ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山梨県笛吹市、鶯宿諏訪神社のケヤキと御神木です!!

2018-11-15 06:17:33 | 巨樹・大木
芦川町鶯宿は、笛吹市役所の南約11kmのところ

とは言っても、かつての芦川町は笛吹市内との間に大きな山脈があって

峠越えをしいられ簡単にはいけません

国道358号線に迂回して安全な県道36号線を東へ

(今回は精進湖から来たので、精進トンネルと左右口トンネルの間)

県道に入って約5km鶯宿の入り口に諏訪神社が鎮座します

県道脇に車を止めさせて頂きました

鶯宿バス停です


参道入口です

参道に大木が見えます

参道右手に目的のケヤキの巨木が在ります

大きく広がった根元です

鳥居が二基あります

鳥居手前から見上げました、目通り幹囲7,5mの巨木です

諏訪神社拝殿です

懸額です

本殿は覆い屋の中です


社殿前からケヤキを見ましたが上半分ですね

式三番人形の説明版が社殿前にあります

本殿の北側に根元を玉垣で囲われたケヤキが在ります

目通り幹囲3m程の大木ですが~

脇に石碑が有ります、こちらが諏訪神社の御神木です

では、境内北側から脇道を戻りましょう

ケヤキの巨木を北側横から見ました

県道に戻りました、住宅の屋根の上に樹冠が広がっていました

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士河口湖町、国指定天然記念物「精進の大杉」です!!

2018-11-14 08:16:44 | 巨樹・大木
富士河口湖町役場の西約14kmのところ

精進湖の北岸に諏訪神社が鎮座します

諏訪神社境内南側に

国指定の大スギ「精進の大杉」が在ります

「諏訪神社の大杉」の南東側すぐ隣に立って居ます




諏訪神社の境内南側に在ります


諏訪神社参道(北東)から

国指定の石碑です

説明版です
  国指定天然記念物
   精進の大杉
     昭和3年1月31日指定
     富士河口湖町精進84番地
 根幹部は従来石垣によって囲まれていたが、昭和41年
(1966)の台風26号の以後土をかぶせて整地された
ため、正確な測定はできないが、根元は北が高く南が低く
その差は70,0cm、その高地面に沿って水平に計測し
た根元の周囲は12,60mである。樹高40,00m、
枝張りは、東7,50m、西11,30m、南11,00
m、北8,50mと計測される。
 巨木の雄姿ははるか彼方から遠望でき、威勢を示してい
る。杉の巨木としては山梨県下において代表的なものであ
り、全国規模でも有数のスギの巨樹といえる。
  平成23年3月     富士河口湖町教育委員会
              富士河口湖町文化財審議会



東側から見上げました

社殿側から

西側から

南西側から、すぐ脇は沢のコンクリと護岸に成っています

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士山中湖町、精進諏訪神社の大杉です!!

2018-11-13 06:27:31 | 巨樹・大木
精進地区は、富士河口湖町役場の西約14kmのところ

精進湖の北岸に諏訪神社が鎮座します

細い生活道路を入ると、東向きの参道です

参道北側に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました


家並みの上に大きな樹冠が見えて来ました

「かどや」の手前の細い路地を入ります

生活道路を入って行くと左に神社の参道です、参道北側に駐車スペースが在ります

村社諏訪神社です

狛犬です

東向きに諏訪神社社殿と社殿前の大杉です

社殿前から

社殿の軒下から見上げました

社殿わきから

説明版です
  富士河口湖町指定天然記念物
   諏訪神社の大杉
     昭和60年3月30日指定
     富士河口湖町精進84番地 
 この大杉は、諏訪神社系境内の社殿の南東の位置にあり、
境内南端にある国指定天然記念物「精進の大杉」と共に、こ
の諏訪神社の神木である。
 根元の周囲10,00m、目通り幹囲6,87m、枝下6
,00m、樹高38,00m、枝張りは、東9,50m、西
7,50m、南7,80m、北8,70mを計測される。
 山梨県には、目通り幹囲7mに近い杉の巨木が数本あるが
、諏訪神社の大杉はその上位に位置図けられる巨木である。
  平成23年3月      富士河口湖町教育委員会
               富士河口湖町文化財審議会

諏訪神社の大杉のすぐ南側にはモミの大木が在ります

社殿側から見上げました

では、次は同じ諏訪神社境内南側の

国指定天然記念物「精進の大杉」です

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士川口町、本栖山神社の夫婦杉です!!

