別所地区も荒川の西側です、法泉寺は秩父市役所の西南西約2.5kmのところ
秩父市役所の南側の証人通りを西へ約1.7km道成りに進んで、荒川を佐久良橋で渡って
丁字路を左(南)へ県道72号線です、約1kmで道路左てに駐車場がります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/37/a9abb89617d8937a8c61cb16963f8c22.jpg)
直ぐ先に法泉寺の参道入口です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/bd/5dd8d1d296ae25b8305b3491cb4d4dda.jpg)
24番の石碑です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/1b/effdb2f7581ab882093dd94c853929e3.jpg)
説明版です
市指定史跡 札所24番
光智山 法泉寺
この札所は、三間四面方形づくりで、江戸中期になるもので、唐様を随所に配し、変化のある意匠をこらして妙味ある本堂であります。
特に唐戸は凹字形に後退してつけ、左右に仁王像をまつり、八角柱で変わったつくりをみせています。
本尊は聖観世音一木造りの坐像、像高25cm、室町時代の作で、宋朝風のものといわれます。
養老元年の昔、越前の大徳泰澄、夢のお告げにより、この霊地に加賀の白山を勧請したものといわれ、本尊も当山より現われし観音像を安置奉祀したといわれます。
又、武州恋ケ窪の遊女、口内の病に悩んでいたところ、秩父の修行僧が1本の楊枝を与え、白山の観音を信じてもちうべしと教えられ、歓んで信心し、かの楊枝で口内をそそいだところ、忽ちにして癒えたという縁起があります。
昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/cd/f37d9ada8b99deb5fb5396fc189387bc.jpg)
南東向きの参道石段を上ります![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_t.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/98/f4a4031c64c4b033b3b241e5bf2d858c.jpg)
石段上部から振り返ると武甲山が綺麗に見えました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/c7/d9ecadb0f2a731640a512a3f4f3ede12.jpg)
少し左に観音堂です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/c6/be8dd54de29c8eca93f083e7f2a80cc6.jpg)
手水舎です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/00/1c8daecc90b5e326dae650cf70eb7069.jpg)
説明版です
市指定史跡
秩父札所第二十四番 光智山法泉寺
この札所は三間四面方形づくりで江戸中期になるもので、唐様を随所に配し変化のある意匠をこらして妙味のある本堂であります。
特に唐戸は、凹字形に後退してつけ、左右に仁王像をまつり、八角柱で変わった造りをみせております。
本尊は、聖観世音一本造りの坐造で、高さ25cm室町時代の作で宋朝風のものと云われます。
養老元年の昔、越の大徳泰澄、夢のお告げにより、この霊地に加賀の白山を勧請したものと云い、本尊も彼の山より表わし像を刻み、まつったという。
又武州恋が窪に慈悲深い遊女がこの観音を信じ、修行毎朝怠らず食を供したと云う縁起があります。
昭和48年4月檀信徒関係者各位の浄財により屋根の改修を終わったところであります。
昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/4e/1c0524f06f13dace577674d34c456bd8.jpg)
六地蔵様です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/ec/23657f4ab6f54fa7ed4388e9e7bebe08.jpg)
正面から観音堂です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/8a/651c7343f216866604b094333f866c0f.jpg)
軒下の鰐口と額です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/7c/09a8a95c940f3e58382e1d95c01bfde1.jpg)
境内の東屋のテーブルに巡礼道の説明が有りました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
では、次へ行きましょう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cars_red.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/up.gif)
秩父市役所の南側の証人通りを西へ約1.7km道成りに進んで、荒川を佐久良橋で渡って
丁字路を左(南)へ県道72号線です、約1kmで道路左てに駐車場がります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/37/a9abb89617d8937a8c61cb16963f8c22.jpg)
直ぐ先に法泉寺の参道入口です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/bd/5dd8d1d296ae25b8305b3491cb4d4dda.jpg)
24番の石碑です
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説明版です
市指定史跡 札所24番
光智山 法泉寺
この札所は、三間四面方形づくりで、江戸中期になるもので、唐様を随所に配し、変化のある意匠をこらして妙味ある本堂であります。
特に唐戸は凹字形に後退してつけ、左右に仁王像をまつり、八角柱で変わったつくりをみせています。
本尊は聖観世音一木造りの坐像、像高25cm、室町時代の作で、宋朝風のものといわれます。
養老元年の昔、越前の大徳泰澄、夢のお告げにより、この霊地に加賀の白山を勧請したものといわれ、本尊も当山より現われし観音像を安置奉祀したといわれます。
又、武州恋ケ窪の遊女、口内の病に悩んでいたところ、秩父の修行僧が1本の楊枝を与え、白山の観音を信じてもちうべしと教えられ、歓んで信心し、かの楊枝で口内をそそいだところ、忽ちにして癒えたという縁起があります。
昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/cd/f37d9ada8b99deb5fb5396fc189387bc.jpg)
南東向きの参道石段を上ります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/arrow_t.gif)
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石段上部から振り返ると武甲山が綺麗に見えました
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少し左に観音堂です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
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手水舎です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
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説明版です
市指定史跡
秩父札所第二十四番 光智山法泉寺
この札所は三間四面方形づくりで江戸中期になるもので、唐様を随所に配し変化のある意匠をこらして妙味のある本堂であります。
特に唐戸は、凹字形に後退してつけ、左右に仁王像をまつり、八角柱で変わった造りをみせております。
本尊は、聖観世音一本造りの坐造で、高さ25cm室町時代の作で宋朝風のものと云われます。
養老元年の昔、越の大徳泰澄、夢のお告げにより、この霊地に加賀の白山を勧請したものと云い、本尊も彼の山より表わし像を刻み、まつったという。
又武州恋が窪に慈悲深い遊女がこの観音を信じ、修行毎朝怠らず食を供したと云う縁起があります。
昭和48年4月檀信徒関係者各位の浄財により屋根の改修を終わったところであります。
昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/4e/1c0524f06f13dace577674d34c456bd8.jpg)
六地蔵様です
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正面から観音堂です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
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軒下の鰐口と額です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)
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境内の東屋のテーブルに巡礼道の説明が有りました
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では、次へ行きましょう
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