ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県長岡市、上来伝、菅原神社(来伝天神)の二本杉です!!

2016-06-18 09:18:52 | 巨樹・大木
菅原神社は、ほたれ大神から更に登って行きます

約2km上来伝集落の北東側斜面に在りました

社殿西側に駐車場が有ります




参道です二本の杉の間を通ります

参道の石段です

社殿下の境内です

牛は天神様の印ですね

菅原道真の像です

手水舎です

由来です
  来伝天神の由来
    上来伝は、村の開拓の初日に落雷があった為、開拓成就の吉祥として、雷田の名が付いたとされて
   います。
    雷田は、やがて来伝に替わりますが、雷神が天満大自在天神として祀られた、学問の神天神様、つ
   まり、菅原道真公に通じると言う事から、上来伝に天神様が祀られました、
    天神様のご加護の賜物からか、以来、上来伝は、日本的名僧、大﨑行智師 椿精一博士、大﨑仁
   元文化庁長官などの知識人を輩出し、それが来伝天神の名を近郷近在に広める事に成りました。
    ことに近年「ごを書く石」の合格神社として、マスコミに多数取りあげられ、市内外はもとより、
   全国にもその名が知られる様に成りました。



二本杉です、右の杉が目通り5,6mの巨木です

西側のイチョウです

元はもっと大きなイチョウがあったようです

社殿です

社殿裏側に薬師堂ですが、薬師様と稲荷様が祀られています

では、次へ行きましょう
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新潟県長岡市、ほだれ大神と下来伝の大杉です!!

2016-06-17 05:20:18 | 巨樹・大木
ほだれ大神は、長岡市役所の東約16kmのところ

静御前の墓の南西3kmほどです

国道290号線を南へ1500mほどの赤谷で来伝川右岸に渡り

市道を道なりに進むと


カーブの所に大杉が見えて来ます(カーブの先に駐車スペースが有ります)


ほだれ大神の祠の脇に下来伝の大杉が在ります

長岡市指定文化財 下来伝の大杉 の標柱です

根元には~双体道祖神様等々

ほだれとは

子授け子孫繁栄の神様ですね

ほだれ大神の祠の中には、日本一の2.2m600kgのほだれ様がいらっしゃいます

毎年3月第2日曜に祭りが行われます、ほだれ様を神輿にし、その上に新嫁を載せて練り歩くとか




御神木です



南側から見上げると、一緒に並ぶケヤキが目立ちます

東側から見上げると二俣に分かれた幹が良く解りました

目通り幹回り8mの巨木です

では、次へ行きましょう
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新潟県長岡市、静御前の墓です!!

2016-06-16 09:49:55 | 遺跡・史跡
静御前の墓は、長岡市役所の東約16kmのところ、かつての栃尾市です

国道351号線を東へ新榎トンネル(390m)を越えると栃尾です

道の駅R290とちおの所で、国道290号線を南へ

1、5kmほどの所で県道347号線に入ると間もなく左側斜めに登る道路があります

大きな案内板が有りますが、登る道路は少し手前です(墓へ案内板の真上)

斜面を登ると左側に駐車スペースが有ります、反対側に

案内板が有ります
                                                   
ここが静御前の墓苑です

こちらが静御前の墓です

説明版です

   栃尾の源氏ゆかりの史跡
     静御前の墓        栃堀区
    京都の白拍子(しらびょうし・当時、歌や舞を舞うことを職業にしていた女性)だった静御前
   (しずかごぜん)は源義経に見初められて、その愛妾になります。
    やがて、義経は兄の頼朝の怒りをかって追われる身となり、東北の平泉へ藤原氏を頼って落ち
   て行きます。
    静は吉野山で捕らえられ、鎌倉の頼朝の前で義経を思う舞を舞います。その後、釈放された静
   は平泉にいる義経を追って、ここ栃堀の地へ辿り着きました。
    栃堀から山脈を越えて会津へ出、はるかな平泉をあすつもりでした。ところが、長旅の疲れか
   ら静は床に伏せ、二人の従者の看病のかいもなく栃堀で果てたとさrています。従者たちは里人
   の力を借りて静の遺骸をこの地に埋葬し、その麓に庵を立てて静の霊を守ったと伝えられていま
   す。
    静の戒名は「源貞院殿松寿妙栄大姉」とさえています。