2018-11-12 05:36:41 | 巨樹・大木
本栖地区は、富士河口湖町役場の西南西約14kmのところ

富士五湖の一つ本栖湖の東岸です

国道139号線を西へ、峠を越えると本栖信号です

西へ向かう国道300号線との交差点です

南へ少し国道139号線を進むと

本栖湖キャンプ場や青少年スポーツセンターへの道路が在ります

この道を入って直ぐ左手に山神社が鎮座します

参道入口鳥居前に車を止めさせて頂きました


脇道に入って直ぐに参道入り口です

参道鳥居です

手水舎です

狛犬です

社殿の後ろ側に目的のスギがみえています

説明版です
 富士河口湖町指定有形文化財
  山神社本殿
    平成13年12月12日指定
    富士河口湖町本栖381-1番地
 山神社の創建時期は定かではないが、同社は甲駿国境の地
に位置し、国境警護の神として古くから歴代武将らの崇敬が
厚い。往古は江岸寺の鎮守だったともいっわれる。
 本殿は、一間社入母屋造り桧皮葺の建物である。現本殿は
宝暦5年(1755)に再建されたもので、天明2年(17
82)に彩色修復が行なわれたことが、棟札によって明らか
になっている。18世紀中葉の時代特徴をもつ、簡素で落ち
着いた建築である。
 拝殿は文化3年(1806)に建築された。また、山神社
宝篋印塔は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期の頃のものと
いわれ、町の有形文化財に指定されている。
 毎年5月17日に行われる公家行列は、この地で駿河国境
の警護に当たっていた渡辺囚偢祐が始めたといわれ、三百年
程前から山神社に伝わっている。
   平成23年3月    富士河口湖町教育委員会
              富士河口湖町文化財審議会



社殿の右側から回り込みます

根元の石碑に「夫婦杉」とあります

右側の杉です

左側の杉です

社殿裏左から見上げました、目通り幹囲5,2mと5,0mの巨木です

どちらが太いか不明でした

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士河口湖町、西湖三十番神堂のケヤキです!!

2018-11-11 06:25:07 | 巨樹・大木
西湖地区は、富士川口湖町役場の西約6kmのところ

富士五湖の一つ西湖の北岸です

県道21号線を西へ、河口湖から坂道を上り文化洞のトンネルを貫け

下り切ると西湖の北岸です、観光自動車会社の手前を北へ入ります

目印は薬明神社です、神社を右に見て舗装されていますが細い道路を進みます

行き止まりが橋になっています、軽自動車でないと通れません

手前から右手三沢川対岸に目的のケヤキがみえました

少し広く成っているところに車を止めさせて頂きました




山道を上って来ました


手前の広場から対岸を見るとケヤキの巨木が目に入りました

根元に御堂が建っています

橋が在ります、対岸に渡れます

根元から見上げました

御堂への参道を登って来ました


三十番神堂の御堂です

参道脇から目通り幹囲5,3mの巨木です

御堂前から見上げました

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士河口湖町、長浜貴船神社の大杉です!!

2018-11-10 08:51:03 | 巨樹・大木
長浜地区は、富士河口湖町役場の西約4kmのところ

河口湖の西岸に当たります

県道171号線を西へ、河口湖の北岸を通る県道21号線に合流して西へ

坂道を上って行くと道路の右手に貴船神社が鎮座します

境内脇に車を止めさせて頂きました


参道鳥居です

貴船神社です

狛犬です

手水舎です

新築されたばかりの社殿です

本殿は覆い屋の中です

説明版です
 町指定有形文化財(建造物)
   貴船神社本殿及び雨屋
     平成24年7月24日指定
 貴船神社は京都から分祀された神社で、江戸時代
後期に編纂された「甲斐国志」によると南北朝時代
の棟札が存在したとの記述があり、古くから長浜の
氏神として崇められてきたことがわかります。
 現在の本殿は、一間社流造で唐破風をもつ檜皮葺
屋根の建築です。浜床が設けられ、奥部左右に脇障
子が配され、透かし彫りの彫刻が施されています。
建築様式から江戸時代後期の19世紀のものと推定
されます。
 雨屋は、拝殿としての機能と本殿を保護する機能
を兼ねており、明治22年(1889)に建てられ
たことが棟札から判明しました。
 戦時中は、戦勝祈願のために出征兵が多く参拝に
訪れたと伝えられ、関東近県を中心に、県外からの
参詣者も多く、航海の安全を祈願した後、長浜の渡
船場から出征して行きました。
 平成25年(2013)に雨屋の改修工事が実施
されました。
  平成27年3月31日
           富士河口湖町教育委員会
           富士河口湖町文化財審議会





社殿に向って左側の境内社山神社の後側に大杉が在ります

社殿前参道から見ました

参道左手にはまず三峰神社です

山神社です

本殿の左手の祠です

本殿後ろ側の石塔や祠です

本殿右側の境内社です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士河口湖町、河口浅間神社の七本杉です!!

