2010.12.26(日)曇
昔の大唐内のことを聞く寄り合いは栃の公民館で行われた。大唐内から酒井さんと西田さんが出席されて、貴重なお話を聞かせていただいた。お二方は水源の里の活動で見聞きしており熱心に取り組んでおられて尊敬しているところである。
(1)鉱山跡について
残念ながら昔の銅鉱山ということではなかった。おそらく戦前のマンガン鉱道の跡らしい。二箇所有り、その場所も詳しく教えていただいた。Wさんが銅鉱山といったのはその地で黄銅鉱を拾ったからだろう。鉱石については標本を見ても何が何だか解らないものだが黄銅鉱だけは誰でも容易に判別できる。私の子供時代にも黄銅鉱を持っている子供が何人かいてとてもうらやましい思いをしたものだ。二つの坑口には来春にでも案内していただくこととなり、そこで銅の形跡をなにがしかでもつかめたらと思う。
こういう坑道跡を期待していたのだが、、、(小畑町長谷)
(2)鬼の岩屋、鬼の洗濯場について
「丹波志」及び「丹波負笈録」に次の記述がある。
「市茅野大唐内二谷の奥サントラ山若州と両境 サントラ山ハ俵積し如丸石ありて一俵宛の如是ヲサントラ岩と云 俗ニ小浜の市ハ是を見る故繁盛すと云 丹波の方に二ツの鬼の穴と云あり 岩を積重ねたる岩穴入口四尺許 二里許奥に入りて戸口あり 是より奥へ行人なし 今は口を破て入口なしといふ 三俵山は海上目当の山なり イモリケ嶽と云」。
「丹波ノ方麓大唐内村奥ニ鬼ノ洗濯場と云ナベガ滝五尺許落 滝壺丸の鍋の形一間半四方 深四尺余 磨て清浄なりと云」。
このようなものが本当にあるのかと思うのだが、両氏は即座にその位置を地図に書いて示してくれた。なんでも鬼の岩屋は丸山(生守岳、飯盛山)の上林側にあるそうで、鬼の洗濯場は大唐内の谷の奥、胡麻峠への道の分岐の先にあるようだ。鬼の洗濯場は古文書の通り滝壺のようである。水害で埋まっているようだが、その場所は解りそうである。鬼の岩屋はいわゆる桟俵石のところにあるようで、期待する鉱山跡では無いようだ。これらも来春の探索を約する。
(3)桟俵石
さんだわらいしと呼ぶ、よく俵石とか枕石とか言われる柱状節理の玄武岩のことだろう。
これが玄武岩だ、ただし桟俵石ではないぞ。
桟俵とは米俵の両端に付ける蓋のことで、古文書にあるサントラ山、サントウ山というのが桟俵のことを言っているとも考えられる。この石があるところは丸山と言われている。実は私が最も行ってみたい、見てみたいところなのだ。それは桟俵石をこの目で見てみたいというのもあるが、謎の廃村生守村があっただろう場所でもあるし、この山が古代葬送の地、あるいは月山や葉山のように死者の魂が行くところという信仰があったのではないかという想像が出来るからだ。
桟俵というのは流し雛や精霊流しの舟として使われる。つまりあの世とこの世を繋ぐ舟のような役目をするとされていたようだ。丸山というのは単に丸いからいうのではなく非常に深遠な意味がある。(日本山岳伝承の謎、「マル」地名の謎を追う)桟俵石だって形から言えば単に俵石で良さそうなものを桟俵と呼んでいるのも意味があるのかも知れない。これらのことは後ほど詳しく書いてみたいと思うが、とにかく大唐内の奥、三国岳の南東にそういう石があるという。
つづく(大唐内のこと(22)は2010.12.25)
今日のじょん:超寒くなって、人間どもは散歩に出るのに準備が大変になってきた。オーバーズボンに毛糸の帽子、そのうちヤッケやオーバーミトンまで要るようになる。その点じょんは簡単だ、夏も冬も一緒だもん。もう一つ困るのが水飲みだ。カチンカチンに凍って飲めやしない。