飯坂町天王寺地区は、福島市役所の北北西約10kmのところ
国道13号線を北へ、信夫山トンネルを貫けて進みます
東北自動車道福島飯坂インターチェンジ入口を過ぎて
福島交通飯坂線の踏切を越えて、約700mで飯坂町原信号を右(北東)へ、県道5号線です
県道を進んで突き当りの信号を左(北西)へ国道399号線飯坂バイパスです
飯坂トンネルを貫けて最初の信号を左(北西)へ、県道319号線です
約200m程で天王寺の案内板に従って斜め左へ、道成りに進んで案内板に従って鍵の手に進むと
東向きの天王寺山門前に出ました
参道右側(北側)の第一駐車場に車を止めさせて頂きました
境内案内図です
参道を進みます
山門です
手水舎です
本堂です
説明版です
日本四天王寺の一寺
天王寺の由来
当山天王寺は大阪(難波)・谷中・富国の天王寺とともに日本四天王寺の一寺といわれ第31代用明天皇の開基と伝えられる。用明2年(587年)・厩戸皇子(聖徳太子)が物部守屋を討たれ佛法眞蜜即ち佛の道を修める道場の一つとして建立された。当初は、天王山天王寺と呼ばれ毘沙門天王(北方多聞天)と千手観音・地蔵菩薩を安置したのに初まるという。
平安時代文治5年(1190年)源頼朝の平泉攻めで大鳥城落城の時共に兵火により焼失、その後鎌倉時代に法燈国師(佛心国師1206~1298年)が東北行脚にこの寺に入り安らかに禅をきわめる所として開山第一の祖となった。
室町時代応安7年(1375年)智鑑禅師が七堂伽藍を建立し再興、その後世の盛衰によってこの寺も衰微、天正3年(1576年)時の飯坂領主飯坂右近将監宗康公が住職春翁正堂和尚とはかり中興に力をつくした。元禄年中(1688~1703年)に山火事があり類焼、その後、宝永7年(1710年)住職や檀徒の努力によって現在の本堂が建てられたものであり、1400年の歴史をもつ古刹である。
宝物には、天王寺「什物」国指定重要文化財「経筒」須恵器系「甕」常滑「三筋壺」大百足の骨、伊達藩より拝領物等が展示されている。
福島飯坂ライオンズクラブ
昭和63年6月
目的のイチョウは、本堂北側一段上の薬師堂前です
第二駐車場から見ました
本堂側からの通路を通って観音堂へ向かいます
説明版です
延寿観世音菩薩について
ここ天王寺は、日本四天王寺の一つである名刹である。この壇上にある観音堂には、奥州三十三観音・信達三十三観音共に11番札所として聖観世音様が安置されて居ります。
この下手に皆様の御協力により「ぼけ除け延寿観世音菩薩」を建立させていただきました、観音様は「衆生救済」の仏様です。
我共を「ぼけ」から救い、すこやかなる長寿に導いていただけることをねがっています。いまや日本は世界一の長寿国といわれておりますが、呆けたり寝たきりでは決して幸せとは申されません。人生80年、数多く参詣され、線香をささげ煙りを体にたむけて一生懸命念じ、共に白寿までもの長寿を全うしたいものです。
村島正博 謹書
鐘楼です
観音堂です
説明版です
天王寺観音堂(三済閣)
天正年間(1573~)伊達政宗公の父、伊達照宗公の寄進により、建立されたものであると伝えられ、別名を「三済閣」とも呼ばれている。
「三」とは、老・病・死のことで「済」とはこれらを救うという意味である。
堂内中央には聖観世音菩薩、左手には毘沙門天王、右手には地蔵願主菩薩が奉安合祀されている。
聖観世音菩薩
鎌倉時代の高僧 恵心僧都の作といわれる聖観世音菩薩は、香積観音とも呼ばれ、像高約40cm、檜材の素木座像で、古い時代の千手観音と釈迦如来を兼ねそなえた、有難い観音様(宝冠釈迦如来)である。