2018-11-09 08:14:41 | 巨樹・大木
河口地区は、富士河口湖町役場の北東約4kmのところ

河口湖の北東岸です、国道137号線を北へ

国道新道がトンネル道路になっています

旧道に入って河口信号の直ぐ先にあさま広場駐車場があります

国道の東側に河口浅間神社が鎮座します

あさま広場駐車場に車を止めさせて頂きました

では、七本杉を順番に見て行きましょう

天然記念物 川口浅間神社の七本杉の石碑です

まず、説明版を確認しましょう
 山梨県指定天然記念物
   川口浅間神社の七本杉
     昭和33年6月19日指定
 河口浅間神社の荘厳な境内地の雰囲気を醸し出すスギの
巨木群である。境内に立つ七本の御神木は、反時計回りで
(1)~(7)以上まで番号と名前が付けられており、い
ずれの杉も樹高40mの巨木で、樹齢は1200年を越え
ているといわれる。どの杉も幹はまっすぐに伸び途中枝分
かれしているものはない。
 一号杉は、御璽杉または、母衣懸杉と呼ばれ、河口浅間
神社の拝殿の目前に立っている。孫見祭の折に産衣を懸け
た神聖な木とも言われている。
 二号杉は、産謝杉(産屋杉)と呼ばれ、三号杉、四号杉
と並んでいる。生誕や分娩を守る清らかな木として位置づ
けられている。
 三号杉は、齢鶴杉または、齢棒杉と呼ばれている。
 四号杉は、神綿杉または、献虫巣杉とも呼ばれ、大樹に
巣をつくった山蚕が巣作りした繭で真綿を紡ぎ、朝廷に献
上したという伝説をもつ。
 五号杉、六号杉は二柱杉と呼ばれ、二本の杉の根元が隣
合って、ほぼ一体化した状況にある。男女杉ともいう。
 七号杉は、天壌杉または、御柱といわれ、根回りが他の
六本の杉が10mから20mの規模なのに対して、30m
にも及び、華やかに裾を広げたような姿が特徴である。こ
れだけの巨木が一箇所に集中して現存し、しかも樹勢を保
っていることは全国的に見ても大変貴重な存在である。
  平成30年3月31日  山梨県教育委員会
              富士河口湖町教育委員会




拝殿前参道右手に1号杉(御璽杉・母衣懸杉)です

案内板です、目通り6,85mです

南側から反時計回りに2号杉です

産謝杉、目通り7,1m

3号杉

齢鶴杉、目通り6,82m

4号杉

神綿杉、目通り7,5m

5号杉右と6号杉左の両柱杉です

別名二柱杉または男女杉、目通り右の5号杉が8,65m、左の6号杉が7,3mです

本殿の東側に大きな根張りの7号杉です

天壌杉、目通り8,1mでした

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士川口湖町、河口浅間神社参道の杉並木です!!

2018-11-08 06:47:58 | 巨樹・大木
河口地区は、富士河口湖町役場の北東約4kmのところ

河口湖の北東岸です、国道137号線を北へ

国道新道がトンネル道路になっています

旧道に入って河口信号の直ぐ先にあさま広場駐車場があります

国道の東側に河口浅間神社が鎮座します

あさま広場駐車場に車を止めさせて頂きました


あさま広場駐車場の観光案内板です、右上に川口浅間神社の案内が有ります

駐車場の東側が参道入口です

延喜式内 名神大社 川口浅間神社です

鳥居です

説明版です
  神社案内
所在  南都留郡富士河口湖町河口1番地
境内  4551坪(15㌶、非譲与国有地)山宮30町歩
神社名 延喜式内 名神大社 浅間神社
祭神  木花咲耶姫命
由緒  人皇第56代清和天皇の御宇、貞観6年5月富士山
   西北峰大噴火の事あり、時の住民は甚大な災害を被く
   この事甲斐ノ国司橋ノ末茂公より朝廷に奏上、翌貞観
   7年12月9日丙辰の勅令に依り鎮火の神 浅間明神
   を此の地に奉斎、無位擬大領伴直真貞を祝に伴秋吉を
   禰宜に任じ、冨士鎮火祭を執行す。これ当神社の御創
   祀なり。郡家以南に建立官社に列せらる。
社格  醍醐天皇御宇、延喜の制に依り名神大社に列せらる。
   明治4年郷社、大正13年県社 この社格戦後廃さる。
祭日 4月25日例大祭(孫見祭)神輿産屋ヶ崎神社に神幸
   7月28日鎮火奉謝祭(稚児の舞祭)県指定無形文化
   財。俗におだいだい(太々御神楽祭の意)と言う
特殊神事 2月14日深更 筒粥祭 農作物粥占神事
     7月31日身曽岐流 特殊大祓式
宝物  三國大一山 額 公辯一品親王御筆
    大元霊   額 醍醐天皇御震筆
    思無邪   抽 後陽成天皇御震筆
    狩野絵馬  戸田忠寶奉納 狩野洞眠邦信筆
    油彩鎮子 一対 鎌倉末期製作
    太刀   一振 応永2年8月 家長作
建物  御本殿   町指定文化財
    境内七本杉 県指定天然記念物
御神徳 安産・結縁・育児・奨学・裁縫・家内安産・商売繁盛





参道の大杉の並木です、一番手前の右側の杉が目通り7,0mの杉です

説明版です
 冨士河口湖町指定天然記念物
   河口浅間神社参道の杉並木
     平成15年2月18日指定
 河口浅間神社は貞観6年(864)の富士山大噴火
の鎮火を願い、翌貞観7年(865)勅命により創建
されたといわれている。
 元の社殿は、富士山を拝む方向に建立され、現在の
社殿より山の手に鎮座されてといわれてる。
 河口は律令制度が成立した後、官道が通り、甲斐の
三駅の一つとなった。
 中世に入り鎌倉街道の発展とともに富士山信仰の御
師の街として発展していった。
 神社の参道は鎌倉街道に向って開かれ、参道の杉並
木は、800余年の歴史をもっている。
 樹木   11本(杉10本、檜1本)
 樹高   45,0m
 幹周り   7,0mをはじめとする巨木
所有者   河口浅間神社
  平成15年11月  富士河口湖町教育委員会
            富士河口湖町文化財審議会
   



随身門です

手水舎です

狛犬です

拝殿です


本殿です

説明版です
 富士河口湖町指定有形文化財
   川口浅間神社本殿



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士吉田市、上吉田諏訪神社の大杉です!!

