旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

五社八幡神社

2022-05-07 15:52:24 | 神戸市北区
2022年5月6日、お参りしました。
「当社の創建年月は不祥であるが、1331(元弘元)年、赤松則村が挙兵し、兵庫の摩耶山に本拠を構えた時、北方の備えに、当社の背山に支城を築き、荒廃した社殿を再建し戦勝を祈願したと伝えられている。天正年間(1573~)、三木城主別所氏の家臣小野三郎義晴が切畑城を築き、羽柴秀吉軍の三木攻めの時、兵火により社殿を焼失した。その際、義晴は御神体に兵火がかかるのを免れる為、背後の谷間に埋めた。その後、村民が御神体を掘り起こし社殿を再建して安泰したと伝えられるが、その年月は不明である。1984(昭和59)年5月、放火で社殿は全焼したが、翌年に再建した。」
神戸市北区有野町有野字惣山3988
map
参道









鳥居

由緒書

手水舎

拝殿







最上稲荷社






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

有間神社

2022-05-07 15:21:22 | 神戸市北区
2022年5月6日、お参りしました。
「当社は延喜式内社で、摂津国有馬郡の一の宮といわれ、旧有馬郡の総産土神として有馬総社とも称された。当初祭神は、この地方を開かれた大己貴神・少彦名大神の二柱であったが、968(安和元)年に、天御中主大神を合祀し、さらに1933(昭和8)年には、島根県美浦関の美保神社から事代主大神の御分霊を勧請して四柱となった。当社は、もともと隣町の有馬郡湯間口村名来(現・西宮市山口町名来)の山王谷に鎮座していたが、霊亀年間(715~)六甲山の大出水で有馬川が氾濫し、下流の山口村一体が砂礫と化した為に、御神託により現在地に遷座した。山口村山王谷に鎮座していた頃、舒明・孝徳の両天皇も参拝され、有間王子ゆかりの神社とも伝えられている。山王宮とも称した時代もあり、江戸時代には三田藩十代藩主九鬼隆国の祈願所として、宮田『二反畝二十五歩』を寄進している。また、1849(嘉永2)年孝明天皇御即位の祭の大嘗会に使われた黒木の鳥居を朝廷から下賜されている。御旅所には『子安石」があって、昔から安産の神として信仰されている。境内の椎の木の群生は、兵庫県から『環境緑地保全地域』に指定され、社叢の内約7千平方メートルが神戸市より『天然記念物』に指定されている。」
神戸市北区有野町有野4435
map

社標

由緒書

鳥居



百度石

手水舎



不動明王殿

参道

石灯籠







鳥居



狛犬



拝殿



本殿



















天神社

猿田彦社・窪森社



稲荷社

武臣大神

奥津社

国常立社

黒尾社


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡場若宮神社

2022-05-07 15:08:35 | 神戸市北区
2022年5月6日、お参りしました。
「有馬郡山口村(現・西宮市山口町)に鎮座していた有間神社が、霊亀年間(715~)に現在の北区有野町有野に移遷される時、この地に暫く駐興したため、村民が小社を建立して、天照皇大神・応神天皇を祀ったのが当社の始まりであると伝えられている。1891(明治24)年、八柱神を祀っていた近隣の八尾神社を合祀している。当社に昔から受け継がれている特殊神事である『お當』と呼ばれている神事が行われる。当社は、区画整理事業の対象外の地にあったため、昔ながらを保った神域である。」
神戸市北区有野町有野字西岡場2303
map
鳥居

石灯籠



社殿





末社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丸山八幡神社

2022-05-07 14:55:48 | 神戸市北区
2022年5月6日、お参りしました。
「当社の創建年月は不祥であるが、弘治年間(1555~)、荒木村重が西尾備後守の西尾城を攻めた際の兵火で焼失し、その後、この土地の豪農芝市左衛門が寄進して再建されたと伝えられているところから、弘治年間以前に創建されていたと思われる。もともと神社は、人里離れた山麓に鎮座していたが、『神戸国際港都建設事業藤原特定土地区画整理事業』によって周囲の山々が開発され、人口約3万人が住む住宅街(藤原台)に生まれ変わり、神社も住宅地の一角に入る事になってしまった。社殿は老朽化も進み、1999(平成11)年3月末に新社殿竣工し、4月3日に遷座祭を斎行した。」
神戸市北区藤原台北町1-20-1
map
百度石

鳥居

手水鉢

石灯籠



社殿





市民の森第28号
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮前八幡神社

2022-05-07 14:39:51 | 神戸市北区
2022年5月6日、お参りしました。
「当社の創建年月は不祥であるが、地元のいい伝えでは、甲斐源氏の流れをくむ初代切畑城主で、その後、北区有野町有野に鎮座する有間神社の宮司も務めた武田家が、応神天皇を祭祀したのが始まりといわれている。1890(明治23)年と1891年に、同地にあった春日神社と皇太神社を合祀した。社殿は瓦葺で境内末社として稲荷社を祀っている。毎年4月第一日曜日に、当地方に昔から受け継がれている特殊行事の「お當」が行われる。現在は氏子全員が参列して神前で神事を行った後、神社前の公民館に移動し、新旧當人の交替儀式が行われる。但し、女人禁制等の特別なしきたりはない。近隣は区画整理により、今では住宅と商店の中に鎮座するという神社になっている。」
神戸市北区有野中町3-5-18
map

鳥居

社殿

稲荷社



五輪塔
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田尾神社

2022-05-07 08:39:00 | 神戸市北区
2022年5月6日、お参りしました。
「当社の創建年月は不祥であるが、霊亀年間(715~716)、有間神社が有馬郡山口村(現・西宮市山口町)より現在地(北区有野町有野)に遷座の際、有間神社の新社殿が竣工するまで、この地に仮殿を設け御神体を奉安した。無事、有間神社に遷座の後、村民がその場所に社殿を建て、須佐男命を祀ったのが始まりであるという。当社には、毎年1月8日に『御當祭』行事がある。その起源は定かではないが、神社所蔵の記録には『当社祭神奉祀ニ因縁アル家系の者、田尾神社御當講(天皇講ともいわれる)ト称シ、当人満一ケ年当該神社ニ奉仕シ、日供・献灯・掃除等ヲスル。」とあり、昔から現在まで講員は氏子16戸で構成され、一人が当人となる。当日、講員(但し男性戸主のみ)は朝風呂で身を清め、羽織袴姿で神社に参集し、神前の神事の後、社務所に移る。宮司の酌により塗の三段重ねの椀で三回神酒を戴いた後、『當渡し』の行事を行う。当人が一年間大切に保管してきた巻物(昔からの当人の名前を記したもの)の入った箱と日供の神具箱を、宮司に返す。宮司は、一年間の労をねぎらう挨拶をしてそれらを受け取り、次の当人に手渡して行事を終える。神前の神事から當渡し迄の間、女性は一切関わらない習慣となっているが、終わって後の直会からは女性も同席する。」
神戸市北区有野中町4-3-13
map
社標

鳥居

手水鉢

由緒書

拝殿



境内
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする