旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

桑實寺(くわのみでら)

2022-05-26 21:31:27 | 滋賀
2022年5月24日、お参りしました。西国薬師第46番霊場、びわこ百八71番霊場、山号は繖山と号す。入山料300円です。
パンフレットより「桑實寺は天智天皇の勅願寺院として、677(白鳳6)年に創建されました。縁起は、湖国に疫病が流行し天皇の第四皇女阿閇姫も病にかかり病床で琵琶湖に瑠璃の光が輝く夢をみた。夢の話を聞いた天皇が定恵和尚に法会を営せると湖中より生身の薬師如来が現われ大光明がさした。この光明に当った人々の病もなおり姫の病もなおった。この薬師如来を本尊としたのが桑實寺で、定恵和尚により677(白鳳6)年11月8日に開山した。桑實寺の寺名は、定恵和尚が中国より桑の木を持帰り此地において日本で最初に養蚕技術を広められた為です。山号の繖(きぬがさ)山も、蚕が口から糸を散らしマユを懸けることにちなんだものです。往時には二院16坊の僧坊があり足利第12代将軍義春が3年間仮幕府を開いています。桑實寺は創建の昔より薬師如来信仰の祈願道場として栄えた寺で、戦国時代にも全く戦火には関係がなく、現在の桑實寺本堂は南北朝時代に建立されたままの姿です。」
滋賀県近江八幡市安土町桑実寺292
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山門



ここから450段の階段を登ります。







石橋



地蔵堂











中門



猫が寛いでいました。

本堂(重要文化財)
「室町前期(1333-1392)建立、桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、檜皮葺。」













鐘楼堂





鎮守三社、素戔嗚命・大黒天・素戔嗚妃









大師堂(経堂)
「1576(天正4)年。織田信長により再建され、天台、伝教大師像が安置されていましたが、明治末期の風水害のために大破し、1913(大正2)年に経堂として再建されました。」
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奥石(おいそ)神社

2022-05-26 21:09:16 | 滋賀
2022年5月24日、お参りしました。
「創建について『奥石神社本紀』1384(至徳元)年では、紀元前286年(第7代孝霊天皇5年)に石辺大連が老蘇森に神壇を築いて大歳神御子を祀ったことに始まるとする。また、第10代崇神天皇の時には吉備津彦が宮殿を設けて澳津比古命・澳津比売命を、第15代応神天皇の時に賀佐朝臣(吉備津彦後裔)が日本武尊・橘比売命を配祀としたとする。一説には繖山(きぬがさやま)を神体山とする原始信仰に始まる神社とされ、現社地は繖山山頂の磐座を遥拝する里宮とする説がある。」
滋賀県近江八幡市安土町東老蘇1615
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社標





石灯籠

鳥居

参道



吉住稲荷社









狛犬



手水舎

神楽殿









狛犬



拝殿







中門





本殿(重要文化財)
「三間社流造の庇の間に建具を設けて前室とし、さらに向拝をつける形式は滋賀県に中世の遺構が多く古式の流造がひときわ優美に発達したものです。この本殿は1581(天正9)年の再建で、庇の間は開放していますが中世に発達した形式を踏襲しており、唐草文様を透彫りした蟇股や彫刻をほどこした手狭、あるいは母屋の腰廻りの嵌板に配列した格狭間など、各所に華麗な装飾をつけた当代第一級の本殿建築です。本殿の再建は織田信長が城下町を形成する施策に関連したものと考えられ、棟札はその考証の好資料となります。」





境内社諏訪社本殿(安土町指定文化財)
「この建物は、正面柱間1.32メートルの一間社流造、檜皮葺の建物です。建立年代は明らかではありませんが、舟肘木、向拝の木鼻、連三斗組の組物の部分的な特徴や、全体の様子から桃山時代に建立されたものと考えられます。1860(安政7)年と1880(明治13)年にそれぞれ修理の記録があります。」

境内





御神木

老蘇森(史跡・国指定文化財)
「この森は、平安時代には早くも人々に知られており、しばしば和歌などに詠みこまれています。往時は現在の数倍の大森林であったといわれ、街道(中山道)の名所として旅行者の訪れるところとなっていました。伝説によれば、昔この地裂け水湧いてとても人の住める所ではなかったのですが、石部大連が樹の苗を植え神々に祈願したところ、まもなく大森林となり、この大連は生きながらえて齢百数十歳を重ねたため『老蘇の森』と称せられたと伝えられています。」
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阿賀神社(太郎坊宮)