2018-11-07 05:56:04 | 巨樹・大木
北口本宮冨士浅間神社の境内西側に諏訪神社が鎮座します

諏訪神社社殿前左右に大杉が在ります

諏訪神社拝殿です

説明版です
 重要文化財
  諏訪神社拝殿
    平成29年11月28日指定
 諏訪神社本殿は昭和2年(1927)に焼失し、同51年に再建
された。本殿は元文元年(1736)に村上光清を中心とした富士
講中により建立されたとの棟札がある。拝殿については、史料など
から元文2年(1737)頃の建立とみられ、建築様式からみても
村上光清の大改修による建立といってよい。
 現在では浅間神社が所管している諏訪神社も、中世には当地の拠
点となる神社であった。浅間神社の広大な神域を包む森を「諏訪の
森」と呼ぶのも、こうした歴史によるものである。江戸時代の名残
を伝えるのは当拝殿のみであり、当社の歴史を語る上でも欠くこと
のできない建物である。
祭神   建御名方神
     八坂刀賣神
構造形式 桁行正面三間、背面五間、梁間四間、入母屋造 鉄板葺




本殿です


社殿前左手の杉です

拝殿前から

右手の杉です

拝殿前から

大杉前の参道南側には三神社です

三殿社です

参道北側には、冨士守稲荷大明神です

諏訪神社と北口本宮冨士浅間神社の間には

縄張の中に注連縄を巻かれたスギが在ります

まだまだ細い杉です

では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士吉田市、北口本宮冨士浅間神社の「冨士夫婦檜」です!!

2018-11-06 06:25:30 | 巨樹・大木
富士吉田市の南南西約4kmのところ

国道138号線沿いに北口本宮冨士浅間神社が鎮座します

参道西側に駐車場が点在しますのを利用させて頂きました

「富士次郎杉」からの続きです


南側から

南東側から

東側から

説明版です
 富士吉田市指定天然記念物
   北口本宮冨士浅間神社のヒノキ
     平成4年9月1日指定
     所在地 富士吉田市上吉田5558番地
     所有者 北口本宮冨士浅間神社
 この木は二本のヒノキが根元で一本になり、また地上約
12、0mで再び合着していることから「冨士夫婦檜」と
呼ばれ、広く市民に親しまれている。根張りが著しく発達
し漏斗を伏せたような形になっており、枝は上部で四方に
よく伸びて大変見事である。
 合着木ではあるが、県下で最大のヒノキの巨樹であり、
市内の代表的な巨樹である。
 大きさは次のとおり。
1、露出根張り       17,00m
2、幹根の境の周囲      8,70m
3、地上から幹根境までの高さ 1,70m
4、目通り幹囲        7,65m
5、樹高          33,00m
6、枝張り         東8,50m
              西8,90m
              南7,60m
              北8,30m
 平成5年3月    富士吉田市教育委員会



北側から

西側から

では、次は同じ境内西側の諏訪神社前へ行きましょうう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士吉田市、北口本宮冨士浅間神社のスギ「冨士次郎杉」です!!

2018-11-05 06:34:15 | 巨樹・大木
富士吉田市の南南西約4kmのところ

国道138号線沿いに北口本宮冨士浅間神社が鎮座します

参道西側の道路沿いの駐車場を利用させて頂きました


拝殿左裏、玉垣の中に大スギです



説明版です
 富士吉田市指定天然記念物
   北口本宮冨士浅間神社のスギ
     平成4年9月1日指定
     所在地 富士吉田市上吉田5558番地
     所有者 北口本宮冨士浅間神社
 地際の南側が少し腐朽しているが、樹勢は良好であり、
旺盛である。県指定天然記念物の「富士浅間神社のスギ」
ほどではないが、根張りが発達し漏斗を伏せたような形を
している。
 県指定スギは「富士太郎杉」、この木は「富士次郎杉」
と呼ばれ、広く市民に親しまれており、市内の代表的なス
ギの巨木である。
 大きさは次の通り。
1、露出根張り 17,2m
2、幹根境の周囲11,8m
3、目通り幹囲  7,8m
4、樹高    30,3m





立派な注連縄が巻かれています

幟の間から見ました

では、次は夫婦桧です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士吉田市、北口本宮冨士浅間神社の「富士太郎杉」です!!

