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光明寺

2022-12-12 19:56:06 | 加東市
2022年12月11日、お参りしました。
説明書より「前の本堂は1859年(安政6年)に焼失、現在のこの堂は、故武田伍一博士の設計により1925年(大正14年)に建立されました。方九間、銅板葺き、入母屋造り、周囲を勾欄つきの縁で廻しています。また正面には4本の向拝柱があり、その上からの虹梁は、大きく弓形に曲がってなかなか見事です。簡素ですっきりした雄大な鎌倉時代の建築様式をよく伝えています。内陣宮殿には本尊十一面千手観音、脇士に不動明王、毘沙門天王を安置しています。播磨平野を一望できる五峰山の頂上付近にたたずむ本堂。真言宗の古刹で『播磨高野』とも呼ばれています。南北朝時代光明寺合戦が繰り広げられた舞台でもあります。参道沿いには多聞院、遍照院、大慈院、花蔵院という塔頭が並び、山門を入ると文殊堂・鎮守社・常行堂等が見え、さらに階段を上ると入母屋造銅板葺の本堂が目前に迫ってきます。」
兵庫県加東市光明寺433
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塔頭・多聞院







塔頭・遍照院













塔頭・大慈院

























塔頭・花蔵院







仁王門
「1693(元禄6)年に再建された建物の一部を使用して、1981(昭和56)年5月に殆ど完全に復元されたものである。又奉安の阿吽一対の仁王尊像もこのたび同時に修理をしたが再建当時の造顕のもので効験あらたかなり。当山伽藍の守護尊である。」







文殊堂
「この堂は1682(天和2)年に再建されたもので、現存する当山の諸堂の中でも最古のものである。破損神代のため1982(昭和57)年屋根葺き替え修理をし、更には正面には唐破風向拝を新たに増築した。本尊は学徳成就進学祈願の知恵文殊菩薩である。」





鎮守社
「創建年代不祥、1981(昭和56)年に屋根の葺き替え他一部を修理した。五峰山光明寺の守護神として熊野権現を勧請奉祀する。」



常行堂(阿弥陀堂)
「この堂は、1701(元禄14)年から1702(宝永年間)年にかけて再建されたものである。屋根葺き宝形造り様式で広さは四間四面である。堂内宮殿には本尊阿弥陀如来(室町時代の作)と脇士として観音・勢至の二菩薩が安置してある。背面には当山に篤信のあった諸大名の霊碑をはじめ十方信徒の霊碑を奉祀する供養廻向の道場である。」





水子・子育地蔵堂
「1733(享保18)年2月に再建され爾来当山の納髪堂として地蔵尊を奉安したるも1982(昭和57)年6月大修理をして水子子育地蔵尊と改称開眼供養す極く小さな建物ではあるがしっくりと落ちついた美しさを見せている。屋根は宝形造りで露盤の四面には地蔵尊真言の梵字が浮き彫りして書かれている。」

鐘楼



本堂
「この建物は1925(大正14)年4月故武田五一博士の設計により鎌倉時代の建築様式をもって再建されたものである。屋根には銅板葺きの入母屋造りで九間四面(270平方メートル)の広さをもつ。内陣は宮殿には法道仙人の作と伝えられる本尊千手十一面観世音菩薩と脇士として不動明王と毘沙門天王の二尊像を奉安する。又脇壇には当山開基法道仙人・聖徳太子・宗祖弘法大師の各尊像も合わせて安置してある。外陣は畳敷きで一山の主なる法要はここに於いて厳修される。新西国第28番播磨西国第18番の霊場である。」







光明寺合戦本陣跡



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