2016年9月30日、興福寺の後、食事をしてバスで春日大社に移動です。
三条通です。
外国からの観光客も結構います。
手力雄神社
「春日大社の境外の末社」
奈良県里程元標と高札場の復元
南都銀行本店(登録有形文化財)
三条通りと東向通りの角にあります。
「大正15年(1926)建築、鉄筋コンクリート造地上4階地下1階建。正面に4本のイオニア式の列柱を並べ細部に装飾を施す外観は、古典様式を簡潔にまとめた好例。設計長野宇平治、施工大林組。古都奈良の数少ない様式建築の一つ。」
銀行の南側の三好屋さんで食事をしました。
手書き風のメニューが一杯です。
佐保路定食の茶そばと天ぷらです。930円です。妻は天丼の単品700円でした。
東向通りの商店街
日本聖公会奈良基督教会(登録有形文化財)
幼稚園が併設されているため、開放していませんでした。奈良県の障害者教育発祥の地
近鉄奈良駅前
バス停1番乗り場より春日大社本殿まで210円です。
春日大社
パンフレットより「奈良都が遷された今から1300年程前、平城京鎮護のため、国譲りを達成された最強の武神である武甕槌命を鹿島神宮から神山御蓋山山頂浮雲峰にお迎えし祀ったのが始まりです。武甕槌命は白い鹿に乗って来られたとされ、奈良で鹿が神の使いとして保護されるゆえんとなりました。神護景雲2年(768)、称徳天皇の勅命により今の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命、枚岡神社から天児屋根命、比売神をお招きしてお祀りし、この四社の神々はもっとも尊崇すべき神々として春日皇大神様とされました。後の時代まで国家鎮護の神として時の天王や貴族、将軍家などから篤い尊崇を受けるとともに、平安時代の終わり頃からは興福寺との一体化が進み、明治に至るまで神仏習合の信仰が続きました。平城京から長岡京に遷都されると、都の守護神として春日皇大神様をお祀りする大原野神社が、また平安京には同じように吉田神社が創建されるなど、全国各地に奉斎された三千社におよぶ春日の御分社、そして平安時代から奉納され続けられている境内の三千基もの燈籠は、春日皇大神様の厚い信仰の広がりを示しています。当社は千古の森の緑の中に、色鮮やかな朱の御殿をはじめ諸社殿が往古と変わらぬ壮麗で瑞々しい姿でお鎮まりになっています。藤の名所として知られる境内には国宝の本殿、重文の弊殿、着到殿、一之鳥居などが建ち並びます。そして今も昔と変わらず3月13日に行われる大宮の御祭で日本三大勅祭のひとつに数えられる春日祭。そして12月17日を中心に行われる若宮の御例祭である春日若宮おん祭を始め、毎日朝夕の御神事など、年間2200回にも及ぶ祭典が行われ、日本の国はもとより、世界の平和、万民の幸福、そして共存共栄が祈り続けられているのです。」
境内図
車舎(重要文化財)
「貞観元年(859)創建、江戸前期の寛永9年(1632)建築、桁行五間、梁間三間、一重、流造、檜皮葺。天皇の行幸や勅使、藤原氏高官の参詣の折りに牛車を入れた車庫である。両側面を除いて吹放しとし、素木造りの簡素な建物である。」
ニ之鳥居
狛犬
鹿
末社・祓戸神社
鹿の手水所
表参道
着到殿(重要文化財)
「室町中期の応永20年(1413)建築、桁行七間、梁間三間、一重、東端入母屋造、西端流造、檜皮葺。」
室内では映像が流されていました。
榎本神社
南門(重要文化財)
廻廊(南門慶賀門間)(重要文化財)
廻廊(南門東)(重要文化財)
幣殿(重要文化財)
「3月13日の春日祭で勅使が御祭文を奏上されたり、御神楽の折には、祭場となる重要な建物、通常は参拝所として用いられる。」
末社
中門(重要文化財)
東御廊(重要文化財)
本殿、撮影禁止
燈籠
大杉
「目通り周囲7.94m、高さ23m、鎌倉時代の「春日権現験記」には幼木の姿が描かれている。その根元から斜めに伸びているのはイブキ(ビャクシン)で、直会殿の屋根に穴をあけてまで木を生かしているのは、春日大社の信仰によるものである。」
林檎の樹
御蓋山浮雲峰遥拝所
桂昌院奉納の燈籠
末社・岩本神社
移殿(重要文化財)
『式年造替や修理に際して、神様を移しすることから移殿と言う。また古くは「内侍殿」と呼ばれ、春日祭の折に朝廷から発遣された内侍(女官)のための社殿でもあった。』
多賀神社
藤浪之屋(重要文化財)
暗い中で万燈籠を再現しています。
末社・椿本神社
末社・風宮神社
宝庫(重要文化財)
竈殿(重要文化財)
酒殿(重要文化財)
「桁行五間、梁間三間、一重、流造、檜皮葺。」
桂昌殿(奈良市指定文化財)
阿倍伸麿公の碑
四脚門(奈良市指定文化財)
末社・総宮神社
末社・一言主神社
末社・水谷神社
子授石
貴賓館(奈良県指定文化財)
改めて、春日大社の祭事を感じ、世界平和、戦争あるいは紛争が無くなることを祈ります。コロンビアでも反政府勢力との対話で武器の放棄が進んだとの報道がありました。フィリピンでも同様な対応がされたとか。武器の輸出で儲けることや軍事と軍事の衝突での解決ではなく、対話による外交努力が求められるのでは。掌と掌を合わせれば皺合わせ(幸)となる。(合掌)
三条通です。
