旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

涌泉寺

2022-05-26 14:59:22 | 滋賀
2022年5月24日、お参りしました。
「山号は梵釈山と号す。臨済宗妙心寺派の寺院です。聖武天皇の勅願によって開創と伝えられています。天正年間(1573-92年)実厳により再興す。」
滋賀県東近江市鋳物師町1425
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寺標

鐘楼の山門







本堂





九重塔(重要文化財)
説明書より「この九重塔は基礎を失っており現高は約4.4メートルであるが、基礎が揃っていれば総高4.8メートル程度となり、十六尺塔として造立されたと思われる。塔身には西面に阿弥陀、北面に弥勒、東面に薬師、南面に釈迦の坐像を刻出している。薬師像面の左右に『広隆寺氏人一切衆生■』『永仁三秊乙未正月七日』の銘文があり、もとは広隆寺に造立されていたものである。この広隆寺と涌泉寺との関係とともに、この塔がもとからこの地に造立されたのか、移建されたのかは不明であるが、鎌倉時代の在銘の九重石塔として貴重である。」





石灯籠






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井林神社・世神社

2022-05-26 14:30:27 | 滋賀
2022年5月24日、お参りしました。
説明書より「井林神社は、『北の山王さん』と呼ばれている。1534(天文3)年に日野城ができた頃より、大窪町の中央通りより北側が氏子となり日吉山王権現がこの地に祀られた。燈籠のすべてが明治以前に寄進されたもので、特に津藩士内海氏の寄進燈籠は江戸時代の歴史を探る上で貴重な遺品である。祭礼は4月12日、各町内より奉納される美しい『ほいのぼり』はふる里日野の風物詩の一つである。」
滋賀県日野町大字松尾198
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社標

狛犬



鳥居

手水舎

参道

狛犬



舞殿

社務所

参道

拝殿









本殿

世神社(せじんじゃ)
井林神社の境内の一画に鎮座しています。
説明書より「この石の祠を世神社といい、椀づくりの木地師や塗物を業とした塗師たちが、あがめた神社で惟喬親王を祭神としている。その昔、日野の町の特産として日野椀という木椀が大量に生産され、双六町を中心にたくさんの塗師が住んでいた。その人たちが惟喬親王画像を共有で伝え、岡本町にあったという祠をここへ遷し、生業の神として祀り伝えてきた社である。現在日野椀の生産も全く絶え、この社を崇敬する職人も少なくなった。」


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正明寺(しょうみょうじ)

2022-05-25 21:29:19 | 滋賀
2022年5月24日、お参りしました。
縁起書より「黄檗宗法輪山と号す。聖徳太子創建の伝承を持つ正明寺は、勅建寺の由緒を誇る日野渓屈指の名刹である。戦国の兵火に焼失後、僅かな霊佛のみが守護されていたのを、江戸初期に郷人頓宮宗右衛門が古刹再興を発願して奔走、時の大本山永源寺管長であった一絲文守国師に法援を懇請し、その旨が後水尾法皇に奉上されて叡慮を動かした。時あたかも改築中であった禁裡御所の一棟と白銀が下賜され、1647(正保4)年の頃に正明寺再建が成就、直ちに黄檗禅の大櫖龍渓大和尚を開山禅師として迎え、以後、檀信徒を始め近江日野商人達の篤き帰依を得つつ、黄檗専門道場の寺格を整え、近江に於ける黄檗宗の中心寺院としての歴史を刻み、数多くの名僧を輩出してきた。桃山建築の粋を凝らした檜皮葺本堂と、本尊千手観世音菩薩像および脇侍像が国の重要文化財に指定され、禅堂安置の大日如来像が滋賀県指定文化財であるなど、江戸時代初期に於ける黄檗禅の弘法と、その心を伝える数々の文化財を蔵し、佛法興隆の法燈を絶ゆることなく輝かせている。」
滋賀県日野町松尾560
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石碑

縁起書

石灯籠

寺標



参道







山門













手水舎



禅堂

本堂(重要文化財)
「桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、向拝一間、軒唐破風造、背面下屋附属、檜皮葺。開基は聖徳太子と伝えられ、一時は天台宗の寺院として栄え、子院93を数えるほどの大寺であったが、桃山時代には堂宇の殆どを失ったと云う。その後、1645(正保2)年頃に永源寺の一絲和尚の尽力により後水尾上皇から内裏の建物を賜って現在の本堂が再興され、1664(寛文4)年には黄檗宗龍渓和尚が中興開山となって、ついで二代寂宗和尚、三代晦翁和尚が寺観を整えたと伝える。この本堂は寺記にあるように、内裏の建物の主要な部材を用いて再建されたものと認められる。この時に内裏や唐破風造の向拝などを設けて仏堂建築としたものである。正面の蔀戸、側面の舞良戸、疎垂木小舞打ちの軒などの意匠から内裏の建物であったことがしのばれる。」







