2009.2.17(火)雪
覚悟はしていたものの、朝起きて真っ白な光景に愕然とする。すっかり春の気分になっているのにまたしても降り出しに戻るだ。
朝起きると白銀の世界。
雪がつらいのはあらゆる作業が中断するのと、長靴を履いたり、服を着たりが面倒くさいのだ。寒さや雪そのものはあまり苦にならない。家の造りにおいて、信州、東北、北海道など雪国では雪と低温に対する対策が充分なされていて、暖かく便利に出来ている。近畿や以西の地方ではその辺のつくりは中途半端で、上林に住んで初めてああしとけば良かった、こうしとけば良かったと反省している。一つはじょんのび坂の舗装である。最初からしておけばどうってことないのに、後からやると大変であった。それでも完成したからまあいいか。
もう一つは玄関の前室である。雪国では常識の設備だが、上林では見たことがない。これが無いおかげで、雪の日は玄関が泥々、びしょびしょになる。特に我が家は玄関即居間だから堪らない。新しいものはポリカーボネイトで作られているのがほとんどだが、施工費とも合わせると大変な費用となる。やむなく自前で作る予定だが、その前に予定がいっぱいあるので何年先になるか解らない。
玄関前に前室が欲しい。
朱いタイルがよく滑る。軒下がない。
次は玄関前のタイルである。これは晴れているときは問題ないが、雨、雪の時は怖ろしく滑る。危険きわまりないので今はマットで対処しているのだが、マット毎滑ることもあるので怖ろしい。前室が出来ればこれも解決できることなのだが。
もう一つは家の周りに庇が少ないこと。店の入口側はしっかり庇があり、雪の日も安心と言うところだが、その他北側、東側は庇の部分が短く、壁のそばまで雪が降り込む。これは対処のしようがない。屋根からの落雪、つららの落下など雪国ならではの注意が必要となる。家というものは一年間住んでみないと解らないものだ。
今日のじょん:久々の積雪で大喜び、樫の木の周りを超スピードでくるくる回る。ドッグランは出来てないけど勝手にドッグランをしている。走ることが出来る犬って幸せかなあ。
【作業日誌 2/17】
木々の雪下ろし
薪用木材の整理
芝用地の土入れ替え(未完)
木小屋の設計
不要木材焼却
沖縄ノート(2)沖縄航路の船中で
最初の沖縄行は8日間ぐらいか、見るもの聞くもの文化の違いに強烈な印象を受けた旅であった。しかし今から思えば沖縄の表面しか見ていない旅であったことも確かだ。
その次の沖縄行は宮古島トライアスロン第3回大会であった。21年前のことである。リゾートなんて経験したことがなかったのが、初めてリゾートライフを楽しみ、そしてレースを楽しませてもらった。レースに行ってるわけであまり周囲のことを憶えていない。東平安名崎のあたりきれいだなあとか、応援凄いなあとかぐらいでレースに集中していた。京都の前田君が優勝したレースであって、私自身もロングのレースは初体験だった。バイクで落車し、大転倒しながらも完走し、まあ満足のいく印象深いレースだった(確か119位)。ところがそこで沖縄らしい特異な事件が起こったのである。東急リゾートに宿泊していた私は滋賀県の若い選手と同室であった。彼は初めてのレース出場で大変緊張していた。私自身も2回目の大会出場でそう慣れてはいないのだがそれでも先輩は先輩である。彼の不安を取り除くために色々とアドバイスした。例えば彼はレース着なんて持っておらずTシャツのみであった。暑すぎるので袖を切り落とし、裾も上げて涼しくしてレースに臨んだ。レースに完走し、ホテルで満足の夕食をとり、ビールもしこたま飲んでいた。さて部屋に帰って眠ろうとするが、同室の彼の姿がない、その内帰ってくるだろうと、酔いもあって眠ってしまった。
翌朝隣のベッドを見て驚いた。彼は帰ってきていないのだ。大会本部にそのことを連絡に行くと、レースには出場したが水泳で途中棄権し医療テントで治療を受けていることが解った。しかしすぐに回復したので解放され、その後は解らないということであった。海で行方不明なら大騒ぎで捜索するだろうが、海から上がっているのが確認されているので大会本部もそれ以上動けないという。彼は単独で参加しているので連絡する者も居ない。その内帰ってくるだろうとアワードバンケットを楽しみホテルに帰る。空のベッドが不気味である。大会本部に再度連絡してその日も酔っぱらって寝る。次の日は帰京する日である。荷物をまとめながらどうしたものかと思案する。そこへ彼がレースの時の姿でひょっこり帰ってきた、神隠しから蘇った様なものだ。「おい、一体どうしたんだ」人の心配も知らないで二日二晩、彼はどうしていたのだろう。その答えは信じられないものだった。
水泳でリタイヤし、救護所で回復した彼はスゴスゴと自転車などを片付けていたのだろう。そこへ応援かボランティアスタッフのウチナーンチュが駆けつけ、彼を自宅に連れて行きその晩は飲めや歌えのドンチャン騒ぎ、次の日はジェットスキーだかウィンドサーフィンだか知らないがマリンスポーツに連れて行ってもらい夜はまたドンチャン騒ぎと言うことだった。信じられないような話だ。ウチナーンチュは外部の人を暖かくもてなしてくれるとは聞いていたし、宮古島大会そのものがもの凄い歓迎であることは実感している。しかし、見知らぬ人を招いて二日二晩ドンチャン騒ぎでもてなすというのは理解を超えている。折角宮古まで来てもらって、水泳でリタイヤするのはかわいそうと思われたのだろうか。「イチャリバチョーディ」てのがこれなんだろうか。それにしてもヤマトッチュの彼はあまりにもテーゲーなんじゃねえか。連絡ぐらいせーよなあ。後日彼とは滋賀県のマラソン大会などで顔を見ることもあったが、声を掛ける気もしなかった。つづく