居平地区は、檜枝岐村役場のある下ノ原地区の直ぐ南側の地区です
「橋場のばんばと檜枝岐神社の奉納歌舞伎舞台」からの続きです
役場前の観光案内図の真ん中「檜枝岐の舞台」のところに「鎮守神社」が表記されています
鎮守神社の参道です
南側観覧席脇に目通り幹囲3mのケヤキの大木です(環境省巨樹データベースより)
観覧席の一番上に疱瘡神の社です
疱瘡神の社殿は東向きに鎮座します
説明版です
疱瘡神由来
当疱瘡神は、元禄9年(1696)秋、全国に疱瘡ややりし折、当村重郎兵衛の子次郎助疱瘡にかかり発熱悶絶すれば、神この子に乗り移り給い次のようお告げになったことに始まる。
神曰く、「吾は疱瘡観音にして疱瘡神なり、吾は信濃国善光寺の境内に住おりしが、盗人に火を付けられ、そこを飛び出し、常陸出羽国を初め立岩村光照寺に7年、利根小中村に7年と諸国を廻り此地に至る。
当地は山川の眺め清く、民の心も誠実で住みよき所なれば、吾此地に永住し民の心の守神と成る。故社を建つべし・・・云々」
氏子一同にお告げの通り社を建て神を安置し、白夜崇らば、その後疱瘡はやりても軽くすみ村中益々栄た。(疱瘡由来記より)
檜枝岐村
社の上にトチノキの巨木です
目通り幹囲5.4mの巨木です
トチノキの一段上の木が倒れて大きな幹の先は伐られています
鎮守神の社前右手に大きなモミノキです
南側から、目通り幹囲3.6mの大木です(環境省巨樹データベースより)
北側から見上げました
では、次へ行きましょう
「橋場のばんばと檜枝岐神社の奉納歌舞伎舞台」からの続きです
役場前の観光案内図の真ん中「檜枝岐の舞台」のところに「鎮守神社」が表記されています
鎮守神社の参道です
南側観覧席脇に目通り幹囲3mのケヤキの大木です(環境省巨樹データベースより)
観覧席の一番上に疱瘡神の社です
疱瘡神の社殿は東向きに鎮座します
説明版です
疱瘡神由来
当疱瘡神は、元禄9年(1696)秋、全国に疱瘡ややりし折、当村重郎兵衛の子次郎助疱瘡にかかり発熱悶絶すれば、神この子に乗り移り給い次のようお告げになったことに始まる。
神曰く、「吾は疱瘡観音にして疱瘡神なり、吾は信濃国善光寺の境内に住おりしが、盗人に火を付けられ、そこを飛び出し、常陸出羽国を初め立岩村光照寺に7年、利根小中村に7年と諸国を廻り此地に至る。
当地は山川の眺め清く、民の心も誠実で住みよき所なれば、吾此地に永住し民の心の守神と成る。故社を建つべし・・・云々」
氏子一同にお告げの通り社を建て神を安置し、白夜崇らば、その後疱瘡はやりても軽くすみ村中益々栄た。(疱瘡由来記より)
檜枝岐村
社の上にトチノキの巨木です
目通り幹囲5.4mの巨木です
トチノキの一段上の木が倒れて大きな幹の先は伐られています
鎮守神の社前右手に大きなモミノキです
南側から、目通り幹囲3.6mの大木です(環境省巨樹データベースより)
北側から見上げました
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