栗駒鳥沢不動堂地区は、栗駒市役所の北約18km、栗原市役所栗駒総合支所の北約4kmのところ
栗原市役所栗駒総合支所前を東へ出て、約700mで突き当りを左(北)へ、県道182号線です
緩く右にカーブして約800mで、左(北)へ標識に従って「栗原市栗駒総合運動場⇐」方面へ
道成りに坂道を上って約900mで「栗駒総合体育館」の北側で斜め左へ入ります
約1.9kmで丁字路を左(北西)へ、約1.5kmで斜め右へ細い道へ入ります
坂道を上って行くと砂利道になり、道路右手に「町指定文化財 新山神社の不動の杉」の錆びたような標柱です
右下に新山神社の駐車場です
駐車場に入ります
鳥居です
新山神社の社號標?、東日本大震災鳥居復旧の石碑です
碑文
平成23年3月11日午後2時46分、マグニチュード9の巨大地震が発生、東日本一帯の沿岸都市を大津波が跡形もなく壊滅し、2万余人あまりの尊い生命が犠牲になった。
更に、4月7日の震度7の余震は、大正初期に建立した新山神社の鳥居も地震に耐えかね崩壊した。
新しく鳥居を建立するにあたり、建設費は新山神社山林を走る東北電力線下保証費766500円をあてた。
新山神社総代長 土井孝敏 撰文
平成24年4月28日
大石の所には祠が並びます
石段を上ります
狛犬です
手水鉢が並びます
拝殿です
軒下に由緒書きです
新山神社の由緒
宗教法人認証 昭和27年8月18日 指令第5480号
祭神 天之手力男神
例祭日 4月28日・9月28日
由緒
戦国時代土井伊橡守の家臣某落人となり此の地に住居し、お堂を建て、金佛の不動明王を守本尊として守護し、崇敬し来れりという。これが不動堂の地名となり、今尚土井氏の子孫と称するもの繁栄している。
くだって、文化2年(今より約190年前)神社として創建され、藩主伊達摂津守の立願により再建され、通称お不動様として崇敬を受け現在に至る。
境内地 18反670
境外地 264反432
神社有保安林130反329
これは、昭和57年8月森林開発公団と分収造林として契約す。
昭和60年1月
本殿です
拝殿の南側に社務所の建物です
「記念物 不動之杉」標柱です
社務所の建物後ろ側に斜面に目的の「不動の杉」と「ねづれ杉」です
ズームアップしました、手前の「不動の杉」には注連縄が巻かれています
手前の「不動の杉」です
奥側の方が太くてより捻じれていますので「ねづれ杉」、目通り幹囲4.1mの大木です
では、次へ行きましょう
栗原市役所栗駒総合支所前を東へ出て、約700mで突き当りを左(北)へ、県道182号線です
緩く右にカーブして約800mで、左(北)へ標識に従って「栗原市栗駒総合運動場⇐」方面へ
道成りに坂道を上って約900mで「栗駒総合体育館」の北側で斜め左へ入ります
約1.9kmで丁字路を左(北西)へ、約1.5kmで斜め右へ細い道へ入ります
坂道を上って行くと砂利道になり、道路右手に「町指定文化財 新山神社の不動の杉」の錆びたような標柱です
右下に新山神社の駐車場です
駐車場に入ります
鳥居です
新山神社の社號標?、東日本大震災鳥居復旧の石碑です
碑文
平成23年3月11日午後2時46分、マグニチュード9の巨大地震が発生、東日本一帯の沿岸都市を大津波が跡形もなく壊滅し、2万余人あまりの尊い生命が犠牲になった。
更に、4月7日の震度7の余震は、大正初期に建立した新山神社の鳥居も地震に耐えかね崩壊した。
新しく鳥居を建立するにあたり、建設費は新山神社山林を走る東北電力線下保証費766500円をあてた。
新山神社総代長 土井孝敏 撰文
平成24年4月28日
大石の所には祠が並びます
石段を上ります
狛犬です
手水鉢が並びます
拝殿です
軒下に由緒書きです
新山神社の由緒
宗教法人認証 昭和27年8月18日 指令第5480号
祭神 天之手力男神
例祭日 4月28日・9月28日
由緒
戦国時代土井伊橡守の家臣某落人となり此の地に住居し、お堂を建て、金佛の不動明王を守本尊として守護し、崇敬し来れりという。これが不動堂の地名となり、今尚土井氏の子孫と称するもの繁栄している。
くだって、文化2年(今より約190年前)神社として創建され、藩主伊達摂津守の立願により再建され、通称お不動様として崇敬を受け現在に至る。
境内地 18反670
境外地 264反432
神社有保安林130反329
これは、昭和57年8月森林開発公団と分収造林として契約す。
昭和60年1月
本殿です
拝殿の南側に社務所の建物です
「記念物 不動之杉」標柱です
社務所の建物後ろ側に斜面に目的の「不動の杉」と「ねづれ杉」です
ズームアップしました、手前の「不動の杉」には注連縄が巻かれています
手前の「不動の杉」です
奥側の方が太くてより捻じれていますので「ねづれ杉」、目通り幹囲4.1mの大木です
では、次へ行きましょう