奥州三十三観音第11番 御詠歌
てらさめと にこれる世にも じげんして 草木もともに ちかいもらさず
信達三十三観音第11番 御詠歌
説きおける 法のはじめを 天王寺 知るや悟りの 佛ある世に
毘沙門天王(北方多聞天)
聖徳太子の御作といわれる等身大の毘沙門天王は、日本四天王の一つで、北方多聞天とも呼ばれている。
毘沙門天王例祭(毎年旧正月初寅宵祭)には観音堂の前で、明々と燃え上がる火炎を作り、其れをとりまく多くの信者で賑わい、毘沙門天王御開帳には、参拝客が一斉に賽銭を投げ入れる奇祭の一つである。
昔は、当地で盛んな養蚕信仰の神であったが、現在では、商売繁盛の神様として、飯坂花街の芸姑衆に人気がある。
目的の大イチョウです
説明版です
緑の文化財 天王寺大銀杏(なき銀杏)由来
福島縣「緑の文化財」登録
天王寺大銀杏(なき銀杏)
樹齢約500年「天王寺大イチョウ」として、昭和58年2月、福島縣緑の文化財に登録される。
此の大木には、数百回も雷が落ちた跡があり、裏側が其れを物語っている。
また、無風状態で「ギギ―、ギギー」と、ないている様な音が聞こえるので「なきイチョウ」ともよばれ、運に恵まれた方は、その音を聞くことが出来るかも知れません。
大イチョウの中段には、大きな窪みがあり、そこには大蛇(数mもある青大将)が住みついているとの伝説が残っており、御参拝の方々を御守り下さる天王寺の御神木である。
根元の祠には
恵比寿様や大黒様・布袋様等です
北東側から
北側の根元から見上げました
北側から
北西側から、目通り幹囲5.4mの巨木です
観音堂脇の西側から
乳柱も見ることが出来ました
イチョウの西側の祠です
板碑です
そろそろ陽が沈む時間になります、福島市内へ移動しましょう
国道13号線を北へ、信夫山トンネルを貫けて進みます
東北自動車道福島飯坂インターチェンジ入口を過ぎて
福島交通飯坂線の踏切を越えて、約700mで飯坂町原信号を右(北東)へ、県道5号線です
県道を進んで突き当りの信号を左(北西)へ国道399号線飯坂バイパスです
飯坂トンネルを貫けて最初の信号を左(北西)へ、県道319号線です
約200m程で天王寺の案内板に従って斜め左へ、道成りに進んで案内板に従って鍵の手に進むと
東向きの天王寺山門前に出ました
参道右側(北側)の第一駐車場に車を止めさせて頂きました
境内案内図です
参道を進みます
山門です
手水舎です
本堂です
説明版です
日本四天王寺の一寺
天王寺の由来
当山天王寺は大阪(難波)・谷中・富国の天王寺とともに日本四天王寺の一寺といわれ第31代用明天皇の開基と伝えられる。用明2年(587年)・厩戸皇子(聖徳太子)が物部守屋を討たれ佛法眞蜜即ち佛の道を修める道場の一つとして建立された。当初は、天王山天王寺と呼ばれ毘沙門天王(北方多聞天)と千手観音・地蔵菩薩を安置したのに初まるという。
平安時代文治5年(1190年)源頼朝の平泉攻めで大鳥城落城の時共に兵火により焼失、その後鎌倉時代に法燈国師(佛心国師1206~1298年)が東北行脚にこの寺に入り安らかに禅をきわめる所として開山第一の祖となった。
室町時代応安7年(1375年)智鑑禅師が七堂伽藍を建立し再興、その後世の盛衰によってこの寺も衰微、天正3年(1576年)時の飯坂領主飯坂右近将監宗康公が住職春翁正堂和尚とはかり中興に力をつくした。元禄年中(1688~1703年)に山火事があり類焼、その後、宝永7年(1710年)住職や檀徒の努力によって現在の本堂が建てられたものであり、1400年の歴史をもつ古刹である。