2018-11-04 07:38:59 | 巨樹・大木
富士吉田市役所の南南西約3kmのところ

国道138号線沿いに北口本宮冨士浅間神社が鎮座します

参道西側に駐車場が点在していますので利用させて頂きました


北口本宮冨士浅間神社の「富士太郎杉」は、拝殿前左手、手水舎との間にあります


手水舎脇から見ました

説明版です
  山梨県指定天然記念物
   北口本宮冨士浅間神社の大スギ
     昭和33年6月19日指定
     所在地 富士吉田市上吉田5558番地
     所有者 北口本宮冨士浅間神社
 本樹は樹齢千年くらいと言い伝えられている。根張りが著しく
発達し漏斗を伏せたような樹形は、ご神木の名に恥じない荘厳さ
があり本殿を見守るかのようである。「富士太郎杉」と呼ばれ、
広く市民に親しまれている。南側附近の損傷部分は、昭和34年
8月の7号台風により被害を受けたものである。
 山梨県の代表するスギの巨樹として、山梨県の天然記念物の第
一号に指定された。
 大きさは次の通りである。
  1、露出根張り  21,0m
  2、幹根境の周囲 12,7m
  3、目通り幹囲   8,2m
  4、樹高     30、0m
  5、枝張り  東西12,8m
         南北14,7m
 平成11年3月
         山梨県教育委員会 富士吉田市教育委員会


神楽殿前(西側)から、根鉢の大きなのが解かるように表土が除かれています

南側から、南面は幹の根元まら枝下まで杉皮で覆われています


南東側から


東南東側から、目通り幹周り8,2mの巨木です

夫婦ヒノキの前から見ました

次は、拝殿裏側幣殿東の大杉です   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士吉田市、重要文化財北口本宮冨士浅間神社です!!

2018-11-03 06:36:09 | 文化財・寺社
北口本宮冨士浅間神社には富士太郎杉や次郎杉、夫婦檜などの巨木が在ります

こちらについては、次からご紹介したいと思います

富士吉田市役所の南南西約3kmのところ

国道138号線沿いに北口本宮冨士浅間神社が鎮座します

参道の西側道路を入ると駐車場が点在しています

一番奥は随身門脇まで入る事が出来ます





山梨歴史文化公園の説明版が在ります




参道入口です

石灯篭と杉並木が続きます

長いですね~(参道入り口西側から随身門手前まで車で入れます)

仁王門跡です

参道両側に礎石が並んでいます

説明版です
 国指定史跡「富士山」構成要素
   仁王門礎石
      平成23年2月7日指定
      管理者 北口本宮富士浅間神社
 北口本宮富士浅間神社境内には、神仏混淆時代・三重塔
・鐘楼・仁王門など、仏教色の濃い壮麗な堂塔があり、美
事な調和を見せていた。
 明治初年、「神仏分離令」施行の際に撤去され、三重塔
・鐘楼は失われて、現在その建っていた跡を確認すること
はできない。
 市内下吉田の臨済宗寺院「月江寺」が護持してきた仁王
門も取り払われたが、幸いにして礎石はその難を逃れ、往
古のままに昔日の面影をしのばせている。
 ちなみに、この仁王門の規模は梁間一丈八尺(約5,5
m)、軒高六間(約11m)という記録が残されている。
神社と寺院の建物が共存していた神仏混淆時代の貴重な史
跡である。
   平成25年11月  富士吉田市教育委員会

仁王門跡の西側の丸い石は、富士講の開祖角行の立行石です

赤い鳥居が見えて来ました

鳥居手前に狛犬です

鳥居をくぐって参道左手には「百度石」です

随身門です

随身門手前左側には、福地八幡社です、祭神は誉田別尊です

説明版です
 重要文化財 福地八幡社
   平成29年11月28日指定
 福地八幡社は、古くは「古吉田」の地にあった氏神
と伝えられる。貞享元年(1684)に建立、元文5
年(1740)に村上光清を中心とした富士講中が、
その古材の一部を用いて再建した経緯をもち、建築技
法的にも両期の要素を併せもつ。元文期の再建は、そ
の規模や構造の類似から東宮本殿を模範にしたと考え
られる。身舎の頭貫木鼻、向拝の獅子鼻、獏鼻は貞享
期までさかのぼる可能性があるが、向拝や妻側に施さ
れる絵様の多くは、元文期のものである。神社境内の
建物様式の変遷を伝える貴重な社である。
 祭神   誉田別命
 構造形式 一間社流造
      銅板葺
      附 棟札2枚 貞享元年8月
             元文5年3月



参道中央に神楽殿です

説明版です
 重要文化財 神楽殿
   平成29年11月28日指定
 元文2年(1737)頃に村上光清を中心とした冨士
講中による境内建物の大修理において建立されてもので
す。
 この神楽殿は、富士山御師により太々神楽が奉納され
た舞台であり、現在でも神社の祭礼には地元の神楽講に
よろ富士山御師より継承した太々神楽が奉納されている
。柱間寸法は約6,2mと大きく、虹梁形飛貫と頭貫で
固め、中備に十二支の彫刻を施した蟇股を据える。富士
山信仰と深い関連をもつ重要な建物である。
 構造形式
  桁行一間、梁間一間、入母屋造、瓦棒銅板葺






重要文化財の手水舎です

説明版です
 重要文化財 手水舎
   平成29年11月28日指定
 延享2年(1745)の建立と棟札にある。木鼻に施され
た龍や獅子といった彫刻類の多さや、富士山の溶岩から削り
出された巨大な水盤石など、村上光清ら富士講中による大修
理の集大成となる境内随一の装飾性に富む建物である。 
 水盤石に立つ青銅の龍の口からは、富士山信仰の霊場であ
り富士八海の一つとして数えられた「泉瑞」から引き込んだ
霊水が、現在も絶え間なく流れ出している。
 構造形式 桁行一間、梁間一間、入母屋造、銅板葺
      附 棟札1枚 延享2年12月