玄関

庫裏

臨鏡亭

庭園









経蔵(滋賀県指定文化財)
「経蔵は、黄檗僧、鉄眼道光から後水尾上皇に献上された鉄眼版一切経が正明寺に施入されたことにより建造された。内部には四天柱で支えられた180個の引き出しが入る造り付けの棚が設けられ、中に鉄眼版一切経が納められている。1696(元禄9)年の竣工から現在まで、当初の材料、形態をよく残している。県内でも類例の少ない建築として貴重である。」







開山堂






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比都佐(ひつさ)神社

2022-05-25 18:11:37 | 滋賀
2022年5月24日、お参りしました。
説明書より「弥生時代すでに開けていたこの辺りは古くから、『ひさ野』と呼ばれており、幾つかの村の総社として久野の郷を守護する久野大明神がこの地に祀られた。平安時代大津坂本の日吉山王社の荘園となり、山王七社の十禅師宮が合祀されその名が村の名として残った。境内の宝篋印塔は鎌倉時代1304(嘉元2)年の造立で日本有数の優れた石造物として重要文化財に指定されており、春の例祭に奉納し渡御をするほいのぼりも大変めずらしい」
地名「十禅師」の歴史
「私達の集落は、昔から十禅師と呼ばれています。この地名は非常に古く、室町時代初め1421(応永29)年の記録に、『十禅師』と見えるのが最も古い記録ですが、この地名が生まれたのはもっと古く、次のように、平安時代の中頃までさかのぼります。961(応和元)年、有名な藤原道長の祖父にあたる藤原師輔が死去し、所有地(荘園)の『必佐庄』が息子に譲られました。息子の慈忍は、比叡山延暦寺の境内にあった妙香院の僧でしたが、990(永祚2)年に必佐庄の土地が妙香院に寄付されました。この時から必佐庄が比叡山延暦寺の荘園になり、比叡山の守り、神の『十禅師』が、必佐庄内の比都佐神社に祀られたことから、十禅師という地名が生まれました。」
滋賀県日野町十禅師410
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社標

鳥居

神橋

石灯籠

参道



手水舎



社務所

舞殿





狛犬











拝殿







本殿







西門

宝篋印塔(重要文化財)
「この塔は、刻銘によって、1304(嘉元2)年に造立したことが明らかである。基礎は、書く麺とも輪郭を巻き、格狭間を入れ、内側は、東・南二面は孔雀一対、北面は開花蓮、西面は素面となっている。塔身は、各面とも蓮華座上に、月輪を彫り四仏の種子を配している。笠は、軒付より下に二段、上に七段刻み、隅飾りは三塔身の周囲に溝を彫り丁寧な加工が施してある。基礎と塔身には刻銘があり、造立の内容も知ることができる。この塔は、相輪が欠失しているのは惜しまれるが、造立年次が明らかで、規模が大きく、細部意匠の優秀な遺品として貴重である。」

























末社


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兵庫県立加西フラワーセンター

2022-05-22 16:28:43 | 加西
2022年5月22日、加西フラワーセンターにぶらりと行ってみました。ゆっくりと園内でお弁当を食べての散策でした。バラ園での開花が良いですね。
兵庫県加西市豊倉町飯森1282-1
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温室



















































































バラ園































































































































































鯉のぼり

























































最後に巨峰アイスクリームでした。
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唐櫃石神社

2022-05-15 08:24:14 | 神戸市北区
2022年5月14日、お参りしました。
「神功皇后が朝鮮半島の帰途、この地に留まり、甲冑や金細工の雌雄の鶏を唐櫃に納め、『村民危急の際に掘りおこせ』と埋蔵したという伝承がある。唐櫃の地名はこの伝承に由来しているといわれる。氏子は『石神社』と親しみをもって呼んでいる。毎年節分には、北区有野町唐櫃字溝ノ下に鎮座する山王神社で行われる『東天紅』という古式行事は、本来当社の行事と思われるが、当社には行事を行う場所も施設もなく、また、山王神社の氏子と同じであるため、山王神社で行われているのであろう。社殿は高さ1メートルの石の祠である。扉内側に『奉建御宝殿1692(元禄5)壬申12月吉日施主下唐櫃村庄屋孫兵衛』と刻され、創建年月が明らかである。石の祠の北側に石棺が埋められていると伝えられ、明治の中頃に、村民が伝承を確かめようと発掘を試みたところ、石の蓋らしいものがあっただけで、埋蔵物の存否を確かめることは出来なかったという。境内には、付近でほとんど見ることが出来ない、樹齢百年を優に越えていると思われる『シラガシ』の巨木が多数あって、神戸市から『市民の森』に指定されている。」
神戸市北区有野町唐櫃字高津孝962
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唐櫃石神社、石の祠が市民の森に、フェンスで囲ったところに鎮座しています。
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専念寺