                                     長岡市栃尾
   

こちらは供養塔です

供養塔説明版です
   栃尾の史跡巡りコース
     静御前の供養塔      栃堀区
    この石塔は、明治時代の末期、刈谷田川の対岸の小向(こむかい)村に住んでいた福王寺(ふく
    おうじ)セイという16歳の娘が、静御前の墓の痛みが進むことを悲しみ、自ら織物を織って稼
    いだお金で静御前の墓を建て直そうと決意したことに起因して建てられたものです。しかし、一
    心不乱に織物を織り始めたセイは、それから二年後18歳の若さで病没してしまいました。
     セイの父親である長右衛門は、セイの志を継ぎ、周囲の人たちの協力を得てこの石塔を建立し
    ました。
     この石塔は、静御前と福王寺セイを共に弔うために建てられた供養塔です。
                                      長岡市栃尾




東側には新しいレリーフの供養塔もあります

では、次へ行きましょう
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新潟県五泉市、切畑観音堂と乳銀杏です!!

2016-06-15 08:19:34 | 巨樹・大木
切畑観音堂は、五泉市役所の東南東約5kmのところ

菅名岳の北西裾にあります、牧の衛守杉から村松を抜けて

国道290号線を北東にすすむと、JR磐越西線を陸橋で超える手前を東へ入ります

案内板に従って、大きな工場敷地を回り込むように進むと

この案内板の前の道路脇に車を置かせていただきました

切畑観音堂です

詩の額が掛かっています


乳銀杏です

新潟県文化財 切畑の乳銀杏の標柱です

乳が見られます

説明版が有ります
    新潟県指定天然記念物
      切畑の乳銀杏(きりはたのちちいちょう)
        樹   種   イチョウ―――チチイチョウ―――(いちょう科)
        所 在 地   五泉市大字切畑字前田
        指定年月日   1958年(昭和33)年3月5日
       菅名岳の山ろく、切畑の集落にある観音堂の斜め前に周囲の老木を圧倒しているイチョウの
      巨木があります。これが県指定天然記念物「切畑の乳銀杏」です。
       幹の周りから数十本の乳柱が垂れ下がっていることから、俗に「乳銀杏」と呼ばれています。
       樹齢1000年を越える巨樹には樹霊が宿るといわれてますが、このイチョウはまさに威厳
      に満ちています。
       樹高は約40m、根本の西側から多くの新しい支幹が生えて束状になっています、この支幹
      を含んだ幹まわりは12mにおよんでいます、枝張りは東9.5m、西15.5m、南13.
      5m、北8mで、県内まれにみる雄イチョウの老大木です。
樹幹部から多くの乳柱が下がっていることから、この木を拝めば、乳が良く出ると伝えられ
      ています、昔から母乳や安産の霊木として、近郷の人々から信仰され、大切に守られています。
       乳柱は大きくなった樹幹のつけ根付近から鍾乳石状に垂れて出るもので、軟らかい細胞に多
      量のデンプンが含まれています。
       乳柱が雄木に多く雌木に少ないのは、雌木は結実によって栄養分を消費するからだと考えら
      れています。
       奈良時代に東大寺の大仏建立に尽力した僧行基が、807(大同2)年北国巡錫のおり、こ
      のイチョウの枝を切り取り、身丈5尺(約1,5m)の十一面観音を彫り安置したとの伝承が
      あります。この観音像は、天保13年(1843)以前に観音堂とともに焼失しました、現在
      の観音堂は、天保13年に再建されたものです、その時、再びこのイチョウの枝を切り取って
      十一面観音像を彫ったといわれています。
       なお、この観音堂は、蒲原三十三観音霊場第3番の札所となっています。
                      2003(平成15)年3月  五泉市教育委員会 





観音堂側から見上げました

では、次へ行きましょう
       


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新潟県五泉市、牧の衛守杉です!!