拝殿です

案内板に従って時計回りで境内を見て行きましょう

本殿の東側には、重要文化財の東宮本殿があります

北口本宮富士浅間神社 東宮本殿です

説明版です
 重要文化財 
   北口本宮冨士浅間神社 東宮本殿
     明治40年8月28日指定
     鎮座地 富士吉田市上吉田5558
 祭神 天津日高彦火火出見命 冨士権現とも呼ばれた。
 貞応2年(1223)北條義時の創建とも伝えられるが
、現社殿は永禄4年(1561)武田信玄が川中島合戦の
戦勝祈願して浅間本社として造営したものである。
 その後文禄3年(1594)に浅野氏重、元和元年(1
615)に鳥居成次が修理し、さらに、慶安2年(164
9)と延宝6年(1678)に秋元氏、享保19年(17
34)には村上光清による修理が加えられた。
 本殿は身舎梁間一間、桁行一間で全面に一間の向拝をつ
ける一間社流造の形式である。柱は床下部八角の丸柱を用
い、高欄を回した縁と登高欄付五段の階を持つ。屋根は檜
皮葺で身舎からそのまま向拝まで延び破風には鏑懸魚をつ
ける。この様式は向拝頭貫の蟇股の彫刻とともに室町時代
の手法を残すものである。外観の要所に施した装飾には桃
山時代の影響が見られる。向拝柱にある金具の卍は村上講
社の講印であり、藤の紋章は村上家の紋であるので、光清
修理の時付けられたものであろう。
 昭和27年(1952)解体修理を行なった。
  平成12年3月     山梨県教育委員会
              富士吉田市教育委員会
 
    



武田信玄の造営だそうです

東宮本殿の左手の 祠です

本殿をみましょう

東側から絢爛豪華な本殿前面です

東面です

南側には、恵比寿大黒神の像が並びます

本殿西面です

西宮本殿です

説明版です
 重要文化財 
   北口本宮冨士浅間神社 西宮本殿
     昭和28年3月31日指定
     鎮座地 富士吉田市上吉田5558
 祭神 天照大神、豊受大神、琴平大神、文禄3年(15
94)谷村城主浅野左衛門佐氏重により東宮に替わる本殿
として建立されたが、元和元年(1615)鳥居成次の本
殿建立により現在地に移され西の宮となった。その後享保
19年(1734)村上光清により大修復が行なわれた。
 全体の形式は東宮と同じ一間社流造であるが、両側面と
背面は二間で一間の光背をつける。身舎全面と側面には刎
高欄付きの縁を回し、全面には登高欄付の七段の階をもう
けている。身舎は床下八角の丸柱、向拝は面取りの角柱で
頭貫中央に蟇股を置き、木鼻には獅子と獏の彫刻を置く。
蟇股、木鼻には極彩色が施され、細部に渡って装飾、飾り
金具が用いられているが、向拝柱の飾り金具には村上光清
の紋である卍と藤の紋がつけられているので光清修復の時
のものであろう。屋根は檜皮葺、二重軒付で破風に鏑懸魚
をつけている。全体に華麗な桃山前期の建築意匠を伝え、
荘厳な本殿建築に向っての流れを感じさせるものである。
 昭和39年(1964)解体修理を行った。
  平成12年3月  山梨県教育委員会
           富士吉田市教育委員会




浅野左エ門佐(浅野氏重)の造営です

西宮本殿の右手には、富士山への登山口があります、右手の石碑には富士北口登山本道の文字が見えます

登山道入り口手前の西側には境内社の祠が並んでいます

登山口側から、

祭神は少名彦名の尊です

倭四柱社です、祭神も4名

日枝社、祭神は大山咋命です

白隆社、祭神は高皇産霊命です

愛宕社、祭神は火結神です

天津神社、祭神は天神八百万神です

国津神社、祭神は国神千五百万神です

最後は天満宮です、祭神は言わずと知れた菅原道真公です


説明版です
 北口本宮 富士浅間神社
御祭神 木花開耶姫命 天津彦々火瓊々杵命 大山衹命
御由緒 日本武尊當地御通過に際り親しく富士の霊峰を御遥拝
   になった。その由縁を以て祠宇を創建その蹟を大塚丘と
   いう。後延暦7年(1200年前)甲斐守紀豊庭現地に
   社殿を建立、現在の本殿は元和元年(373年前)鳥居
   土佐守造営、幣殿、拝殿、神楽殿、手水舎、神門等は江
   戸小伝馬町の人、村上光清師の首倡に因り享保18年起
   工し、元文3年(250年前)に総て竣成された。
    大正13年保存会に依って各所修造、屋根は銅版に葺
   替、本殿は桃山建造物の首位なりとして昭和28年3月
   国重要文化財に指定さる。
御神徳 戸無き八尋殿の猛火の中にて皇子を挙げ給う。瓊々杵
   命詔り給はく「汝くしびにあやしき威きあり子等復ひと
   にすぐれたるいきほひ有る・・・云々」即ち冨士火山鎮
   護の神、火防の神、安産授育の神、又産業の神として汎
   く世に尊崇され給う。
雑載  富士登山のともがらは、本神社参拝の後に登ること往
   古より変わらぬ例とす。
祭日  例祭 (初申祭)        5月5日
    鎮火祭(二本三奇祭 吉田の火祭)8月26日
                    8月27日
    寒申祭(一月寒入り初の申)   申の日
    節分祭(追儺祭)        節分の日
    開山祭(お山びらき)      7月1日
    閉山祭(お山じまい)      9月10日
            「昭和63年誌」



