ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県福島市、飯坂町天王寺「天王寺の大イチョウ」(県緑の文化財)です!!

2022-11-14 18:29:33 | 巨樹・大木
 飯坂町天王寺地区は、福島市役所の北北西約10kmのところ

 国道13号線を北へ、信夫山トンネルを貫けて進みます

 東北自動車道福島飯坂インターチェンジ入口を過ぎて

 福島交通飯坂線の踏切を越えて、約700mで飯坂町原信号を右(北東)へ、県道5号線です
 
 県道を進んで突き当りの信号を左(北西)へ国道399号線飯坂バイパスです

 飯坂トンネルを貫けて最初の信号を左(北西)へ、県道319号線です

 約200m程で天王寺の案内板に従って斜め左へ、道成りに進んで案内板に従って鍵の手に進むと

 東向きの天王寺山門前に出ました

 参道右側(北側)の第一駐車場に車を止めさせて頂きました

 境内案内図です

 参道を進みます

 山門です

 手水舎です

 本堂です

 説明版です
  日本四天王寺の一寺
    天王寺の由来
 当山天王寺は大阪(難波)・谷中・富国の天王寺とともに日本四天王寺の一寺といわれ第31代用明天皇の開基と伝えられる。用明2年(587年)・厩戸皇子(聖徳太子)が物部守屋を討たれ佛法眞蜜即ち佛の道を修める道場の一つとして建立された。当初は、天王山天王寺と呼ばれ毘沙門天王(北方多聞天)と千手観音・地蔵菩薩を安置したのに初まるという。
 平安時代文治5年(1190年)源頼朝の平泉攻めで大鳥城落城の時共に兵火により焼失、その後鎌倉時代に法燈国師(佛心国師1206~1298年)が東北行脚にこの寺に入り安らかに禅をきわめる所として開山第一の祖となった。
 室町時代応安7年(1375年)智鑑禅師が七堂伽藍を建立し再興、その後世の盛衰によってこの寺も衰微、天正3年(1576年)時の飯坂領主飯坂右近将監宗康公が住職春翁正堂和尚とはかり中興に力をつくした。元禄年中(1688~1703年)に山火事があり類焼、その後、宝永7年(1710年)住職や檀徒の努力によって現在の本堂が建てられたものであり、1400年の歴史をもつ古刹である。
 宝物には、天王寺「什物」国指定重要文化財「経筒」須恵器系「甕」常滑「三筋壺」大百足の骨、伊達藩より拝領物等が展示されている。
    福島飯坂ライオンズクラブ
      昭和63年6月 

 目的のイチョウは、本堂北側一段上の薬師堂前です

 第二駐車場から見ました


 本堂側からの通路を通って観音堂へ向かいます

 説明版です
   延寿観世音菩薩について
 ここ天王寺は、日本四天王寺の一つである名刹である。この壇上にある観音堂には、奥州三十三観音・信達三十三観音共に11番札所として聖観世音様が安置されて居ります。
 この下手に皆様の御協力により「ぼけ除け延寿観世音菩薩」を建立させていただきました、観音様は「衆生救済」の仏様です。
 我共を「ぼけ」から救い、すこやかなる長寿に導いていただけることをねがっています。いまや日本は世界一の長寿国といわれておりますが、呆けたり寝たきりでは決して幸せとは申されません。人生80年、数多く参詣され、線香をささげ煙りを体にたむけて一生懸命念じ、共に白寿までもの長寿を全うしたいものです。
     村島正博 謹書
 
