千寿町は、常陸太田市役所の北西約9km、金砂郷支所の北約3kmのところ
金砂郷支所南側の県道62号線を北西へ、直ぐに「千寿入口→」への標識が有ります
右(北)へ道成りに約3kmで千寿町です、千寿町の一番奥へ進みます

松平町へ抜ける交差点から、写真左上の住宅の西側に金砂神社(金砂山王宮)があるようです
急な林道を登って、神社境内入口手前の道路に
車を止めさせて頂きました

参道入口石段です


参道右手に目的のケヤキです



西側から、目通り幹囲6.5mの巨木です



北西側から、黄葉が進んでいます

参道を進んで神社にお参りしましょう

元金砂神社社號標です

手水舎です

説明版です
金砂神社 御由緒
祭神 大己貴命(オオナムチノミコト)
由緒
大同元年3月の創立と云う。
本国疾病凶荒の故に平城天皇の勅願により、横川の宝珠上人近江国滋賀郡坂本の山王権現日吉山王を遷し祀れば忽ちにして流行病治まりぬ。即ち金砂神社創始の地であり、下宮・上宮の元宮であるので、その威徳を称え元金砂神社とも金砂山王宮とも呼び習わされて今日に至る。因みに小祭礼の折り、松平より当山を仰ぐ処、札の宮と称して、奏楽を止め礼拝をする習いがあり、反すれば異変があると言われる。
昔時、佐竹藩より7名の御付人有り、御出社に際しては御使者が立った。
他所の儀も当千手村を始め、和田村、東連地村に亘り、御除地14石4斗8升を有す。
明治6年村社に列す。
例祭 4月3日・9月19日
神域 5776坪
金砂の大神は、水木海上より紫雲棚引く当山を仰ぎ見て御鎮座されたと伝えられ、欅・椎・榊等の巨木が鬱蒼として繁茂する貴重な永久天然林を形成している。
山上には金砂神社の御本殿があり、麓の礼拝殿は十一面千手千眼観世音菩薩を祀る御堂跡で、往時は回廊付きの壮麗な堂宇であった。
平成14年9月19日
宮司 和田穆昌

社殿です

隣の鳥居に金砂神社の額が懸かっています


長い石段の先が見えません
天気が崩れ出したのでここで戻ることにしました
では、今回の取材は終わりにして埼玉へ戻ります
金砂郷支所南側の県道62号線を北西へ、直ぐに「千寿入口→」への標識が有ります
右(北)へ道成りに約3kmで千寿町です、千寿町の一番奥へ進みます

松平町へ抜ける交差点から、写真左上の住宅の西側に金砂神社(金砂山王宮)があるようです

急な林道を登って、神社境内入口手前の道路に


参道入口石段です




参道右手に目的のケヤキです




西側から、目通り幹囲6.5mの巨木です




北西側から、黄葉が進んでいます


参道を進んで神社にお参りしましょう


元金砂神社社號標です


手水舎です


説明版です
金砂神社 御由緒
祭神 大己貴命(オオナムチノミコト)
由緒
大同元年3月の創立と云う。
本国疾病凶荒の故に平城天皇の勅願により、横川の宝珠上人近江国滋賀郡坂本の山王権現日吉山王を遷し祀れば忽ちにして流行病治まりぬ。即ち金砂神社創始の地であり、下宮・上宮の元宮であるので、その威徳を称え元金砂神社とも金砂山王宮とも呼び習わされて今日に至る。因みに小祭礼の折り、松平より当山を仰ぐ処、札の宮と称して、奏楽を止め礼拝をする習いがあり、反すれば異変があると言われる。
昔時、佐竹藩より7名の御付人有り、御出社に際しては御使者が立った。
他所の儀も当千手村を始め、和田村、東連地村に亘り、御除地14石4斗8升を有す。
明治6年村社に列す。
例祭 4月3日・9月19日
神域 5776坪
金砂の大神は、水木海上より紫雲棚引く当山を仰ぎ見て御鎮座されたと伝えられ、欅・椎・榊等の巨木が鬱蒼として繁茂する貴重な永久天然林を形成している。
山上には金砂神社の御本殿があり、麓の礼拝殿は十一面千手千眼観世音菩薩を祀る御堂跡で、往時は回廊付きの壮麗な堂宇であった。
平成14年9月19日
宮司 和田穆昌

社殿です


隣の鳥居に金砂神社の額が懸かっています



長い石段の先が見えません

天気が崩れ出したのでここで戻ることにしました

では、今回の取材は終わりにして埼玉へ戻ります

