2010.12.12(日)曇
さて最後に大江山に伝わる鬼伝説の有名スターはやはり酒呑童子である。この話は余りにも有名なのでいまさら説明も要らないが、丹後、大江の歴史を探るについてはあまり重要視すべきものではないと考える。つまりあまりにも説話として完成されていることと、そういう意味で全国版というか普遍的な物語だということだ。大江山における鬼退治、いわゆる源頼光(みなもとのよりみつ)や渡辺綱(わたなべのつな)ら四天王による酒呑童子征伐は玖珂耳之御笠伝説、麻呂子親王伝説の時代よりずっと下がり、平安時代中期のこととされている。玖珂耳や麻呂子伝説が丹後のローカル色豊で、ヤマト政権が地方の金属にからむまつろわぬ豪族を制圧したという予想が素直に成り立つのに対し、酒呑童子伝説はメジャーな伝説で各地にその足跡を残し、様々な説話や史実が渾然一体となしており、その原像が何かといういうのは把握しがたい。しかし、酒呑童子の足跡が弥彦(新潟県)、伊吹、比叡山(滋賀県)などにあり、その多くが古代金属の重要な産地であることを考えるとやはり前者二つの鬼伝説と同様の事由が伝説の起こりとなっているのではないか。
弥彦神社、酒呑童子はこの南、数キロのところの分水町砂子塚で生まれたと伝えられる。
大枝山から大江山に酒呑童子伝説が移ってきた背景には麻呂子親王伝説が既に存在していたからだろうという芦田完先生の主張は当を得ていると思う。また、金属には関係ないだろうと思っていた大枝山までが、実は隠れた鉱山が存在するという一文を見つけて(澤潔・西丹波秘境の旅)より心強く感じたのである。ではなぜ大唐内と丹後の鬼伝説が関係があるのかと思われるだろうが、私は大唐内の大蜘蛛伝説がこれら鬼伝説と同一の基軸を持つものだろうと推察するからである。つづく
(大唐内のこと(17)は2010.12.5)
今日のじょん:久々にメーがきた。この太りようにじょんもびっくり。