2020年11月20日、お参りしました。
「1168年(仁安3年)に、後白河法皇が、高野山に参詣される途中、とくにこのあたりの景色を好まれ、ここに生母・待賢門院の菩提のためにこの寺を創建されました。寺の名前には『母后報恩』の意味がこめられています。往時は12の坊舎を有する大伽藍で、代々住職は皇女が勤める尼寺でした。淀川の洪水や兵乱でしだいに勢いが衰え、一時は荒れ寺となっていたこともありました。寺宝として後白河法皇と待賢門院の画像のほか、1719年(享保4年)の略縁起などがあります。」
大阪府大阪市都島区都島本通1丁目20
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山門
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本堂
「1168年(仁安3年)に、後白河法皇が、高野山に参詣される途中、とくにこのあたりの景色を好まれ、ここに生母・待賢門院の菩提のためにこの寺を創建されました。寺の名前には『母后報恩』の意味がこめられています。往時は12の坊舎を有する大伽藍で、代々住職は皇女が勤める尼寺でした。淀川の洪水や兵乱でしだいに勢いが衰え、一時は荒れ寺となっていたこともありました。寺宝として後白河法皇と待賢門院の画像のほか、1719年(享保4年)の略縁起などがあります。」
大阪府大阪市都島区都島本通1丁目20
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山門
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本堂
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