台地区は、気仙沼市役所の西北西約6kmのところ
気仙沼市役所前から、県道26号線を西へ、約300mの標識に従って「一関⇒」右の気仙沼街道へ入り進むと国道284号線です
約3.4km道成りに進み標識に従って「上八瀬」方面の右へ入ります、八瀬川の谷を国道284号線の高架を見上て上流へ
約2.8kmで道路右手に大岩があります(帰りに又みる事にしました)

約600mで道路右手にカッパの像が在ります

赤褌を着けていますね~

説明版です
河童とろくろ淵
台区の清水前橋から100mほど下流に大きな岩があります。昔、その辺りは人の背も立たない淵になっていました。
昔むかしのある暑い夏の日、清左衛門さんの馬があまりかせいだので(足のひざとひづめの間)に炎症をおこしてしまいました。冷やすとなおるので淵に連れてゆき痛めた足首を水に入れさせていました。
清左衛門さんがうとうとしていると、河童が淵から出てきました。馬のたづなを自分の体にゆわいつけました。淵の中へ引き入れようとしたのです、馬が驚いてかけ出しました。河童は馬に引きずられてゆきます。
清左衛門さんの家では、馬がひとりで走ってきたので、馬小屋を見に行きました。馬がふうふうおびえ、馬桶をひっくり返していました。馬桶を直してみると河童が隠れていました。
近所の人が大勢集まりました。いたずら河童をこらしめようとしたのです。河童は逃げられないと思い深くあやまりました。人々は許してやることにしました。
清左衛門さんが馬のろくろの炎症をなおすため足首を冷やしてやったので、ろくろ淵と言うのだそうです。
平成5年(1993)6月9日、河童の石像建立
八瀬ふるさとを語る会

河童建立の経緯
尾形文吾さんが、八瀬の昔ばなしに出てる河童の像を彫りたいと思い、長年気にかけていたところ、遠野市内で彫刻を見て形にした。
河童の愛称 カッピー
名付け親 吉田和広・菅原靖子
石像建立 平成5年6月9日
石像製作 尾形文吾
和歌の書 宝鏡寺住職 菊地秀道和尚
基礎工事 千葉一六・千葉昭一・吉田昭兵・西城栄一
屋根工事 菅原孝一
瓦提供者 (株)ヤマサカ
土地提供者 吉田昭兵
賽銭箱 千葉昭一
平成14年6月16日 八瀬のふるさとを語る会

説明版に有った岩を北側から

大きな岩です
では、次へ行きましょう

気仙沼市役所前から、県道26号線を西へ、約300mの標識に従って「一関⇒」右の気仙沼街道へ入り進むと国道284号線です
約3.4km道成りに進み標識に従って「上八瀬」方面の右へ入ります、八瀬川の谷を国道284号線の高架を見上て上流へ
約2.8kmで道路右手に大岩があります(帰りに又みる事にしました)

約600mで道路右手にカッパの像が在ります


赤褌を着けていますね~


説明版です
河童とろくろ淵
台区の清水前橋から100mほど下流に大きな岩があります。昔、その辺りは人の背も立たない淵になっていました。
昔むかしのある暑い夏の日、清左衛門さんの馬があまりかせいだので(足のひざとひづめの間)に炎症をおこしてしまいました。冷やすとなおるので淵に連れてゆき痛めた足首を水に入れさせていました。
清左衛門さんがうとうとしていると、河童が淵から出てきました。馬のたづなを自分の体にゆわいつけました。淵の中へ引き入れようとしたのです、馬が驚いてかけ出しました。河童は馬に引きずられてゆきます。
清左衛門さんの家では、馬がひとりで走ってきたので、馬小屋を見に行きました。馬がふうふうおびえ、馬桶をひっくり返していました。馬桶を直してみると河童が隠れていました。
近所の人が大勢集まりました。いたずら河童をこらしめようとしたのです。河童は逃げられないと思い深くあやまりました。人々は許してやることにしました。
清左衛門さんが馬のろくろの炎症をなおすため足首を冷やしてやったので、ろくろ淵と言うのだそうです。
平成5年(1993)6月9日、河童の石像建立
八瀬ふるさとを語る会

河童建立の経緯
尾形文吾さんが、八瀬の昔ばなしに出てる河童の像を彫りたいと思い、長年気にかけていたところ、遠野市内で彫刻を見て形にした。
河童の愛称 カッピー
名付け親 吉田和広・菅原靖子
石像建立 平成5年6月9日
石像製作 尾形文吾
和歌の書 宝鏡寺住職 菊地秀道和尚
基礎工事 千葉一六・千葉昭一・吉田昭兵・西城栄一
屋根工事 菅原孝一
瓦提供者 (株)ヤマサカ
土地提供者 吉田昭兵
賽銭箱 千葉昭一
平成14年6月16日 八瀬のふるさとを語る会

説明版に有った岩を北側から


大きな岩です

では、次へ行きましょう