外国からの観光客も結構います。
手力雄神社
「春日大社の境外の末社」
奈良県里程元標と高札場の復元
南都銀行本店(登録有形文化財)
三条通りと東向通りの角にあります。
「大正15年(1926)建築、鉄筋コンクリート造地上4階地下1階建。正面に4本のイオニア式の列柱を並べ細部に装飾を施す外観は、古典様式を簡潔にまとめた好例。設計長野宇平治、施工大林組。古都奈良の数少ない様式建築の一つ。」
銀行の南側の三好屋さんで食事をしました。
手書き風のメニューが一杯です。
佐保路定食の茶そばと天ぷらです。930円です。妻は天丼の単品700円でした。
東向通りの商店街
日本聖公会奈良基督教会(登録有形文化財)
幼稚園が併設されているため、開放していませんでした。奈良県の障害者教育発祥の地
近鉄奈良駅前
バス停1番乗り場より春日大社本殿まで210円です。
春日大社
パンフレットより「奈良都が遷された今から1300年程前、平城京鎮護のため、国譲りを達成された最強の武神である武甕槌命を鹿島神宮から神山御蓋山山頂浮雲峰にお迎えし祀ったのが始まりです。武甕槌命は白い鹿に乗って来られたとされ、奈良で鹿が神の使いとして保護されるゆえんとなりました。神護景雲2年(768)、称徳天皇の勅命により今の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命、枚岡神社から天児屋根命、比売神をお招きしてお祀りし、この四社の神々はもっとも尊崇すべき神々として春日皇大神様とされました。後の時代まで国家鎮護の神として時の天王や貴族、将軍家などから篤い尊崇を受けるとともに、平安時代の終わり頃からは興福寺との一体化が進み、明治に至るまで神仏習合の信仰が続きました。平城京から長岡京に遷都されると、都の守護神として春日皇大神様をお祀りする大原野神社が、また平安京には同じように吉田神社が創建されるなど、全国各地に奉斎された三千社におよぶ春日の御分社、そして平安時代から奉納され続けられている境内の三千基もの燈籠は、春日皇大神様の厚い信仰の広がりを示しています。当社は千古の森の緑の中に、色鮮やかな朱の御殿をはじめ諸社殿が往古と変わらぬ壮麗で瑞々しい姿でお鎮まりになっています。藤の名所として知られる境内には国宝の本殿、重文の弊殿、着到殿、一之鳥居などが建ち並びます。そして今も昔と変わらず3月13日に行われる大宮の御祭で日本三大勅祭のひとつに数えられる春日祭。そして12月17日を中心に行われる若宮の御例祭である春日若宮おん祭を始め、毎日朝夕の御神事など、年間2200回にも及ぶ祭典が行われ、日本の国はもとより、世界の平和、万民の幸福、そして共存共栄が祈り続けられているのです。」
境内図
車舎(重要文化財)
「貞観元年(859)創建、江戸前期の寛永9年(1632)建築、桁行五間、梁間三間、一重、流造、檜皮葺。天皇の行幸や勅使、藤原氏高官の参詣の折りに牛車を入れた車庫である。両側面を除いて吹放しとし、素木造りの簡素な建物である。」
ニ之鳥居
狛犬
鹿
末社・祓戸神社
鹿の手水所
表参道
着到殿(重要文化財)
「室町中期の応永20年(1413)建築、桁行七間、梁間三間、一重、東端入母屋造、西端流造、檜皮葺。」
室内では映像が流されていました。
榎本神社
南門(重要文化財)
廻廊(南門慶賀門間)(重要文化財)
廻廊(南門東)(重要文化財)
幣殿(重要文化財)
「3月13日の春日祭で勅使が御祭文を奏上されたり、御神楽の折には、祭場となる重要な建物、通常は参拝所として用いられる。」
末社
中門(重要文化財)
東御廊(重要文化財)
本殿、撮影禁止
燈籠
大杉
「目通り周囲7.94m、高さ23m、鎌倉時代の「春日権現験記」には幼木の姿が描かれている。その根元から斜めに伸びているのはイブキ(ビャクシン)で、直会殿の屋根に穴をあけてまで木を生かしているのは、春日大社の信仰によるものである。」
林檎の樹
御蓋山浮雲峰遥拝所
桂昌院奉納の燈籠
末社・岩本神社
移殿(重要文化財)
『式年造替や修理に際して、神様を移しすることから移殿と言う。また古くは「内侍殿」と呼ばれ、春日祭の折に朝廷から発遣された内侍(女官)のための社殿でもあった。』
多賀神社
藤浪之屋(重要文化財)
暗い中で万燈籠を再現しています。
末社・椿本神社
末社・風宮神社
宝庫(重要文化財)
竈殿(重要文化財)
酒殿(重要文化財)
「桁行五間、梁間三間、一重、流造、檜皮葺。」
桂昌殿(奈良市指定文化財)
阿倍伸麿公の碑
四脚門(奈良市指定文化財)
末社・総宮神社
末社・一言主神社
末社・水谷神社
子授石
貴賓館(奈良県指定文化財)
改めて、春日大社の祭事を感じ、世界平和、戦争あるいは紛争が無くなることを祈ります。コロンビアでも反政府勢力との対話で武器の放棄が進んだとの報道がありました。フィリピンでも同様な対応がされたとか。武器の輸出で儲けることや軍事と軍事の衝突での解決ではなく、対話による外交努力が求められるのでは。掌と掌を合わせれば皺合わせ(幸)となる。(合掌)
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