晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

年末休業 12/29

2010-12-29 | 日記・エッセイ・コラム

2010.12.29(水)晴

 12月29日(水)~新年1月4日(火)まで休業いたします。
というよーな予告を出していなくて、今日も来店のお客さまがいらした様子である。大変申し訳ない。
 さて休業たって余計に忙しい訳なんだが、昨日はじょんのシャンプーとじょん部屋、お風呂の掃除、今日は材木のいただき物とガーデンシェッドの屋根造り、そして車庫倉庫の片付けと大忙し。明日はトイレ、洗面所の掃除とガーデンシェッド、明後日は各部屋と窓ガラスなど大掃除とちっとも休養にならない。
 それでも楽になったのは年賀状を止めたこと。
 今年の漢字一文字は「壊」だったのだが、ここにきてかみさんのくるくるドライヤーと軽トラのバッテリー上がりが来た。軽トラのバッテリーは少し前から上がり気味だったのをブースターでだましだまし乗っていたのである。そのうち安いのでも買ってこようと思っていたところへ、昨日村上さんから連絡があり、製材所の処分する材木が手に入るで~と言ってきた。今日の九時に行くようになったので、バッテリーのチェックをしておこうとエンジンを掛け、少しチャージして置いたのだが次にはかからなくなった。これはえらいことだと、交換することにしたが天気は嵐になり、おまけにビールまで飲んでるので買いに行くことが出来ない。割高となるが近くのスタンドに依頼する。Img_1987
 それでも材木は柱や床材など高価なものが沢山あって、バッテリー代は充分還ってきたかなあと思う。人間万事塞翁が馬、もう何も壊れんといてよ。

【作業日誌 12/29】
ガーデンシェッド屋根作り

今日のじょん:雷も花火も平気なじょんだが妙なものが怖い。発泡スチロールの箱とか、肥料の袋とか、風でゆらゆら揺れるものが超苦手。夕べもサークルに立てかけた断熱材のマットが揺れたか倒れたかで大騒ぎ、自分の寝床で寝られないもんだから、居間で寝てたようだ。というより寝られなかったのか、昼間熟睡してけつかる。Img_1986
    

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大唐内のこと(25) 聞き取り 12/28

2010-12-29 | 歴史・民俗

2010.12.28(火)曇、雨

(10)お日待ち、日のお供のこと
 実は大将軍(ダイジゴ、ダイショーゴン)について聞いたのだが、そのようなものは知らないということだった。大将軍はどういうものかよく解らないのだが、ニソの杜などの杜の信仰にあたるものだとされている。武吉町浦入や井倉に地名も残っており、綾部にもそのようなものがあったそうだが、今のところ知っている人には会っていない。
 ダイジゴは大唐内に残っていなかったが、元々の杜が残っていた。これは後述する。
 お日待ちは丹波地方のどこでもあったようで、私の故郷川合(現福知山市三和町上川合)でも行われていたのを憶えている。多分12月に行われていたように思う。大唐内のお日待ちは、4月14日、21日、11月14日に行われているそうで、大唐内年中行事にも載っている。お日待ち講については様々ないわれがあって一概に言われない。開催日も春秋とか、年末とか、新年正月とか色々である。日神祭祀の行事として、冬至のころ、太陽の最も勢いがないときにその勢いを出すように行うという説もあるし新年などの朝日を拝むというのもある。全国各地、様々な時期にこの行事はあるようでつかみ所のない行事だといえる。
 日のお供には驚いた。酒井さんにお聞きしたことだが、ある日夜明け前に日が昇る東の端に行き、日とともに西に歩いてゆく行事だという。聞いたときはあまり気にしなかったのでひにちや実際の行動、祭事など聞くことはなかった。帰路の車の中で、どっかで見聞きした事だなあと考えていたら、「知られざる古代」(水谷慶一著)に日を追う女という章で、ヤマトヒメが一日太陽の軌跡を追って歩き続ける光景をテレビで再現したと書かれていたのを思いだした。また柳田国男が日の御供(ひのおとも)として春の彼岸に行われる行事を紹介している。この二つの行事については後ほど詳しく考察することとし、こういう行事があったと言うことを書き留めておきたい。Img_1989

参考文献の数々。


(11)杜のこと
 おおい町大島のニソの杜については民俗学的に貴重な遺産で、一刻も早く現地で現物を見てみたいと思うのである。自転車旅行で行った沖縄久高島のクボー御嶽の印象が強烈であった。杜の信仰が南九州、壱岐対馬、山陰海岸と存在しているのを見ると先住海洋民族の残した信仰と思えるのだが、目下学習中ではっきりしたことは言えない。大島にはっきりと残る杜の信仰が大将軍(ダイジゴ)と形を変えて丹波の地にもあるのではと調べてみたのは前述の通りである。大将軍は無かったけれど、杜の現物が大唐内に残っていた。これははっきり驚愕であった。ひとつは大唐内の谷の本流、胡麻峠に向かう道の出合い下流のえん堤の下に藤木杜という杜が存在していたということだ。というのは28年の水害(上林では28水と呼ぶ)で崩壊したということだ。流出したのか埋没したのか解らないが、また確認してみたい。あと二つは木和田谷の左岸、支流を挟んで現存し、大蛇が杜から杜へ飛んだという伝説があるそうだ。Img_1988

西田さんに大唐内の歴史マップを書いてもらった。
つづく (大唐内のこと(24)は2010.12.27)

(12)W家のお墓のこと
 大変興味深い事だったのだが、個人のお墓のことなので私の考察も伝えて、了解が得られれば公表することとする。

今日のじょん:やっぱし太っていた。シャンプーの際に量ったら18,2Kgだった。前回より400g増えているのだが、この体重で400gは結構大きいのかなあ。まあ別に太ってるわけで無し、20Kg以内ならいいかというところである。Img_1976

許容範囲。 

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