2022-05-15 08:14:27 | 神戸市北区
2022年5月14日、お参りしました。
縁起書より「一心山唯称院、浄土宗の寺院です。当寺は約400年前、1574(天正2)3月14日の開山です。この日付は初代退蓮社転誉上人示寂を祈念したもので、それ以前は幽松庵又は唯称庵とよばれ、赤松円心父子や有馬入湯の高僧知識がたびたび滞留した由緒ある寺院であります。寺域は明治の変革で削られ、現在は約2千平方メートルですが、その内外に石造文化財の宝庫といわれ、『おしゃもじ地蔵堂』をはじめ、長脚板碑、赤松円心則村の供養石塔、同子息則祐の供養石塔、延命地蔵木像などの文化財があります。周辺に5百本のアジサイが植えられており『アジサイ寺』とも呼ばれています。」
神戸市北区有野町唐櫃426−1−1
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寺標

地蔵堂



本堂






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有野須佐男神社

2022-05-15 07:52:51 | 神戸市北区
2022年5月14日、お参りしました。
「当社の創建年月は不祥であるが、1108(天仁元)年、村内に疫病が流行して村民の多くが死亡したので、神助によって病魔を除こうと、廣峰神社の御分霊を勧請して、この地に奉斎したところ、忽ちにして疫病が終息したといい伝えられている。社殿は、木造鉄板葺の鞘堂の中に本殿が据えられており、1702(元禄15)年8月の建築と伝えられている。7月の夏祭と10月の例祭の際に『百度駆』という行事が行われる。祭礼当日に、氏子がお菓子類を持参して神前にお供えし、午後4時頃、宮守がお供えした菓子類を子ども達に分け与える。『百度駆』は、境内の鳥居前にある百度石の処に集まっている子ども達に、宮守が「オーイ」と呼ぶと、子ども達が一斉に本殿前に駆け寄ってくる。宮守は子ども達に菓子を少しずつ分け与える。お供えした菓子がなくなるまで繰り返す。子ども達にとっては、楽しい行事ですね。」
神戸市北区有野町有野字宮ノ谷129
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鳥居

手水鉢

石灯籠

鞘堂











本殿

末社


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柳谷八王子神社

2022-05-14 22:02:08 | 神戸市北区
2022年5月14日、お参りしました。
「当社の創建は不祥ながら、地元のいい伝えでは、もともと隣村である吉尾の近くに鎮座していたものを現在地に移遷したが、その後、羽柴秀吉の三木城攻略の時に兵火に罹り焼失し、1723(享保8)年11月に再建したといわれている。社殿は、茅葺屋根を鉄板で覆った鞘堂の中に三社の本殿が並び、拝殿も茅葺屋根を鉄板で覆っている。毎年9月15日に、当地方に昔から受け継がれている特殊神事である「お當行事」が行われる。当日、神前に氏子全員が参列して神事を行った後、神社前の公民館に移動し、新旧當人の交替儀式を行う。女人禁制などの特別な習慣はない。お當行事の夜には、境内で小・中学校生徒による子供相撲が奉納される。境内には、この地方であまり見ね事が出来ない『アカガシ』の老木が多数あって、兵庫県の『環境緑地保全地域』に指定されている。」
神戸市北区八多町柳谷字蓮池池垣1090
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社標

鳥居

石灯籠

参道

手水舎

地蔵堂



石灯籠

手水舎

狛犬



拝殿



本殿







境内


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中尾神社

2022-05-14 21:56:12 | 神戸市北区
2022年5月14日、お参りしました。
由緒書より「当神社の発祥は、安徳帝の寿永年間(1182~)に伊勢神官の御神札の大麻(おおぬさ)が発行され諸国に頒布されたとき、この大麻を収めた櫃が一時この平井の地に安置されたので村人が相集い仮殿を設けたことが創めとされている。神社の名前は江戸末期まで神明社、文久の頃に天照皇太神官、1873(明治6)年村社に列せられ中尾神社となる。史実によると天正年間(1573~1592)に羽柴秀吉中国備中征伐途次の切畑城攻めの際、その兵火で荒廃し、久しく石の祠にすぎなかった社を文久年間(1861~1864)に五社が西尾村から分村したのを機会に前北勘兵衛、森甚七、森清太らが中心となり伊勢神官に模してほゞ現在の姿を造営し、その後も幾度かの普請を経て現在に至っている。尚、初代神馬は戒屋利作、現在の神馬は前北三二の奉納されたものである。」
神戸市北区有野町有野462
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鳥居

白馬

拝殿

本殿














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