2016-06-14 17:57:47 | 巨樹・大木
牧の八幡宮は、五泉市役所の南南西約8kmのところ

かつての村松町の西の端、加茂市との境近くにあります

国道290号線を南へ、、大蒲原小学校前で県道511号線を西へ進むと

県道脇に、赤鳥居が有ります、脇に説明版が有りますので

向かい側の、集会所の駐車場に車を止めさせて頂きました




村社八幡宮入口の鳥居です

鳥居脇に説明版です
     新潟県指定天然記念物    (昭和53年3月29日指定)
       牧の衛守杉
      樹齢1000年以上と推定され、古くから八幡宮の御神木として人々に崇められてきました。
      根回り10、5m、目通り廻り7、85m、樹高35mの巨木です。
                                松村町教育委員会

石段を登り切ると拝殿です

本縁です


境内社です


社殿左手の裏山斜面に衛守杉が有ります


少しだけ近づきましたが、斜面を登れないので諦めました

では、つぎへ行きましょう     

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新潟県阿賀野市、梅護寺の八房梅と数珠掛桜です!!

2016-06-13 09:48:41 | 文化財・寺社
梅護寺は、阿賀野市市役所の南西約4kmのところ

阿賀野川右岸の県道586号線脇に有ります

梅護寺の西側300m程に駐車場が有ります

県道から見た梅護寺です

親鸞上人像です


入口に、越後七不思議 親鸞聖人 八房梅 数珠掛櫻 両御旧跡の石碑が有ります

八房梅はこの中に有ります

親鸞聖人八房梅の石碑が根元に有ります



梅の木は沢山あるようです


梅の実が残っていました

北側に鐘楼が有ります

県道の南側に数珠掛桜が有ります

数珠掛ザクラの石碑です、後ろ側に桜の木が並びます

説明版が有ります
  天然記念物
    梅護寺の数珠掛桜
      昭和2年4月8日    文部省指定
    指定の理由
      この桜の花は、一様に紅色で花びらは約80枚あり、花序が数珠のようにうつむいて垂
     れ下がり、八重桜の中でも特別に美しい品種なので、昭和2年4月8日国の天然記念物に
     指定された。
    由来
      浄土真宗の宗祖、親鸞聖人が越後の国へ流罪され、その間宗教活動のため、梅護寺の付
     近にこもられた。
      この土地から他へ向かうときに、手に持っていた数珠を桜に掛けて「私の教えに誤りが
     なければ、この桜の花は数珠のようになるだろう」といわれた。
      不思議なことに、この桜の花は紅色で数珠のようになったと言い伝えられえいる。
                              阿賀野市教育委員会

越後七不思議には、このほかに
    逆さ竹(さかさダケ)
    焼鮒(やきフナ)
    三度栗(さんどグリ)
    繋ぎ榧(つなぎガヤ)
    片葉の芦(かたはのアシ)
 が、あります、片葉の芦は2014年10月3日にこのブログで紹介しました、他は又の機会に

では、次へ行きましょう
      
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新潟県新潟市西蒲区、国指定重要文化財、種月寺です!!

2016-06-12 14:12:03 | 文化財・寺社
種月寺は、西蒲区区役所の南西約5kmのところ

岩室温泉の西の端に有ります、入口脇に日帰り温泉が有ります

越後四箇所古道場 曹洞宗 種月寺の入口です
   

  越後曹洞宗4大道場の一つ。本堂は国指定重要文化財。
 文安3年(1446)南英謙宗(耕雲3世)が、上杉房朝、豪族小国氏の篤信を得て、
 良寛所縁の弥彦山の北麓に種月寺を創建し、享徳2年(1453)までに庫院、東司、
 茶室、禅堂等伽藍が完成し、大勢の雲水が集り隆盛を極めました。
  火伏せに霊験あらたかで、毎年6月19日の開山忌で防火の護符を配る習わしが今
 も続いています。

この入口を入って行くと右側に駐車場が有ります

参道を進みます

六地蔵様です

山門です

国指定重要文化財 種月寺本堂の石碑です


更に山門を進みます

廻廊の付いた門です


大きな銀モクセイが有ります

岩室村文化財指定 岩教第三十八号です

本堂です





本堂から庫裏前のカエデです


では、次へ行きましょう

おまけです、種月寺の直ぐ南側の山沿い道路沿いに


石瀬代官所跡です

案内板です

興板藩(与板藩) 御城地です

与板藩の御城地案内板です
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新潟県弥彦村、住吉神社の蛸ケヤキです!!

