ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県気仙沼市、唐桑町宿浦「早馬神社のイチョウ」(市指定)です!!

2023-08-09 18:31:25 | 巨樹・大木
 唐桑町宿浦地区は、気仙沼市役所の東約7km、気仙沼市役所唐桑支所の西約800mのところです

 気仙沼市役所唐桑支所を南へ西へ出て、丁字路を右(西)へ

 「下二本杉」の前を通って道成りに進むと宿浦の港が見えて来ます 

 道路右手に早馬神社が南東向きに鎮座します、参道脇に広い駐車場がありますので利用させて頂きました

 参道一ノ鳥居は南向きに建っています

 早馬神社の社號標です

 鳥居の右側には「昭和8年3月3日・大震嘯災記」碑です、碑面には「地震があったら 津波の用心」と有ります

 説明版です
   早馬神社
  御祭神   稲倉魂命
  例祭日   9月19日
  神幸船祭 10月第一日曜日
由緒
 建保5年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の宮司であった梶原専光坊僧正景實(かじわらかげざね・梶原景時公の兄)は、正治元年(1199年)の源頼朝公の死亡、これを追うかのような梶原景時一族の没落、又、和田、畠山氏が滅んで行くのを見て世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中の当町石浜に辿りつきそこを切り開き住む。
 居宅の脇に一廟を建て、源頼朝公(鎌倉幕府初代将軍)、梶原景時公(源頼朝公第一の家臣)、梶原景孝公(景時公の子)の御影を安置し、一族の冥福を祈り菩提を弔う為、梶原神社を崇め奉る。
 建保7年(1219年)一族の梶原三郎兵衛尉景茂の子である第二代大和守景永は景實僧正の後を慕いこの地に至り景實の猶子となる。
 景永は神職となり、早馬大権現別当として早馬山頂に社殿(奥宮)を建立する。山号は早馬山、寺号を漢曼寺と称す。
 正慶元年(1332年)、第5代大和守慶永の時、紀州熊野本宮より本地佛阿弥陀薬師観音を勧請し社殿を新たに建立。以後、奥宮、里宮合わせ数度の建て替えが行われる。
 本山派修験良厳院累世社務を掌り現宮司で33代目となる。
 仙台藩時代には伊達家の祈祷師として仕え九曜紋を授かる。
 明治、神仏分離令により早馬大権現より現社号に改め現在に至る。
祭礼・神幸祭には、神輿渡御、船祭り、献膳祭、打囃子、稚児行列が執り行われる。
 奥宮  早馬山頂(漁火パーク徒歩15分)
 兼務社 八雲神社(越路 天王山頂)
 境内社 不動尊神社、金刀比羅神社、天照皇大神、若木神社、祖霊社

*前のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも話題の「梶原景時公」ゆかりの神社とあるわけですね

 参道の右てに目的のイチョウです

 南側から

 太い幹には沢山の乳柱が出ています

 南西側から、目通り幹囲6.4mの巨木です

 西側から見ました

 参道石段を上がります

 中段に手水舎です

 前からイチョウを見ました

 東日本大震災時の参道の様子がパネルで展示されています、手水舎のところに乗用車が流されて来ていました


 更に上がります

 またふり返ってイチョウを見ました

 *イチョウも津波を被ったようですが、3月11日はまだ葉芽が出ていない時期だったので海水の影響はなかったのでしょう
 *2023年7月現在Googleマップのストリートビューで2013年6月の神社鳥居前の様子がみることが出来ました、参道入口の鳥居はまだ無く、周辺の建物もまだ再建されていません、現在の駐車場には草が生えていますがイチョウは枝先まで緑の葉を付けているのが確認できます。

 拝殿です

 本殿です

 早馬神社由緒の説明版でです

 境内南側の「撫で馬」です

 東日本大震災のパネルです、撫で馬も波にのまれていたようです

 境内にも大津波到達点の石碑です、上の横線の位置まで津波が来たということは社殿も浸水してしまったようです
 *平成23年(2011)3月11日 東日本大震災 唐桑復興記念碑
     大津波到達点 子々孫々語り継げ
 東日本大震災大津波により宿浦地区には約15mの津波が押し寄せ、神社境内には2.2m浸水、唐桑沿岸全体が被災した。
 この碑は全国より唐桑の早期の復興を祈願してこんりゅうされる。

 境内の不動尊神社です

 ケヤキの大木が見えました

 では、次は行きましょう
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宮城県気仙沼市、唐桑町馬場「下二本杉」(県指定)です!!