2022-05-26 20:01:22 | 滋賀
2022年5月24日、お参りしました。
説明書より「東近江市街西方に鎮座する阿賀神社は、世上『太郎坊宮」との尊称を以て呼び慣わされる古社である。創祀を遡れば遥かに推古天皇の御代、畏くも上宮聖徳法王が当地赤神山で阿賀大神を斎き祀られた事に端を発す。蛾々たる妙岩が聳つ赤神山は尊き神霊が降臨し賜う霊峰と信ぜられ、有りと有る求道者が競い詣でたという。爾後千有余年の長きに亘って山獄仏教や修験道と習合し、所謂『太郎坊信佛道』の根本道場として椴賑を極めた。現存する阿賀神社の近世以降の社殿等建造物群は、斯くの如く急峻な山塊に当時成し得た巧技の限りを尽くして建立されている。左様に多種多彩な大型建造物が、峻烈たる山上に集造された状は他例を見ない。佛に諸願成就の祈願所として敬佛される阿賀神社に寄せた、人々の赤心を現在に伝えるものである。」
滋賀県東近江市小脇町2247
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太郎坊宮遥拝所

社標

狛犬



一の鳥居(登録有形文化財)
「1894(明治27)年造立、石造、間口5.4メートル、八風街道沿いにある参道入口に南面して建つ。石造の明神鳥居で、足元径0・6メートルの内転び円柱に貫を通し、反りのある島木笠木を載せる。北に延びる参道の先に赤神山を臨み、神社の入口を象徴するとともに参道景観を彩る大鳥居として参拝者に親しまれる。」



受付所



鳥居





社標

参道

さざれ石













祭器庫(登録有形文化財)
「1938(昭和13)年建立、参道石段を挟んで長楽殿に対面して建つ。置屋根形式の切妻造妻入、土蔵造二階建で、西面に扉口を設けて吹放し下屋を付す。外壁は漆喰塗、腰縦板張で、鉢巻二段を廻し、西南二面に小窓を穿つ。立体的に構成された参道石段沿いの境内景観の添景となっている。」

長楽殿(登録有形文化財)
「1930(昭和5)年建立、木造平屋建、銅板葺、建築面積2.9㎡、参拝所の正面石段下の北脇に南面して建つ。入母屋造銅板葺の妻を正面として、背面を岩壁の窪みに入れ込む。正面間口は楣を通して硝子窓4枚を入れ、西側面に出入口を設ける。壁は簓子下見板張とする。岩峰中腹に形成された独特な社頭景観の構成要素である。」



手水舎(登録有形文化財)
「1911(明治44)年建立、木造、銅板葺、面積5.0㎡、永安殿東側にある岩棚北端に南面して建つ。切妻造銅板葺、四方吹放しの長方形平面で、西北隅に手水石を据え、格天井を張る。軸部は内転びの角柱頂部を木鼻付の貫で固める。組物は舟肘木、中備蟇股で、細部を復古調の意匠とし、神域の入口を厳かに演出する。」



永安殿(登録有形文化財)
「1907(明治40)年建立、木造2階建、銅板葺、建築面積43㎡、拝殿南側の崖下に東面して建つ神楽演奏所兼社務所。入母屋造銅板葺妻入の二階建で、参道石段に面する正面に唐破風玄関を付す。一階に大座敷、二階に2室を配し、二階の北西二面に掃出しの縁を廻して拝殿に接続する。近代に発展した境内の様相を伝えている。」

拝殿(登録有形文化財)、神楽殿(登録有形文化財)
「神楽殿は、拝殿と一体で社頭景観の中核を構成している。」

末社





稲荷社

愛宕社



腰掛岩

銅鳥居(登録有形文化財)
「1957(昭和32)年建立、拝殿の北側にあり、本殿に通じる岩峰の裂け目の前に東面して建つ。木造で、円柱に貫を通し、反りのない島木笠木を重ねる八幡鳥居形式とし、全体を銅板で包む。神域の入口を明示するとともに古来の磐境信仰の中枢を象徴する構造物として存在感を示している。」