2016-06-11 07:18:44 | 巨樹・大木
蛸ケヤキは、弥彦村役場の西北西約3kmというよりも

弥彦神社の直ぐ南側住宅地の中に有ります


県道29号線を西へ進むと、弥彦神社の目印大鳥居を潜ります

弥彦神社の駐車場に車を止めさせて頂いて、石鳥居から南へ進むと


この案内板を西へ入ると

住吉神社の鳥居と社、蛸ケヤキが見えます



南東側から

  弥彦神社末社 住吉神社大欅
    新潟県天然記念物
      昭和27年12月10日指定
   この大欅は、樹齢およそ千年、樹高30m、胴回り8m余の巨木である。大枝を伸ばして立
  つ姿は大蛸が八本足を広げている様子に良く似ている所から昔から「蛸欅(たこけやき)」と
  呼ばれている。





北東側から

では、次へ行きましょう
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新潟県弥彦村、弁慶腰掛の松です!!

2016-06-10 08:15:37 | 巨樹・大木
弁慶腰掛の松があるのは、弥彦村役場の直ぐ裏にあります

県道29号線沿いに村役場が有り、直ぐ西側の道路を北へ入ると


大きな松が有ります

二松之碑です

石碑があります
    二松の由来
   文治3年の昔、源義経、弁慶の主従等、兄頼朝の追討の難を逃れて寺泊より弥彦に入って、
  弥彦神社に参拝祈願し、藤原秀衡氏を頼りて、奥羽落ちの途次、この街道を通過したりと傳う
  その折義経、弁慶等の主従、この松の下に暫しの憩いをとり、着ていたる鎧、袈裟を脱ぎて枝
  にかけ、松の根に腰かけて休みたりと。爯来幾百星霜「義経、弁慶腰掛の松」と称し、学區民
  に愛慕されて今日に到る。
   明治37年、この地に矢作小学校を建設、以後学校の象徴として校歌にも歌われ、ここに学
  ぶ者の心の掾り所となる。
   昭和35年春、御新田川の改修に当り学區民一同の熱望に拠り、二松保存会を結成し、浄財
  を集め、松の根もとに石垣113mを巡らし土盛をなす。
   昭和43年は明治百年に当たる。幾百星霜の風雪に耐えて生き続けた二本松、またこれを守
  り通して来た先祖の心こそ、無言の教訓として子供達に受け継がれ、さらに次代へ守り継がれ
  ることを学區民深く祈念して「二松之碑」を建てる。二本の老松の格調高き風情に、つきない
  愛着を覚えると共に、後世二松の保存に一層の協力を切に望む。
    昭和43年8月14日序幕
                           矢作小学校明治百年記念事業委員会
   



弁慶腰掛の松です



東側の松です、根元から2m程の所で大枝が広がっています



西側の松です


東側の松が西の松より太いものです

北東側から観ました

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新潟県長岡市、行塚の大榎です!!

2016-06-09 07:51:23 | 巨樹・大木
行塚は、長岡市役所の北約13kmのところ

かつての中之島村ですので、国道8号線で北へ進むと

北陸自動車道の中之島見附インターチェンジの入口先を左斜めに入ります

また直ぐ左へ、信濃川右岸を通る県道378号線へ

県道から北側へ斜めに伸びる市道へ、家並みの切れた田圃の中に在ります

西側に、駐車スペースが用意されています

南側から

南東側から


行塚の石碑です

説明版です
   大榎と行塚
     この榎の樹齢は定かでないが、随分古いものと思われる。
     ある古老の話によると、明治初年頃訪れた行者が古木の偉容と村人の人情の厚さに感し
    「私はこの木の下に生佛として入りたい」と申し入れた。
     村人は申し入れに戸惑いながらも強っての願いに乞われるまま鉦と粟一つかみを持った
    行者を箱に納め、麻桿をたてて埋めたという。
     以来、此処を行塚と呼ぶようになった。        平成元年10月



北側から



西側から見上げました

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群馬県中之条町、市城・中之条のサイカチです!!