2023-08-09 12:47:00 | 巨樹・大木
 唐桑町馬場地区は、気仙沼市役所の東北東約km、気仙沼市役所唐桑支所の有るところ

 気仙沼市役所唐桑支所から南へ出て丁字路を右へ

 支所の直ぐ南西側の道路脇右側に「下二本杉」が見えてきます

 向かい側の唐桑小学校跡が復興住宅になっていますので、入口脇に車を止めさせて頂きました

 南東側から二本を見ました

 東側の一本です、目通り幹囲5.9mの巨木です

 「宮城県指定天然記念物下二本杉」と「ふるさとの樹木保存事業」の標柱です

 文面には・・・この「下二本杉」を保存のため、皆様方からご協力いただいた「緑の募金」の寄付金を使わせてもらい設置しました。
  気仙沼市公益社団法人 宮城県緑化推進協議会

 西側の一本です、目通り幹囲5.3mのこちらも巨木です

 南西側から見ました

 では、次へ行きましょう
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宮城県気仙沼市、唐桑町竹の袖「賀茂神社のケヤキ」です!!

2023-08-09 06:29:02 | 巨樹・大木
 唐桑町竹の袖地区は、気仙沼市役所の北東約9kmのところ(唐桑支所からは約8kmですが・・・)

 気仙沼市役所前から県道26号線を東へ、五十鈴神社を右に見て左にカーブして北へ

 約1.5kmで右(東)へ国道45号線を道成りにここから約7.7km進みます

 大理石海岸入口を左に見て、約1.8kmで国道左下に

 加茂神社が見えて来ます

 
 国道から境内南側へ降りて来ました

 境内南側に車を止めさせた頂きました

 西側から目的のケヤキを見ました

 南側から見上げました、目通り幹囲5.2mの巨木です

 根元の石碑はケヤキの幹に取り込まれています

 南東側から

 東側から見ました

 鳥居です

 社殿です

 説明版です
   賀茂神社
 ご祭神 天照皇大神
     賀茂別雷神
 祭神系図 神皇産霊神ー賀茂建角身命(下鴨神社)ー玉依媛命(丹塗矢)大山咋命ー賀茂別雷神
鎮座沿革
 当社の創建は、建久3年(1192年)京都市鎮座、元官幣大社賀茂別雷神社(上賀茂社)よりの分霊社にて賀茂神社最初の分霊社と伝わる。
 勧請年代は後鳥羽天皇の御代、当地、朝日舘の館主、星右京太夫平忠國が奥州気仙郡小原木郷を鎌倉将軍より給ひ、関東下向の際身の守護神として勧請、この地に氏神として建立。
 明治維新後村社の列格され、明治39年、勅令により神饌弊帛料供進の指定神社となる。
祭神の御事歴並に御神徳
 神武天皇の東征の折、多大なご神意を挙げた賀茂建角身神の御孫神にて、専ら国家を守護し、開拓、五穀豊穣の恩徳と仰ぎ、天変地異等に對する御祈願に霊効ありて、御神徳の弥高きを仰ぎ氏子、崇敬者の安泰、海上、陸上安全、稲田の災害除け等に至るまで霊験顕著にて其の信仰は近郷近在と広く崇敬されております。
賀茂皇大神ノ御託宣
 一度吾前に来て一禮を成す者は其思をしたかいて神力を加て思いをとげん、増して日を重ねてたのまん人において親とあり。
社殿
 ご社殿は古くは21年毎の式年にて造営、改修されていたが、現在の社殿は嘉永4年(1851年)の造営にて、その後、修理改修され、昭和45年の国道改修工事により西側に一社殿分移転、かさ上げされる。
 平成23年3月の東日本大震災では氏子区内の半数が被災、全壊、流失し、当社ご社殿も3m程の波に被災したが、全壊を免れる。
 境内からは広田湾を望み、大沢漁港、小田漁港の定置網漁は全国の鰹漁船の餌鰯の供給基地として栄えている。
主な祭典諸神事
 当社の例祭は古くは旧暦10月14日であったが、現在11月3日に改め行われ、前夜より祭儀厳かに行われ、古来より神職だけで舞われている本吉法印太々神楽が神前に奉納される。
 また旧暦閏年の翌年、正月には五日堂祭で神輿の渡御が行われ、当地、沢虎舞、伊勢神楽(柴木祭り)、手踊り等と共に地区内を巡る。
 例大祭(11月3日)祈年祭 新嘗祭
 式年大祭ー五日堂・渡御祭(旧暦、閏年の翌年正月)
 その他、昇殿祈祷、出張祭、諸神事、随時斎行
    小原木総鎮守 賀茂神社


 社殿前から国道45号線の橋と道路の嵩上げ、青野沢川の堤防工事と進んでいました


 国道上から大沢漁港を見ました

 では、次へ行きましょう

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