2019年9月24日、1泊2日の北陸観光です。最初の観光は大塩八幡宮です。神戸から山陽自動車道、中国自動車道、舞鶴若狭自動車道、北陸自動車道で南条ICから一般道で進みます。
説明書より「大塩八幡宮は、社記によれば891(寛平3)年の鎮座と伝えられる越前国二ノ宮の古社で、武家を中心として崇敬を集め、斯波、朝倉、松平氏等の代々の国主により社殿の修復がなされてきており、その棟札も残されている。」
福井県越前市国兼町22−2
map
一の鳥居
二の鳥居
社標
参道
社務所
三の鳥居
神門
拝殿(重要文化財)
「室町時代の建立と考えられる大型のもので、入母屋造柿葺で、桁行七間、梁間四間、一間の庇を設けた構成となっており、全体に古式で柱は太く、木割も比較的大きな落ち着きのある長床式拝殿の例として貴重なものである。」
梵鐘(越前市指定文化財)
「1167(仁安2)年江州(滋賀県)で初めて鋳造されたが、その後破損したため、1332(元弘2)年に、現在のものに鋳直された。さらに1615(慶長20)年には府中領主本多富正によって当神社の神鐘として奉納されたものである。鎌倉時代の梵鐘として、当市唯一の貴重な文化財である。」
絵馬殿兼神輿庫
神輿
絵馬10面(越前市指定文化財)
狛犬
幣殿
本殿
寿翁神社(疱瘡神社)
「疱瘡・疫病の守護神を祀る。901(延喜元)年2月11日醍醐天皇の勅命により勧請された。1512年大永の頃、越前領主朝倉孝景の長女11歳の時、疱瘡に罹り、悩みあるをこの社の祈祷した御守を持参した処、快方に向い効験あったので、以降お詣りが盛んになったという。」
延喜式内・準別宮
「創立年代は不祥、延喜式内にして往古は一の大鳥居西南地に、比咩神社は一の大鳥居西北の地に鎮座されたが、一向一揆の折、社領一部没収ありて、現在地に奉祀された。」
延喜式内・別宮・高岡神社
「創立年代は不祥、延喜式内にして往古は本殿の巽方(東南)高岡峯に鎮座、八幡宮創立後の898(昌泰元)年6月朔日本殿左脇地に鎮座、江戸期に現在地に移座、越前領主朝倉家の信仰が篤かったという。」
常光寺
「隣接してある天台真盛宗の寺院」
本堂
庫裏
説明書より「大塩八幡宮は、社記によれば891(寛平3)年の鎮座と伝えられる越前国二ノ宮の古社で、武家を中心として崇敬を集め、斯波、朝倉、松平氏等の代々の国主により社殿の修復がなされてきており、その棟札も残されている。」
福井県越前市国兼町22−2
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一の鳥居
二の鳥居
社標
参道
社務所
三の鳥居
神門
拝殿(重要文化財)
「室町時代の建立と考えられる大型のもので、入母屋造柿葺で、桁行七間、梁間四間、一間の庇を設けた構成となっており、全体に古式で柱は太く、木割も比較的大きな落ち着きのある長床式拝殿の例として貴重なものである。」
梵鐘(越前市指定文化財)
「1167(仁安2)年江州(滋賀県)で初めて鋳造されたが、その後破損したため、1332(元弘2)年に、現在のものに鋳直された。さらに1615(慶長20)年には府中領主本多富正によって当神社の神鐘として奉納されたものである。鎌倉時代の梵鐘として、当市唯一の貴重な文化財である。」
絵馬殿兼神輿庫
神輿
絵馬10面(越前市指定文化財)
狛犬
幣殿
本殿
寿翁神社(疱瘡神社)
「疱瘡・疫病の守護神を祀る。901(延喜元)年2月11日醍醐天皇の勅命により勧請された。1512年大永の頃、越前領主朝倉孝景の長女11歳の時、疱瘡に罹り、悩みあるをこの社の祈祷した御守を持参した処、快方に向い効験あったので、以降お詣りが盛んになったという。」
延喜式内・準別宮
「創立年代は不祥、延喜式内にして往古は一の大鳥居西南地に、比咩神社は一の大鳥居西北の地に鎮座されたが、一向一揆の折、社領一部没収ありて、現在地に奉祀された。」
延喜式内・別宮・高岡神社
「創立年代は不祥、延喜式内にして往古は本殿の巽方(東南)高岡峯に鎮座、八幡宮創立後の898(昌泰元)年6月朔日本殿左脇地に鎮座、江戸期に現在地に移座、越前領主朝倉家の信仰が篤かったという。」
常光寺
「隣接してある天台真盛宗の寺院」
本堂
庫裏
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