火防の稲荷社





夫婦岩(東近江市指定天然記念物)
「阿賀神社の鎮座する赤神山をはじめ湖東平野に散在する山々は、中生代白亜紀(およそ七千万年前)の火山活動でできたと考えられており『湖東カルデラ』と呼ばれている。これらの山々は『湖東流紋岩』と呼ばれる岩石で構成されており、湖東平野の特徴的な地形景観を形成している。火山岩は冷えて固まっていくときにに収縮し『節理』と呼ばれる規則的な割れが生じる。この夫婦岩は、節理に沿って割れ目が発達したものである。昔からこの間を通って参拝する者には、即座に病苦を除き諸願成就するが、悪心ある者は岩に挟まれると言われてきた。」



参拝所(登録有形文化財)
「1924(大正13)年建立、木造平屋建、銅板葺、建築面積45㎡、本殿前に東面して建つ。入母屋造銅板葺の渡殿を核として正面中央に切妻造の向拝を設け、背面に切妻造吹放しの幣殿を出して接続する本殿の側背面に下屋状の屋根を廻す。本殿と一体化した複雑な屋根を形成し、山腹に広がる境内景観の象徴的存在となっている。」





本殿(登録有形文化財)
「1753(宝暦3)年建立、木造平屋建、銅板葺、建築面積3.6㎡、東近江市街西方の赤神山にある神社。本殿は岩峰南腹に東面して建つ一間社入母屋造銅板葺、正面千鳥破風、向拝軒唐破風付で、正側面に縁を廻す。二手先詰組に中備蟇股を加え、頭貫木鼻の霊獣や手挟の菊花彫刻、台輪木鼻の繰形など、要所に丁寧な装飾を施す。」

地主社

寿老人

毘沙門天

一願成就社





弁財天

恵比須

狛犬



大黒天

福禄寿



不動明王尊





不動明王拝所(登録有形文化財)
1930(昭和5)年建立、石造、絵馬殿西側にある不動明王の祠の前に建つ。総花崗石造、方一間吹放しで、軸部は内転び角柱を貫と梁桁でつなぎ、束で棟木を受ける。屋根は東西棟の切妻造、反りのある流し石板葺である。大棟や鬼瓦等の細部も花崗石で精巧につくり、高度な石工技術をみせる。






















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布施神社

2022-05-26 16:54:27 | 滋賀
2022年5月24日、お参りしました。
説明書より「布施神社は、979(天元2)年、慈忍阿闍梨が玉緒山地福寺を建立し、春日明神四社と日吉大権現、十禅師大権現および八王子大権現の三社を合祀し、村の氏神としたと伝える。現在地の付近にある城山の地に建立されたのを、慶長年間(1596-1615)に今の地に移したという。祭神は武勇の神である武甕雷命(たけみかづちのみこと)。」
滋賀県東近江市布施町115番
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歌碑

社標

鳥居

手水舎



鳥居

拝殿

狛犬



本殿(重要文化財)
「一間社流造、杮葺、三棟、西向に並立し、ほとんど同一形式の建物で、覆屋の中にあってよく当初の材料を保存している。右より春日社、日龍社、十禅師社の各社殿である。建立年代は明らかでないが、形式手法上鎌倉時代の建立と認められ、妻板より造出しの板蟇股は特に美しく、斗栱、軒廻り等も優れた造りで、正面の柱間が約1.1メートルで滋賀県内の一間社のなかでは最も小さい建物ではあるが稀に見る遺構である。」









弁天社

天神社

八王子社
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山部神社・赤木寺

2022-05-26 16:50:55 | 滋賀
2022年5月24日、お参りしました。
山部神社
説明書より「山部神社は、万葉歌人として名高い山部赤人を祭神とし、1876(明治9)年に小松大明神から山部神社に改称されました。本殿は一間社流造、檜皮葺で、室町時代末期に建立されたとされています。また、本社には平安時代末から室町時代にかけての古文書63点(東近江市指定文化財)が伝えられており、その内容から当地下麻生は当時下七板と称し、麻生荘の中心的な位置にあった事がわかります。当地は、山部赤人の終焉の地と伝えられ、赤人伝説にまつわる史跡が多く残されています。」
滋賀県東近江市下麻生町214
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社標