 鐘楼です

 観音堂です

 説明版です
  天王寺観音堂(三済閣)
 天正年間(1573~)伊達政宗公の父、伊達照宗公の寄進により、建立されたものであると伝えられ、別名を「三済閣」とも呼ばれている。
 「三」とは、老・病・死のことで「済」とはこれらを救うという意味である。
 堂内中央には聖観世音菩薩、左手には毘沙門天王、右手には地蔵願主菩薩が奉安合祀されている。
  聖観世音菩薩
 鎌倉時代の高僧 恵心僧都の作といわれる聖観世音菩薩は、香積観音とも呼ばれ、像高約40cm、檜材の素木座像で、古い時代の千手観音と釈迦如来を兼ねそなえた、有難い観音様(宝冠釈迦如来)である。
  奥州三十三観音第11番 御詠歌
   てらさめと にこれる世にも じげんして 草木もともに ちかいもらさず
  信達三十三観音第11番 御詠歌
   説きおける 法のはじめを 天王寺 知るや悟りの 佛ある世に
  毘沙門天王(北方多聞天)
 聖徳太子の御作といわれる等身大の毘沙門天王は、日本四天王の一つで、北方多聞天とも呼ばれている。
 毘沙門天王例祭(毎年旧正月初寅宵祭)には観音堂の前で、明々と燃え上がる火炎を作り、其れをとりまく多くの信者で賑わい、毘沙門天王御開帳には、参拝客が一斉に賽銭を投げ入れる奇祭の一つである。
 昔は、当地で盛んな養蚕信仰の神であったが、現在では、商売繁盛の神様として、飯坂花街の芸姑衆に人気がある。


 目的の大イチョウです


 説明版です
  緑の文化財 天王寺大銀杏(なき銀杏)由来
    福島縣「緑の文化財」登録
     天王寺大銀杏(なき銀杏)
 樹齢約500年「天王寺大イチョウ」として、昭和58年2月、福島縣緑の文化財に登録される。
 此の大木には、数百回も雷が落ちた跡があり、裏側が其れを物語っている。
 また、無風状態で「ギギ―、ギギー」と、ないている様な音が聞こえるので「なきイチョウ」ともよばれ、運に恵まれた方は、その音を聞くことが出来るかも知れません。
 大イチョウの中段には、大きな窪みがあり、そこには大蛇(数mもある青大将)が住みついているとの伝説が残っており、御参拝の方々を御守り下さる天王寺の御神木である。

 根元の祠には

 恵比寿様や大黒様・布袋様等です

 北東側から


 北側の根元から見上げました

 北側から

 北西側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 観音堂脇の西側から

 乳柱も見ることが出来ました

 イチョウの西側の祠です

 板碑です

 そろそろ陽が沈む時間になります、福島市内へ移動しましょう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島市飯坂町平野寺前「医王寺のシラカシ」(市指定)です!!

2022-11-14 12:30:12 | 巨樹・大木
 飯坂町平野寺前地区は、福島市役所の北北西約8kmのところ

 国道13号線を北へ、信夫山トンネルを貫けて進みます

 東北自動車道福島飯坂インターチェンジ入口を過ぎて

 福島交通飯坂線の踏切を越えて、約700mで飯坂町原信号を右(北東)へ、県道5号線です

 約650mで道路左に医王寺第2駐車場の案内板を左(西北西)へ入ります

 先の十字路に医王寺の案内板に従て右(北東)へ、医王寺の駐車場へ入ります

 医王寺入口です

 醫王蜜寺です

 

 山門の内側、土塀越に目的のシラカシを見ました

 もう一枚です、目通り幹囲5.5mの巨木です

 天然記念物標柱は、顔貫の陰になってしまっています

 説明版です
    記
 当寺は瑠璃光山医王寺といい平安時代淳和天皇の御代、天長3年(826)の開基で弘法大師御作の薬師如来をおまつりしております。
 当地方を信夫といい、信夫の荘司であった佐藤基治は、治承の昔(1177)大鳥城を居城とし奥州南部の広域を治め非常な権勢を持っていました。信仰心の篤い基治は、御堂を改修し堂塔伽藍を建立し源氏の再興を祈願し一族の菩提寺として寺門を興隆させました。
 やがて平泉の鎮守府将軍、藤原秀衡のもとにあった源義経は平家討伐に向かう時、基治はその子継信、忠信の二人を遣わしました。兄弟は義経の忠義な家来としてめざましい活躍をしたが、惜しくも兄継信は屋島の合戦で能登守教経の矢を受け義経を守る盾となり、また後に頼朝との和を失った義経一行が京都で追手に遭い苦戦に陥った時、弟忠信は義経を名乗って敵を引きつけ主君を逃がし自分は身代わりとなった。その後弁慶等と共に無事に奥州に下った義経一行は、平泉へ向かう途中大鳥城の基治に会い、継信・忠信の武勲を伝えるとともに、当寺に参籠して二人の追悼の法要を営みました。
 時は移っても、後の世まで伝わる継信、忠信兄弟とその妻たちの忠孝に心を打たれた松尾芭蕉や松平定信をはじめとする文人墨客が、香華を手向けております。   合掌
   真言宗 豊山派 瑠璃光山 医王寺

