居平地区は、檜枝岐村役場のある下ノ原地区の直ぐ南側の地区です
続きです、「開拓者墓標の桂」の直ぐ南側に
井籠造り板倉です
説明版です
井籠造り板倉〈いろうづくりいたくら〉(村重要文化財)
最も古い形の板倉で、柱を使わず厚さ10cmほどの板を井籠のように組み合わせたもので、釘などの金具は一切用いない。
屋根には下葺き板をのせ、その上に樺の皮を敷き、さらにその上に楢の割板を葺く。建築の年代は定かでないが。建築の様式としては奈良の正倉院と同じで、建築史上重要な文化財である。
檜枝岐村
板倉集落
檜枝岐村は壁土がないため、昔から住家も倉も木造だった。そのため大切なものを納めた倉を火事から守るため住家から離れた所に建てた。
最も古いものは「井籠造り」で柱を使わず厚い板を井籠のように組み屋根は下葺板、樺の皮、割板を重ねて葺く。
次が「落とし板倉」で柱に横板を落として重ねた上に桁をかけ、下葺きの上に楢の割板を重ねて葺く。
「貫板倉」は軸組構造として貫が使用されており。縦方向に板を打ち付ける。
おおむね以上のような3工法があった。
檜枝岐村
*桧枝岐の集落の南側のミニ尾瀬公園入り口近くの国道沿いには、3工法の板倉が展示されています、屋根には大きな石が載せられています。
井籠造り板倉の左下には、平野家先祖平右衛門の墓です
平野家先祖平右衛門の墓
江戸時代、檜枝岐村駒ケ岳山系には「ハイタカ」と呼ばれる小型の鷹が生息しており、村では毎年、鷹の児を殿様に献上することとなっていた。
当時、平右衛門は肝煎(名主)であったが、ある年どうしても鷹の児を取ることができなかった。すると2人の村人が「名主はわざと鷹の児を取らなかった」と代官様へ訴えたため、平右衛門は村民の代表として若松の牢獄に入れられ、万治3年(1660)に牢死したという。
正面には「南無阿弥陀仏」と刻まれ法号はない。左側面には「平野平衛門」の刻名があるが年号等は判読不明である。
檜枝岐村
*昔は、讒言による牢死(処刑)が行われていたのです、現代ならばネットの炎上の様なものかもしれませんね~
南へ移動します、檜枝岐中央のバス停です
間も無く愛宕神社の入口です
参道を進みます
鳥居です
愛宕神社です
石段を上ります
中段に説明版です
御愛宕様
村内を一望できる高台にあり、火難、水難、風難とあらゆる際の悪を鎮め、守り給う神として村人の尊崇が高い。
享保20年(1735)3月の建立で、苔むした石段の数は108を数える。
例祭は5月12日で、当日は古典芸能檜枝岐歌舞伎を奉納する。
檜枝岐村
*下の写真は昭和33年の祭礼の写真の様です
更に残りの約50段を上ります
石段を登り切ると祠前の鳥居です
祠を左脇から見ました
祠の後ろに目通り約3m(目測)ケヤキの大木です
北側にもケヤキの木です
北東側下に、先ほどまでいた井籠造り板倉が見えています
淡い紫の花を咲かせるシャジンです
また長く成りそうなので、このへんで続きにしましょう
続きです、「開拓者墓標の桂」の直ぐ南側に
井籠造り板倉です
説明版です
井籠造り板倉〈いろうづくりいたくら〉(村重要文化財)
最も古い形の板倉で、柱を使わず厚さ10cmほどの板を井籠のように組み合わせたもので、釘などの金具は一切用いない。
屋根には下葺き板をのせ、その上に樺の皮を敷き、さらにその上に楢の割板を葺く。建築の年代は定かでないが。建築の様式としては奈良の正倉院と同じで、建築史上重要な文化財である。
檜枝岐村
板倉集落
檜枝岐村は壁土がないため、昔から住家も倉も木造だった。そのため大切なものを納めた倉を火事から守るため住家から離れた所に建てた。
最も古いものは「井籠造り」で柱を使わず厚い板を井籠のように組み屋根は下葺板、樺の皮、割板を重ねて葺く。
次が「落とし板倉」で柱に横板を落として重ねた上に桁をかけ、下葺きの上に楢の割板を重ねて葺く。
「貫板倉」は軸組構造として貫が使用されており。縦方向に板を打ち付ける。
おおむね以上のような3工法があった。
檜枝岐村
*桧枝岐の集落の南側のミニ尾瀬公園入り口近くの国道沿いには、3工法の板倉が展示されています、屋根には大きな石が載せられています。
井籠造り板倉の左下には、平野家先祖平右衛門の墓です
平野家先祖平右衛門の墓
江戸時代、檜枝岐村駒ケ岳山系には「ハイタカ」と呼ばれる小型の鷹が生息しており、村では毎年、鷹の児を殿様に献上することとなっていた。
当時、平右衛門は肝煎(名主)であったが、ある年どうしても鷹の児を取ることができなかった。すると2人の村人が「名主はわざと鷹の児を取らなかった」と代官様へ訴えたため、平右衛門は村民の代表として若松の牢獄に入れられ、万治3年(1660)に牢死したという。
正面には「南無阿弥陀仏」と刻まれ法号はない。左側面には「平野平衛門」の刻名があるが年号等は判読不明である。
檜枝岐村
*昔は、讒言による牢死(処刑)が行われていたのです、現代ならばネットの炎上の様なものかもしれませんね~
南へ移動します、檜枝岐中央のバス停です
間も無く愛宕神社の入口です
参道を進みます
鳥居です
愛宕神社です
石段を上ります
中段に説明版です
御愛宕様
村内を一望できる高台にあり、火難、水難、風難とあらゆる際の悪を鎮め、守り給う神として村人の尊崇が高い。
享保20年(1735)3月の建立で、苔むした石段の数は108を数える。
例祭は5月12日で、当日は古典芸能檜枝岐歌舞伎を奉納する。
檜枝岐村
*下の写真は昭和33年の祭礼の写真の様です
更に残りの約50段を上ります
石段を登り切ると祠前の鳥居です
祠を左脇から見ました
祠の後ろに目通り約3m(目測)ケヤキの大木です
北側にもケヤキの木です
北東側下に、先ほどまでいた井籠造り板倉が見えています
淡い紫の花を咲かせるシャジンです
また長く成りそうなので、このへんで続きにしましょう