鳥居

手水舎

境内

神馬

拝殿



狛犬



本殿

末社

稲荷社



赤人寺
説明書より「山号は養老山と号す。当寺は奈良時代の歌人、山部赤人公の創建で、またその臨終の地と伝えられています。寺伝によると赤人公は若い頃、『汝は我が生まれ変わり』との夢のお告げにより田子の浦から一寸八分の如意輪観音を念持仏として迎え、歌道に霊験を得ました。壮年に及んで蒲生野へ遊歴された際、木に掛けた冠がはずれなくなって一夜を過ごしたところ、再び『この地こそ仏法興隆の勝地なり、この地に安置すべし』との夢のお告げによって当寺が創建されました。元正天皇より『養老山』の勅額を賜り『赤人寺』と名づけられ、赤人公は観世音を護持してこの地で生涯を閉じたと伝えます。本尊は室町時代1518(永正15)年彦根の佛師作の木造如意輪観音菩薩坐像で秘佛となっています。」
本堂





七重石塔(重要文化財)
「1318(文保2)年建立、山部種生が赤人の冥福を祈って建てた『赤人供養塔』であると伝えられ、また冠を掛けた木は『冠掛けの桜』と今に伝えられています。塔身には『文保貮年』『戊牛歳弌月日』と陰刻してある。相輪は後補のものであるが基礎・塔身・笠は完備しており、完全であれば十尺塔(3メートル)であった。基礎には格狭間、塔身には梵字を配している。各部よく揃っており、在銘の七重塔として非常に貴重である。」



赤人廟碑
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高木神社

2022-05-26 16:03:22 | 滋賀
2022年5月24日、お参りしました。
「高木神社は麻生庄、五郷の総社で、祭神は高産霊神を祀る。」
滋賀県東近江市蒲生岡本町709
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社標

石橋

鳥居

手水舎

















拝殿

狛犬



本殿(重要文化財)、
「1512(永正9)年建立、現在の本殿は隣接する日吉神社本殿と様式がよく類似しており、形式は前室付三間社流造。繊細で優美な三間社本殿の好例である。」
石灯籠(重要文化財)「1315(正和4)年建立」









境内社・日吉神社(重要文化財)
「当本殿は内陣安置の宮殿扉に1512(永正9)年の墨書があり、同年代に建てられたと考えられる。高木神社本殿より規模がやや小さく、向拝が一間であるほかは構造形式が殆んど同じである。」







末社
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涌泉寺

2022-05-26 14:59:22 | 滋賀
2022年5月24日、お参りしました。
「山号は梵釈山と号す。臨済宗妙心寺派の寺院です。聖武天皇の勅願によって開創と伝えられています。天正年間(1573-92年)実厳により再興す。」
滋賀県東近江市鋳物師町1425
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寺標

鐘楼の山門







本堂





九重塔(重要文化財)
説明書より「この九重塔は基礎を失っており現高は約4.4メートルであるが、基礎が揃っていれば総高4.8メートル程度となり、十六尺塔として造立されたと思われる。塔身には西面に阿弥陀、北面に弥勒、東面に薬師、南面に釈迦の坐像を刻出している。薬師像面の左右に『広隆寺氏人一切衆生■』『永仁三秊乙未正月七日』の銘文があり、もとは広隆寺に造立されていたものである。この広隆寺と涌泉寺との関係とともに、この塔がもとからこの地に造立されたのか、移建されたのかは不明であるが、鎌倉時代の在銘の九重石塔として貴重である。」





石灯籠






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井林神社・世神社

2022-05-26 14:30:27 | 滋賀
2022年5月24日、お参りしました。
説明書より「井林神社は、『北の山王さん』と呼ばれている。1534(天文3)年に日野城ができた頃より、大窪町の中央通りより北側が氏子となり日吉山王権現がこの地に祀られた。燈籠のすべてが明治以前に寄進されたもので、特に津藩士内海氏の寄進燈籠は江戸時代の歴史を探る上で貴重な遺品である。祭礼は4月12日、各町内より奉納される美しい『ほいのぼり』はふる里日野の風物詩の一つである。」
滋賀県日野町大字松尾198
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社標

狛犬



鳥居

手水舎

参道

狛犬



舞殿

社務所

参道

拝殿









本殿

世神社(せじんじゃ)
井林神社の境内の一画に鎮座しています。
説明書より「この石の祠を世神社といい、椀づくりの木地師や塗物を業とした塗師たちが、あがめた神社で惟喬親王を祭神としている。その昔、日野の町の特産として日野椀という木椀が大量に生産され、双六町を中心にたくさんの塗師が住んでいた。その人たちが惟喬親王画像を共有で伝え、岡本町にあったという祠をここへ遷し、生業の神として祀り伝えてきた社である。現在日野椀の生産も全く絶え、この社を崇敬する職人も少なくなった。」


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