*ネットのシラカシの説明です
  福島市指定天然記念物
    医王寺のシラカシ
 シラカシは、温暖の地方を好む日本固有の常緑広葉樹で、本県では浜通り地方でも所々にその自生がみられます。
 本種は、樹幹が強靭で葉姿が清浄であるために、社寺の境内や屋敷の周りにも好んで植えられ、関東地方以南には巨樹や老木もありますが、東北地方では気候の関係上あまり大木を見ることができません。
 本樹は、寛永年間(1624~1643)の本寺院再建時に植えられたと伝えられる直幹の堂々たる大木で、若々しい様相を呈しています。
 太さは、根回り9.45m、目通り囲5.03m、樹高25m、推定樹齢300年で、樹下の陰面積は96㎡あります。
 東北地方では稀に見る巨樹なので、学術研究の資料及び福島市の自然を記念するにふさわしいものとして天然記念物に指定しました。
 長くこの木の生育を保つために、次のことを守ってください。
      記
 1、樹木の根をふまないこと。
 2、枝を折ったり幹を傷つけたりしないこと。
 3、生育をさまたげるような変更をしないこと。
   昭和41年2月7日指定
    福島市教育委員会
 *広い境内を見るには拝観有料です、日の暮れまであまり時間がないので、今日は拝観せずに次へ行くことにしました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島県福島市、飯坂町平野古舘「古舘の大ケヤキ」(市指定)です!!

2022-11-14 06:29:14 | 巨樹・大木
 飯坂町平野古舘地区は、福島市役所の北西約8kmのところ

 市役所前の福島市役所入口信号から国道4号線を南西へ、国道114号の交差点仲間町信号を右(西)へ進みっます

 国道13号線の交差点陣馬町信号の直ぐ先(西側)の信号を斜め右(北西)へ入ります、二つ目の信号から県道3号線です

 また二つ目の信号も県道3号線斜め左へ、JR東北本線の高架を潜ります、真っ直ぐに進んで国道13号福島西道路を潜り

 松川を上松川橋で渡り、東北自動車道の高架を潜り、約1.4kmで横断歩道の有る餃子店の先を右(東)へ細い道を入ります

 リンゴ畑を右に見て間も無く道路左に、「天然記念物 古館の大ケヤキ」の標柱です

 ここを北へ入ると

 正面に「古館集会所」です

 すぐ西側に目的の大ケヤキです

 ケヤキの前の広場に車を止めることが出来ました

 南側から

 説明版です
   福島市指定天然記念物
     古舘の大ケヤキ
 本樹は、稲荷神社の神木として、この地区の人々が保護のために協議決定証書を作成し、明治・大正の頃から現在まで保護してきたため、樹勢旺盛で、枝張り根張りともに充分であり、特に各枝が車輪状に広がっている様子は見事です。
 本樹は、古舘の土塁上に生育しており、ここは空堀などもよく残っていて舘跡としても大変貴重なところです。
  根回り13.7m 目通り囲6.7m
  樹高30.5m 陰面積760㎡
  推定樹齢300年
 このように福島市の自然を記念するにふさわしいものとして天然記念物に指定しました。
 長くこの木の生育を保つために、次のことを守ってください。
    記
 1,幹を傷つけたり枝を折ったりしないこと。
 2,育成をさまたげるような変更をしないこと。
   昭和47年5月2日
    福島市教育委員会

 赤い鳥居の稲荷神社です


 鳥居下から太い幹を見上げました

 ケヤキの根元に稲荷神社の祠です

 南西側から

 西側から

 稲荷神社の鳥居から上がって東側から

 北東側から

 北側は堀になっていて見えないので、北側へ車で移動しました

 リンゴ畑の細い砂利道から大ケヤキの北側を見ました

 幹は見えませんでしたが巨大な樹冠はわかりました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする