剥落が進み一部不明な点はありますが、画面上部には雲がたなびく松林を、右下には松の木が描いてあります。画面の左端に、「弘治2丙辰年9月吉辰」と奉納年月が明記されています、9月吉辰とありますから、あるいは秋祭りを祝して奉納したのかも知れません。
1556(弘治2)年に奉納されたこの絵馬は、福島県内で現存する最古の絵馬です。絵の構図や描写から見て絵馬絵師の描いた絵馬であると見られますが、年号は後から奉納者によって書かれたものと推測され、その書体から一般庶民の奉納になるものと思われます。
この絵馬は、県内最古の絵馬であるばかりでなく、中世における絵馬奉納という庶民信仰を知る上で極めて貴重な絵馬です。
郡山市教育委員会
参道を進みます
手水舎です
案内書きです
鹿島大神宮
御祭神 武甕槌大神
御鎮座 天慶元年9月15日
茨城県鹿島神宮より勧請
文化財
国指定天然記念物 ペグマタイト岩脈
郡山市指定文化財 曳馬図 弘治2年(1556年)
祭礼図 文久2年(1862年)
障子絵馬 養蚕安全祈願
境内社
八坂神社 御祭神 素戔嗚命 櫛稲田姫命 八神御子
養蚕神社 御祭神 天照皇大神 保食神 稚産霊神
多賀神社 御祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命
桜が咲いています
太鼓橋を渡ると鳥居です
鳥居下から、目的のスギを見ました
鹿島大神宮のスギの標柱です
右側のスギです
奥側から
左側のスギです
奥側から、共に合体木ですが、目通り幹囲5.3mの巨木です
参道石段を上って
拝殿前にもスギの大木です
拝殿です
ペグマタイト岩脈の露岩の上に本殿です
拝殿西に大きな岩が見られます
説明版です
ペグマタイト岩脈
この岩脈は花崗岩の一種で、巨晶花崗ともいう。この種の岩石は地球上に於いて地向斜といわれる凹地を形成し、そこに厚い堆積岩を堆積したような地殻の比較的不安定な地域、すなわち造山帯の弱線に沿って迸入した。
阿武隈山地は日本で最も有名なペグマタイトの産地であるが、このような弱線は高原の西縁部に梢南北に、北は宮城県伊具部大張村より、福島県伊達郡白根村・霊山町・川俣町・東和村を経て、郡山市西田町高瀬を過ぎ、宇津峯山を通り、須釜村達し、更に南下して野木沢・石川町を通って山橋・鮫川村を貫き、塙町に到るときはその勢が弱まり、二つに分岐しその一つは茨城県多賀郡高岡村に、他は久慈郡加美村に達する。その全長は140kmに達する。
多くのペグマタイトは、この弱線に沿うて迸入し、その大さ、形状は種々様々である。構成鉱物は石英・長石・雲母等を主とするが、その上部又は縁辺部は長石・雲母等の外に電気石・紅柱石・ザクロ石・キンセイ石・モナズ石・ザマルスキー石・ヘルグリン石等、ウラニウム・トリラム・イットリウム等の希元素を含む鉱物を含有するものが特徴である。
現在見られるこのペグマタイトは岩体の下部に相当し、主として石英の結晶の集合体であるが、一部に長石も残存する。
この岩脈が生まれてから約一億年の時が経過し、その間に、地殻の変動、風化、浸蝕のために地表に突出したものであるが、その間の歴史は岩肌に強く刻み込まれている。
これらの岩石を構成する石英及び長石は、光学レンズ・陶磁器等の重要な原料であるために、殆ど採掘し盡され、このような雄大な自然の状態を示すものは稀である。
したがってこのペグマタイトは、学術的研究資料として貴重なものである。
福島県文化財専門委員
福島大学教授 理学博士 三本杉巳代治
神楽殿です
社殿の西側尾根筋には境内社が並びます、まず養蚕神社と八坂神社です
神明宮です、ご祭神は天照皇大神です
立派な鳥居のある多賀神社です、ご祭神は伊邪那岐・伊邪那美の両大神です
他にも祠が並びます
社殿北側のペグマタイト岩脈の露岩には、羽黒神社の祠です
では、次へ行きましょう