2010.12.8(水)曇
「酒呑童子の誕生」(高橋昌明著)中公新書、1992年発行、売価680円、購入価100円。
丁度丹波丹後の鬼伝説について記事を書いているところなのでタイムリーな読書であった。私は鬼伝説=鉱山派なので本書にいう鬼=痘瘡神というのに大変興味を持った。私が鬼伝説=鉱山というのにはいくつかの理由があってのことだが、ここで述べるのは趣旨ではないのでいづれ項を改めて書くことにする。かなり一般的と言われる鬼伝説=鉱山説に抗して痘瘡神とは、いやはやいろんな考え方があるものだと思って手に取った次第である。著者の高橋氏は発行当時、滋賀大学教授で中世史を専攻されている。ことが起こったのは古代でも、説話として完成するのは中世になるケースが多く、中世に詳しい著者が具体的な例をもって説話の成り立ちについて説明されている。なるほど説話というものがこのようにして出来上がっていくものかと手に取るように理解できるのだ。
酒呑童子の元々の発生は丹後の大江山でなく、山城、丹波国境のいわゆる大枝山であることもうなづける。その場合、酒呑童子は痘瘡神、つまり都に災いをなす疫病の鬼あるいは都の外界となる地域の鬼という考えは納得がゆく。
しかしそれが丹後の大江山に移った場合、酒呑童子像というものは変わらざるを得ない。高橋氏は否定しているが、麻呂子親王伝説が丹後に存在して居てこそ、酒呑童子は丹後の大江山に移ってきたという芦田完先生の説を私は信頼する。
高橋氏は麻呂子親王伝説が勧進活動によって成長、流布された、あるいは麻呂子親王伝説と酒呑童子伝説はその成立が同時期だという理由で芦田先生以来の説を否定している。高橋氏の言われることはもっともだと理解できるのだが、そのことが芦田説を否定することには結びつかないように思う。
左は金属肯定派、右は金属否定派。
「酒呑童子の誕生」というのは、酒呑童子がどこで生まれてどうなったかということではなくて、酒呑童子伝説がどのようにして出来上がってきたかを述べられている訳である。日本と中国のあらゆる説話、史実、寺院や士族の都合が渾然一体となって完成された伝説である。その子細をつまびらかに収集、検討されているという点では類を見ない秀逸な書である。しかしながら怨霊、盗賊、水神などあらゆる正体を検証されながら、鉱山師、鉱山労働者という視点を頑迷に否定されるのは如何なるものだろうか。つづく
今日のじょん:しかしまあ、一日よく寝るなあと思わせる。朝は早くから起きて散歩や食事をするんだけど、その後は夕方の散歩までほとんど寝ているのだから、、、。なにか気配があったらすぐに起きるのだから、実は寝ている訳じゃ無いのだろうか。
おっさんじょん。