2009.2.7(土)晴れ
朝の気温は-3度、室温は10度、体感温度というのは多分に相対的なもので、そう寒くは感じない。秋の終わり頃だと6度、7度でずいぶん寒く感じたし、昨年初めてマイナスを記録したときは絶望的な寒さを感じたものだ。春は気温が低くても暖かく感じられて、いい季節である。ふきのとうを発見、天ぷらでもするか。
ふきのとうが春を思わせる。大根はできぞこない。
今日は天気もいいので昨日運んだ薪を整理する。クヌギがほとんどだが、その中に直径が4,5センチの細いものがある。生木だがなんとか燃えるのじゃないかと数本切ってみる。実は一昨日、備蓄してあった栗の枯れ木をすべて薪割りをし、ベランダの下に保管したのだが、2月中旬で使い果たすだろうその備蓄状態に大きな不安を抱いたものである。「買っておけば精神的に楽ですよ」という蕎麦の花さんの言葉が妙に気に掛かる。いや、絶対に薪は買わないぞと言う決心が揺らいでくる。そのためにもだ、生木であっても細いのならば燃えてくれるんじゃないかという淡い期待がそのクヌギにかかっているのだ。祈るような思いで数本をストーブに放り込む、中は廃材と細かく割った栗の木で充分おきが出来ている。ガンガン空気を送ってもなんの変化もない、やはり生木はつらいかなあ。諦めて昼食をとり、ストーブを覗いてみるといやいや先程の木が炎を上げて燃えているではないか。おーこれでこの冬は安泰だ。あの細い木ならいくらでもあるぞ。
細いのなら生木でも燃えるぞ。
永い呪縛から解き放たれたような爽快感を味わいながら、細めのクヌギを刻んでゆく。太い目のは積み上げて来冬の燃料とする。 そうこうしているうちに軽トラがやってきて石田君が姿を現す。荷台には古い薪が満載だ。燃料が灯油となって不要になった薪を三和町から持ってきてくれたのだ。乾きに乾いた最高の薪だ。もうこの冬は盤石、ヒヤヒヤしないで好きなだけ薪が使える。三ツ井君にお借りしているクロスコンテナに満杯の薪を目の前にして、持つべきものは友だなあと感激する。
10年以上乾燥させているからよく燃えるぞ。
まあしかし、油断することなく薪を集め続けてやはり3年分ぐらいは備蓄をしたい。なんの拍子に手に入らなくなるかも知れないのだ。
今日のじょん:忠犬は存在するか?(2)
私が倒れているときに一番心配したことは、じょんが勝手に離れて事故に遭わないかと言うことだけである。悲しいのは脅えてしまったじょんがこちらに近づかないこと、「おいで」のいうことを聞かないことだ。ここ一番、最もいうことを聞いて欲しいときにきかないのは本当にがっくり来る。這々の体で家にたどり着いたら、じょんはベランダでじっとしていた。人間なら思い切り怒鳴りつけて解らせようとするかも知れないが、人間と犬との間では理解させようとするのは不可能である。じょんは私の気持ちはわからないだろうし、私もじょんの気持は解らない。それが人間と犬との間なのではないだろうか。つづく
そんなの関係ねえってんで遊んでいる。