2016-06-08 00:55:37 | 巨樹・大木
市城は、中之条町役場の東南東約5kmのところ

渋川市との境、国道353号線沿いの岩井堂の西側に有りますので

渋川方向から西に向かってくると見落とさないと思います

国道の南側に駐車スペースがあります

駐車スペースからみます

住宅の壁に大きな看板があります

国道の北側に渡ります




ふどうはしの南側に立っています

橋の北側に、群馬県指定天然記念物 中之条のサイカチの石碑が有ります

説明版です
   中之条のさいかち由緒
     樹齢約600年、目通り一七丈(5.6m)宮城県刈田郡の「さいかち」並び称される
    名木である。
     樹の実は往古に於いて馬を洗うのに用いられた(下学習)。此地一帯は延喜式に依る朝
    廷の御牧であって上野九牧の一、王朝時代市代牧と称され天暦元年八月(約一千余年前)
    には名馬白波を村上帝に献上した。源平の時代清和源氏の直流が此地に牧監として赴任、
    岩井堂城にあったのも確実視されている。更に下って戦国時代天正8年(380年前)沼
    田城代となった海野能登守輝幸の愛馬も市城黒と称し此地の産である。保2年(210
    年前)の大水害に於て被害を受けたが、爾来狩野家の鬼門除の樹木として現在に至ってい
    る。
      昭和30年1月                    中之条町教育委員会
(説明版の情報は、今から60年前の者ですので、…年前の情報は修正してくださいネ

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群馬県中之条町、伊賀野のモミです!!

2016-06-07 13:29:27 | 巨樹・大木
伊賀野は、中之条町役場の北西約6kmのところ

沢渡温泉の東側に当たります

四万温泉へ向かう国道353号線から暮坂峠への県道55号線を西へ


案内板が有ります、(西側から見たところ)

ここから北へ入って林道を進みます、峠を越えて

交差点があっても真直ぐ進むと、突き当りの家の手前に駐車スペースが用意されています


丘の上にモミの木が有ります



伊賀野のモミです

県指定天然記念物 伊賀野のモミの石碑です

説明版です
    県指定天然記念物
      伊賀野のモミ
        (指 定)平成4年5月15日
        (所在地)中之条町大字下沢渡1368 
      モミの木の周囲約300平方メートルの土地は中之条町の所有となっている。江戸時
     代には下沢渡村の共有地で、明治の町村合併により沢田村、さらに昭和の町村合併によ
     って現在に至っている。
      ここは四万の殿貝戸集落から竹井の峠を通り、伊賀野を経て沢渡温泉に通ずる道筋で
     ある。このモミは目通り約6.7m、樹高約28mで、樹齢は約400年以上と推定さ
     れる。
      昭和20年(1945年)4月16日の沢渡温泉大火により、付近の民家、山林とも
     に全焼したが、この樹は難をのがれて残ったモミの巨木である。平成20(2008)
     年9月2日の風水害により頂上から7mまで主幹が折損し景観が大きく変わるっている
            平成26年2月       群馬県教育委員会 中之条町教育委員会




東側から見上げました

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群馬県東吾妻町、原町大宮巌鼓神社のケヤキです!!