次は、「富士太郎杉」です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士吉田市、小室浅間神社の御神木「桂」です!!

2018-11-02 09:04:39 | 巨樹・大木
続きです

富士吉田市の中心部が下吉田地区です

地区の西側、国道139号線の旧道沿い

国道が屈曲する外側に小室浅間神社が鎮座します

浅間神社ですので参道は富士山に向いています

国道139号線に参道入口が在ります

(車は小室浅間神社駐車場を利用させて頂きました)



本殿の右手に目的のカツラが在ります、護良親王之古墳とあります

近付いて見上げました

説明版です
 富士吉田市指定天然記念物
   小室浅間神社のカツラ
     昭和44年3月4日指定
     所有者及び管理者 小室浅間神社
幹根境の周囲   13,30m
目通り幹囲 本樹は根元より十幹に分岐している。
      最大  4,42m
      その他 2,36m
          2,31m
          2,10m
          1,42mなど
枝張り   東西 21,90m
      南北 29,00m
樹高       28,50m
樹形は良好、樹勢は旺盛な雄株である。
 本樹は、小室浅間神社の神木となっている。
南北朝時代、鎌倉で討たれた大塔管護良親王の
首級を雛鶴姫が負って落ちのび、この樹の根元
へ葬ったという言伝えがあり、「大塔管の古跡」
とも称されている。
 平成15年9月    富士吉田市教育委員会



御神木「桂」
 この御神木は推定樹齢700年を越える「桂」の
老樹です。
 葉はハートに似た形で4月には赤い花をつけます。
桂の木は「愛染かつら」の映画により「縁結びの霊
木」として有名になりました。
 当神社の御神木「桂」も例外ではなく、「縁結び
の霊木」です。ハートの葉を持っていると御利益が
あるとされています。
 尚、この御神木は大塔宮桂の古跡としても有名で
す。詳しくは社務所まで起しください。



幹跡の中心に祠が祀られています

本殿脇から

本殿後ろ側から

北東側から

御神池の橋の上(東側)から

護良親王古墳の入り口に、富士山と富士吉田市第一小学校の住所、方位と標高を記した石碑です

御神馬です


説明版です
 当神社で毎年9月19日に斎行される例大祭流鏑馬祭
りは、八百年以上の歴史を持ち富士吉田市の民俗無形文
化財に指定されています。
 当神社の流鏑馬は通常の武士の流鏑馬と異なり、奉仕
者が一週間、切火潔斎(身を清める為一同が集まって参
籠する)と馬の駆けた足跡で占う「馬蹄占い」が主であ
り、全国でも当神社のみの祭りであります。
 かつては、農家の人々の暮らしの中に家族同様に暮ら
していた馬を用いて馬主として競って祭に奉仕したもの
ですが、時代と共に地域に馬がいなくなってしまいまし
た。
 そこで、馬に親しんでもらい一人でも多くの馬主奉仕
者が出て祭りが存続するようにとの思いで境内にて神馬
を飼育しています。この馬は平成29年2月に奉納され
た大人しい20歳の雄馬でシロといいます。



では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨県富士吉田市、下吉田小室浅間神社のハートマークと愛染桂です!!

2018-11-01 06:24:53 | 巨樹・大木
富士吉田市の中心部が下吉田地区です

地区の西側、国道139号線の旧道沿い

国道が屈曲する外側に小室浅間神社が鎮座します

浅間神社ですので参道は富士山に向いています

国道139号線に参道入口が在ります

(車は小室浅間神社駐車場を利用させて頂きました)



参道入口です

小室浅間神社です

参道のサクラの木の瘤がハート型をしています

説明版です
  縁結びの御神木
 平成26年12月頃、参拝者より「参道の桜の木に
ハート形の瘤がありますよ」と奉告を受ける。翌年5
月1日付けで着任した宮司が、木花咲夜姫命様が見守
る参道に、美しさの代名詞として使われる桜の木に、
ハート形の瘤が現れた事を御縁深く思い、この木を、
「縁結びの御神木」として篤くお守りしたいと言う事
になりました。
 早速、注連縄を張り、紙垂を掛け篤くお祀りしたと
ころ、御神威を頂いたとの奉告を受けるようになりま
した。


