旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

柳谷八王子神社

2022-05-14 22:02:08 | 神戸市北区
2022年5月14日、お参りしました。
「当社の創建は不祥ながら、地元のいい伝えでは、もともと隣村である吉尾の近くに鎮座していたものを現在地に移遷したが、その後、羽柴秀吉の三木城攻略の時に兵火に罹り焼失し、1723(享保8)年11月に再建したといわれている。社殿は、茅葺屋根を鉄板で覆った鞘堂の中に三社の本殿が並び、拝殿も茅葺屋根を鉄板で覆っている。毎年9月15日に、当地方に昔から受け継がれている特殊神事である「お當行事」が行われる。当日、神前に氏子全員が参列して神事を行った後、神社前の公民館に移動し、新旧當人の交替儀式を行う。女人禁制などの特別な習慣はない。お當行事の夜には、境内で小・中学校生徒による子供相撲が奉納される。境内には、この地方であまり見ね事が出来ない『アカガシ』の老木が多数あって、兵庫県の『環境緑地保全地域』に指定されている。」
神戸市北区八多町柳谷字蓮池池垣1090
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社標

鳥居

石灯籠

参道

手水舎

地蔵堂



石灯籠

手水舎

狛犬



拝殿



本殿







境内


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中尾神社

2022-05-14 21:56:12 | 神戸市北区
2022年5月14日、お参りしました。
由緒書より「当神社の発祥は、安徳帝の寿永年間(1182~)に伊勢神官の御神札の大麻(おおぬさ)が発行され諸国に頒布されたとき、この大麻を収めた櫃が一時この平井の地に安置されたので村人が相集い仮殿を設けたことが創めとされている。神社の名前は江戸末期まで神明社、文久の頃に天照皇太神官、1873(明治6)年村社に列せられ中尾神社となる。史実によると天正年間(1573~1592)に羽柴秀吉中国備中征伐途次の切畑城攻めの際、その兵火で荒廃し、久しく石の祠にすぎなかった社を文久年間(1861~1864)に五社が西尾村から分村したのを機会に前北勘兵衛、森甚七、森清太らが中心となり伊勢神官に模してほゞ現在の姿を造営し、その後も幾度かの普請を経て現在に至っている。尚、初代神馬は戒屋利作、現在の神馬は前北三二の奉納されたものである。」
神戸市北区有野町有野462
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鳥居

白馬

拝殿

本殿














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下唐櫃山王神社

2022-05-14 20:47:32 | 神戸市北区
2022年5月14日、お参りしました。
「当社の創建年月は不祥であるが、源義経が一の谷の戦勝を祈願して、弓矢を奉納した。また、建武動乱のおり、赤松則村・則祐が戦勝を祈願して金幣等を奉納したとの伝承がある。当社は、江戸時代と明治維新に出された高札三枚を所蔵している。その内一枚は、1711(正徳元)年のもので、『火付人取締』に関するものである。毎年1月1日の歳旦祭に併せて、『宮守交代儀式』と『追儺式』が執り行われる。氏子は四つの班に分かれており、年々交代で1つの班から三名が立候補し、その中から抽選で1名が選ばれる。抽選にもれた二名は、翌年の追儺式の弓を射る役となる。2月3日の節分の夜、『東天紅(トテコロ)』という行事が行われる。この行事の起源は不祥だが、近くの唐櫃石神社に、神功皇后が朝鮮からの帰途、金の雌雄の鶏一対等を唐櫃に納めて埋めたとの伝説があり、立春の夜にはその金鶏が鳴き暁を告げるといういわれから、小学校低学年の男児28人が選ばれ、雄鶏役が『トテコロ』と呼ぶと、雌鶏役が『クク』と答える。」
神戸市北区有野町唐櫃字溝ノ下536
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鳥居

参道



神橋



狛犬



石灯籠

拝殿



本殿

八幡宮。賀茂明神宮



唐櫃石神宮

稲荷社



愛宕山仮参所
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