2016-06-06 08:19:59 | 巨樹・大木
原町大宮巌鼓神社は、東吾妻町役場の北約500mのところ

役場前の県道から、JR吾妻線の踏切を渡り、国道145号線を越えると

東吾妻町立原町小学校の直ぐ西側に有ります

境内南側鳥居横に駐車スペースが有ります

南側の赤鳥居です

石段の上にも鳥居があります

由緒書きです 
    大宮巌鼓神社
      祭神  日本武尊
          弟橘姫命
          素戔嗚尊
          保食 神
           外合祀神社祭神

      由緒
        吾妻郡大字原町字大宮に鎮座す 宇号之に起こると云う 原町一円を氏子区域と
       なす 由来当社は武将民衆の尊崇願る厚く 天正18年北條家朱印 宝暦以降真田
       家黒印の社領を附せられる 明治維新の後郡官の設ありてより郡官本社に参詣する
       ことその例たり 明治40年本町各所の無格社数祠を併せ維持方法を確立し 大正
       4年8月13日神饌幣帠料共進神社に指定され 昭和16年5月5日郷社に列格す
        境内に末社数祠を祀る八幡宮・宇婆神社・神明宮等々なり 就中 宇婆神社は保
       婆姆の神として信仰近隣に及び 神明宮は神宮古殿材を拝載し 以て広く郡内に浄
       資を勧簿昭和54年4月5日創建す         
          
         


手水舎です

神楽殿です

拝殿です


拝殿の前に大きなケヤキが有りますが、目標のケヤキではありません

本殿です

境内社の八幡宮でしょうか

境内社の神明宮のようです

神楽殿手前に宇姥神社のようです

 県指定重要文化財
   蕨手刀
     指定/昭和55年4月30日
   この蕨手刀(わらびてとう)は、奈良時代から平安時代の初期のものと推定されているもの
  で、刀の柄頭(つかがしら)が、早春、野に芽を出すワラビのように曲がった形状からその名
  がつけられています。
   蕨手刀は古墳などからの出土品が多いのですが、この刀は東大寺正倉院の遺品などと同様に
  伝世品である点が特に貴重です。
   全長53.2cm、重さ600gの鉄製で、古くから大宮巌鼓(いわつつみ)神社の宝物と
  されています。
     平成11年10月
                         群馬県教育委員会、東吾妻町教育委員会


境内南東隅(小学校側道路脇)にケヤキの巨木は有りました



道路側北東から観ました、大幹が無くなっています



南東側から見上げました、傷んだ枝が目立ちますが、しっかり御神木を務めています

目通り幹回り6.5mの巨木です

では、次へ行きましょう・・・おまけです

国指定天然記念物の原町のケヤキです


県道の三叉路に立っています、駐車スペースが無いので通りしなに撮影しました
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群馬県東吾妻町、三島諏訪神社のケヤキです!!

2016-06-05 18:44:57 | 巨樹・大木
諏訪隠者は、ダム建設の影響で、かつての風景が一変してしまった

東吾妻町役場の西約8kmの所に有ります

国道145号線沿線はダム工事関係の生活道路整備のために変更されています

吾妻川の南岸にあります

駐車場が見つからなかったので、道路脇の歩道に止めさせて頂きました


入口参道です

諏訪神社です

鳥居です

拝殿です




社殿前の杉です


本殿覆い屋です

境内社です



御神木です



下の境内から見上げあした

目通り幹廻り

では、次へ」行きましょう
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群馬県東吾妻町、須賀尾諏訪神社の杉です!!

2016-06-04 00:06:31 | 巨樹・大木
諏訪神社は、東吾妻町役場の南西約14kmのところ

国道406号線が大戸関所跡から西へ向かい

約8kmで草津街道須賀尾宿を抜けたところです

少し先の南側に駐車スペースが有ります


関越交通のバス停、諏訪神社前が有ります


諏訪神社入口です



石段を登と、右手の境内隅に大きな杉の木が有りますが、巨木ではありません

手水です

拝殿です

本殿覆い屋です

神楽殿です



拝殿の右手にも杉の大木が有ります



神楽殿の左脇には、ケヤキの巨木が有ります



直ぐ奥側には杉の巨木が有りますが、目指す杉では有りません

本殿の西奥に境内社があります



境内社の右奥にも、ケヤキの大木が有ります



境内の北西の隅、西側の道路脇に目標の杉の木が有ります

根元には、昭和52年11月・指定名木 すぎ の標柱が有ります




境内北の隅のケヤキの大木です



境内南西隅の杉の大木です

境内には、目通り幹回り3m以上の杉・ケヤキの巨木が沢山あります

では、次へ行きましょう
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