流鏑馬の馬場を過ぎて参道脇の荒田八幡宮です

流鏑馬の説明版です
 小室浅間神社流鏑馬
   富士吉田市無形民俗文化財
   昭和57年1月6日指定
 小室浅間神社は明治中期まで下宮浅間と呼称されて
きた。その根拠は定かでないが、富士山2合目の小室
浅間神社の対称と推測される。
 曽ては上・下吉田・松山三ケ村の産土神として此の
地一帯の守護神としての崇敬を鐘めてきたが、流鏑馬
は此の下宮浅間神社を里宮として、2合目小室浅間神
社の山宮から山の神が田の神となり毎年播種期の頃降
臨、農事を守護し、収穫と倶に山宮に還御の折、流鏑
馬を産子が奉納して農閑期の産子達の生活の平安無事
を祈祷する所に本来の目的と奉仕の由緒がある。
 従って産子が産土神の守護を念じて奉納する性格の
この流鏑馬は在来謂われてきた武士が武技練磨のため
のものとは意味するところが著しく異なる。即ち馬の
足跡に依って占いを行なうというこの独特の祭儀はそ
のまま氏神信仰に重層する。身につける狩衣烏帽子・
股引・襦袢等は地方に見られる一般庶民の出立で、地
味で見栄のないものであるが、農民の生活のなかに培
われた祭儀である。因にこの地方一帯に広く行われる
お日待ちは此の流鏑馬の神事と深い関係を持つ習俗で
、1月14日から15日の暁にかけて行なわれる当神
社の通称「筒粥」と呼ばれる粥占神事も又その依りた
つ意味は農事の隆昌と産子の繁栄を祈念する処にある。
 昭和58年12月24日  富士吉田市教育委員会

ケヤキの大木です

赤い橋と赤い鳥居が見えて来ます

境内案内図です

参道左手の石塔です

手水舎です

説明版です
  小室浅間神社の由緒
祭神  木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
御神徳 五穀豊穣・生業繁栄・安産・鎮火防災・開運招福・
    交通安全・学業・良縁成就
鎮座地 冨士吉田市下吉田5221番地
祭礼日 9月19日
由緒  桓武天皇の時代の延暦12年、征夷大将軍坂上田村麻呂
   が東征の途次、この小室の里の瑞穂の地から富士山を拝し
   て戦捷を祈り、数年後その功業が成就したのでその報賽と
   して当神社を創祀し、神護を謝したと伝えられる。時に、
   平安時代初期の大同2年(紀元1467年、西暦808年)
   である。
    中世に於いても、大塔宮護良親王の秘史にまつわる南北
   朝時代からの古木で、富士吉田市文化財でもある「桂の木」
   の樹齢六百有余年が示すとおり、国家鎮護の大社であり、
   武田家の祈願所としても崇敬が篤かった。
    住民信仰の上でも、「甲斐国志」の記すとおり、旧十一
   ケ村中、上吉田村・下吉田村及び松山村の産土神総鎮守と
   して現在に至り「下宮浅間」として、郡内一円の崇敬を集
   め、更に昭和32年には、一宮浅間神社に次ぎ、県下で二
   番目の別表神社に神社本庁から指定され全国的な有名神社
   として益々隆昌の一途にある。
    本殿は唐破風造り、拝殿は割拝殿造りで、天正年間の建
   造であり、その後、度重なる大修理が行なわれ現在に至っ
   ている。
    なお、御神体の御更衣祭(お召し替え)が60年ごとに
   行われる故実があり、前回は昭和25年に斉行された。
    次回は平成21年と予定されている。
特殊祭儀 年間七十有余の御祭儀のうち、当神社独特の祭儀とし
    は、次の二つがある。
    1、流鏑馬(やぶさめ)祭
     毎年9月19日の例大祭に奉納される流鏑馬は八百有
    余年もの間一度も欠かさず連綿と伝えられてきた。冨士
    吉田市無形民俗文化財にも指定されている。当神社の流
    鏑馬は、奉仕者が家人と生活を別にしての、一週間にわ
    たる「切火」と呼ばれる厳重な潔斎と、馬の駆けた足跡
    により吉凶を判ずる馬蹄占が「占人(うらびと)」の存
    在ともにこの神事を著名なものにしている。
    2、粥占(かゆうら)祭
     「筒粥占の神事」ともいわれ、正月14日夜から翌朝
    にかけて行なわれる。世襲の家系による占人が葭の管の
    中に入った粥の量によって作物の豊凶と富士山への導者
    や観光客の動向を占い「オキ炭」の行事によって、天候
    その他を占う。                以上
  平成元年 9月吉日
            撰文  小室浅間神社
            奉納  真田憲之
                真田憲司
                真田一人
少し長くなりましたので続きにします

次は、富士吉田市指定文化財(天然記念物)のカツラです


して嵿捷捷戦立揎
次は



社務所前のカツラの大木は愛染桂です

案内板には「葉はハート形で愛のシンボルマークです、

葉を2枚栞として神様に祈り結婚された方は多いです」

と、ありますので、婚活中の方は実行されてはいかがでしょうか

向かい側には、二本の杉の根が繋がって注連縄の巻かれた細い杉が在ります

拝殿です




参道の右手には境内社が並びます、室宮恵比寿宮です

御神馬です、こちらには木造の白馬が入っています

日枝神社です

五社神社です

長くなってしまいましたので続きにします

次は、、御神木カツラです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする