晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

ガーデンシェッド(6) 12/10

2010-12-11 | DIY

2010.12.10(金) 晴

 この二日間で棟上げをしようと頑張るが、結果は少しも進まずがっかりする。明日は雨天が予想されているし今日きゃない。ハウツー本では工期数日と書いてあるが、とてもそんなもんじゃない。その理由は充分に解っている。これは今後反省すべき点もあるので書き留めておこう。
(1)今回の小屋づくりのひとつの目的は、今まで揃えたがまるで使ってない電動工具などを充分に使いこなせるよう利用することである。その最たるものはトリマーである。これは憶えのある人も多いと思うが、その理由は日本古来の道具ではなくて、いかにもアメリカ的な道具だからだ。2×4工法もそうだが、やたら釘を打ちまくって(ここではコーススレッドというのかな)無理矢理組み立てるというやりかたや、トリマー、ルーターのように電気の力で無理矢理削って自らが求める形にするのは日本人としては抵抗があるようだ。しかし使いようによっては、素人の我々には絶対になし得ない加工が簡単にできるという素晴らしいメリットがある。取説やハウツー本をめくりながらの作業なので時間がかかるのはやむを得ない。ドアや窓枠の作製も楽しみである。
 同時に古来の道具、特に墨付けや罫書きなどを初めて使った。いやあ先人の知恵というのは素晴らしい。単純な構造で正確な仕事が出来る。

(2)今回初めて使用する材料が多く、買い付けや使用法に手間取っている。
ルーフィング、アスファルトシングル、シングルセメント、シングル釘、水切り金具、OSB合板、アクリル板、相ざね杉板など。例えばアスファルトシングルなどどのくらい必要なのか解らず、とりあえず張ってみなければ解らない。OSB合板も各社値段も違うが見栄えも違い、外壁に使うべき見栄えのよいものを床に張ってしまった。
杉板も下地の合板無しでいきなり外壁に使おうと思っていたら、やたら薄くて、いわゆる化粧板だった。こんなんなら分厚い杉板買ってかんな掛けすりゃあよかった、などと失敗も多くある。なるべく手元にあるものを使って節約と考えているが、とっくに予算をオーバーしてしまった。Img_1918

ここまですんのに何日かかってんねん。

(3)サイズが特殊なため無駄が多く、手間取っている。
空き地を有効に利用することと、屋根の最高部の高さが制限されるため非常に中途半端なサイズとなっている。縦1150mm、横1600mm、高さ最長2050mm、最短1700mmというのは、2×4材を使うにも、合板を使うにも中途半端で、カットの手間、不要な柱、端材の多さなど時間的にも経済的にも無駄が多い。やむを得ないとはいえ、こういうのが効率的に行える設計が必要だと痛感する。

(4)母屋の窓があるため屋根の高さに制限があるうえに、屋根に頭を打たないようするために垂木を構造材に組み込んでしまうこととした。これが造りを複雑化し、強度的にも問題があり大変手間取ることとなった。これは実験的にやったことだが、今後は合理的でないのでしないこととする。
 文にすると何のことか解らないと思うけど、よーするに思慮が浅くて不必要な手間を掛けているということだ。まあ、素人の第一歩ということで大目に見ていただきたい。

【作業日誌 12/10】
ガーデンシェッド、横パネル作り

今日のじょん:夕方までいくみちゃんが来て大はしゃぎだったが、お風呂から帰ってきたら、様子が一変、元気が無くて食事もしない。この春の絶食事件があるので、一同しょぼんとしてしまう。風雨の日に留守番さしたのが悪かったのか、雨が続いてレインコート着せたのが悪かったのか、とにかく神経質なじょんなので参ってしまう。Img_1909_2

朝はぽんぽこジャンプなんぞしてはしゃいでいたのだが、、、。

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雨読 酒呑童子の誕生(2) 12/9

2010-12-11 | 歴史・民俗

2010.12.9(木)雨

 ここで思い起こすのが、「蛇」(吉野裕子著)と「知られざる古代 謎の北緯三四度三二分をゆく」(水谷慶一著)といういずれも雨読で紹介した2冊の書なんだが、どちらも民俗、歴史に関する書で金属とは切っても切れない地域、項目を主題としながらも金属についてはまるで無視している2冊なのである。後者については真弓常忠氏が「古代の鉄と神々」の中で徹底的に批判されているので、これも雨読の中で紹介している。これらの本に出合って、アンチ金属という立場を取ることによって研究者、或いはライターとしての特異性とか独立性を強調しているのかなあという穿った見方をしてしまうのだ。この2冊が無視という立場を取っているに比して、高橋氏は鉱山師や鍛冶職が酒呑童子説話の発生論として問題にならないとして否定している。あとがきの中で、「ここまで本書を読んでこられた読者には、その理由も明らかなはずである。」と述べられている。私には少しも明らかでないのだ。Img_1917

アンチ金属三部作。


 大江山には現に鉱山があるではないかという声に対して、日本冶金のニッケル鉱山のことを書いておられるが、これはニッケル鉱山が近世のもので、説話の原題となるべき古代の鉱山とは無縁であるとおっしゃりたいのだろうか。大江山の鉱山は与謝野町側のニッケル鉱山と福知山市側の銅、鉄の河守鉱山があり、タタラ跡なども多く見られるそうだ。ニッケル鉱山の存在を持って、大江山の鉱業が近世のものと思わせるのは詭弁としか思えない。
Img_2913
このズリの下にも過去の金属の遺跡が埋もれているとか聞く。
河守鉱山跡。


 本書と相反するのが、「鍛冶屋の母」(谷川健一著)(雨読2010.11.9)である。
鬼=鉱山師、鍛冶師というのはもっとも理解しやすい構図であると思う。酒呑童子伝説の形跡のあるところが弥彦(新潟県)や伊吹(滋賀県)など古代の重要な銅や鉄の生産地であることは見逃せない事実であるし、大江山もけっして近世にはじまった鉱山ではないだろう。そして私も予想していたことだが、山城国境の大江山(大枝)にも鉱山の形跡があるそうだ。(西丹波秘境の旅・澤潔著)終

今日のじょん:今日は久々にお留守番をした。天気が荒れそうで心配なので、ペットゲートを開けておいたが、果たして大荒れで雨風、雷まであったそうだ。心細かったと思うが、いくみちゃんが来たので、すっとんだみたいだ。

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