宝物には、天王寺「什物」国指定重要文化財「経筒」須恵器系「甕」常滑「三筋壺」大百足の骨、伊達藩より拝領物等が展示されている。
福島飯坂ライオンズクラブ
昭和63年6月
目的のイチョウは、本堂北側一段上の薬師堂前です
第二駐車場から見ました
本堂側からの通路を通って観音堂へ向かいます
説明版です
延寿観世音菩薩について
ここ天王寺は、日本四天王寺の一つである名刹である。この壇上にある観音堂には、奥州三十三観音・信達三十三観音共に11番札所として聖観世音様が安置されて居ります。
この下手に皆様の御協力により「ぼけ除け延寿観世音菩薩」を建立させていただきました、観音様は「衆生救済」の仏様です。
我共を「ぼけ」から救い、すこやかなる長寿に導いていただけることをねがっています。いまや日本は世界一の長寿国といわれておりますが、呆けたり寝たきりでは決して幸せとは申されません。人生80年、数多く参詣され、線香をささげ煙りを体にたむけて一生懸命念じ、共に白寿までもの長寿を全うしたいものです。
村島正博 謹書
鐘楼です
観音堂です
説明版です
天王寺観音堂(三済閣)
天正年間(1573~)伊達政宗公の父、伊達照宗公の寄進により、建立されたものであると伝えられ、別名を「三済閣」とも呼ばれている。
「三」とは、老・病・死のことで「済」とはこれらを救うという意味である。
堂内中央には聖観世音菩薩、左手には毘沙門天王、右手には地蔵願主菩薩が奉安合祀されている。
聖観世音菩薩
鎌倉時代の高僧 恵心僧都の作といわれる聖観世音菩薩は、香積観音とも呼ばれ、像高約40cm、檜材の素木座像で、古い時代の千手観音と釈迦如来を兼ねそなえた、有難い観音様(宝冠釈迦如来)である。
奥州三十三観音第11番 御詠歌
てらさめと にこれる世にも じげんして 草木もともに ちかいもらさず
信達三十三観音第11番 御詠歌
説きおける 法のはじめを 天王寺 知るや悟りの 佛ある世に
毘沙門天王(北方多聞天)
聖徳太子の御作といわれる等身大の毘沙門天王は、日本四天王の一つで、北方多聞天とも呼ばれている。
毘沙門天王例祭(毎年旧正月初寅宵祭)には観音堂の前で、明々と燃え上がる火炎を作り、其れをとりまく多くの信者で賑わい、毘沙門天王御開帳には、参拝客が一斉に賽銭を投げ入れる奇祭の一つである。
昔は、当地で盛んな養蚕信仰の神であったが、現在では、商売繁盛の神様として、飯坂花街の芸姑衆に人気がある。
目的の大イチョウです
説明版です
緑の文化財 天王寺大銀杏(なき銀杏)由来
福島縣「緑の文化財」登録
天王寺大銀杏(なき銀杏)
樹齢約500年「天王寺大イチョウ」として、昭和58年2月、福島縣緑の文化財に登録される。
此の大木には、数百回も雷が落ちた跡があり、裏側が其れを物語っている。
また、無風状態で「ギギ―、ギギー」と、ないている様な音が聞こえるので「なきイチョウ」ともよばれ、運に恵まれた方は、その音を聞くことが出来るかも知れません。
大イチョウの中段には、大きな窪みがあり、そこには大蛇(数mもある青大将)が住みついているとの伝説が残っており、御参拝の方々を御守り下さる天王寺の御神木である。
根元の祠には
恵比寿様や大黒様・布袋様等です
北東側から
北側の根元から見上げました
北側から
北西側から、目通り幹囲5.4mの巨木です
観音堂脇の西側から
乳柱も見ることが出来ました
イチョウの西側の祠です
板碑です
そろそろ陽が沈む時間になります、福島市内へ移動しましょう