2019年12月24日、愛媛観光に行きました。浄土寺にお参りです。
説明書より『真言宗豊山派の寺院で、四国88か所の49番札所である。西林山三蔵院と号し、本尊は釈迦如来である。寺伝によると、天平年間(729~749)、僧慧明が創建し、孝謙天皇の勅願所となったという。960年(天徳4)、僧空也が諸国遍歴の途中、3年ほど滞在し、自刻の木像を遺したと伝えられる。1192年(建久3)には、源頼朝が、伊予の豪族河野通信ともども家門の繁栄を祈り、堂塔の修理に力を与えている。境内に66坊の末寺を有する巨刹だったが、1416年(応永23)、兵火で堂宇をことごとく焼失し、1484年(文明16)に河野通宣が再建して寺の景観は旧に復した。その後、室町時代末期の兵火、更にまた、1600年(慶長5)には河野氏の残党が毛利軍とともに久米で戦った「久米の役」によって衰弊したが、その後、法印宥雄がこの寺の再興に尽くしたという。』
愛媛県松山市鷹子町1198
map
仁王門
弁財天
手水舎
鐘楼堂
本堂(重要文化財)
「室町後期1484年(文明16)建立、桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、本瓦葺。」
庫裏
大師堂
阿弥陀堂
愛染堂
仏足石
説明書より『真言宗豊山派の寺院で、四国88か所の49番札所である。西林山三蔵院と号し、本尊は釈迦如来である。寺伝によると、天平年間(729~749)、僧慧明が創建し、孝謙天皇の勅願所となったという。960年(天徳4)、僧空也が諸国遍歴の途中、3年ほど滞在し、自刻の木像を遺したと伝えられる。1192年(建久3)には、源頼朝が、伊予の豪族河野通信ともども家門の繁栄を祈り、堂塔の修理に力を与えている。境内に66坊の末寺を有する巨刹だったが、1416年(応永23)、兵火で堂宇をことごとく焼失し、1484年(文明16)に河野通宣が再建して寺の景観は旧に復した。その後、室町時代末期の兵火、更にまた、1600年(慶長5)には河野氏の残党が毛利軍とともに久米で戦った「久米の役」によって衰弊したが、その後、法印宥雄がこの寺の再興に尽くしたという。』
愛媛県松山市鷹子町1198
map
仁王門
弁財天
手水舎
鐘楼堂
本堂(重要文化財)
「室町後期1484年(文明16)建立、桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、本瓦葺。」
庫裏
大師堂
阿弥陀堂
愛染堂
仏足石
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます