2010.12.15(水)曇
いよいよ話題が大唐内に戻ってくるが、大唐内の大蜘蛛伝説(2010.11.1参照)だが、奥上林村誌にはその出所は書いてない。あくまで伝説として伝えられたようだ。丹波志何鹿郡部に次のような記述がある。
当社ノ謂往古奥ノ山ニ人ヲ取大蜘住ケル由 草ヶ部村ニ高野聖リ住シ当山ニ来リ祈リ退治ス 今其谷ノ名大蜘谷ト云 其聖リヲ祭ト云
聖大明神
これは聖大明神の説明書きだが、おそらく文書に残るのはこれが唯一なのだろう。
この大蜘蛛伝説がスケールの違いは別として、青葉山、大江山に伝わる鬼伝説と軌を一にしているものと私は考えるのである。もちろんそのことが証明されることはあり得ないし、いわゆる周辺の状況証拠を収集するということになるのだが、説話とか伝説というものが単につくり話を後世に伝えるというだけのものではなく、そこには起因となる事実とそのことを残してゆく必要性があるのではなかろうか。説話は今日までの間にそれを伝える人びとの都合というものが出てきて、様々に変化する。勧進の道具となったり、没落氏族を復興させる道具となったりするたびに話の内容が変化してゆくのは酒呑童子の伝説などに見られる。だからといって説話、伝説が荒唐無稽な物語とするのでなく、その中の史実、人びとの歴史を探究するのが研究者の使命であろう。
(1)大蜘蛛とはなにか。
まさか巨大な蜘蛛が人を取って食ったわけではない、鬼伝説でも鬼が居たわけでなくそれは明らかに人間個人、又は部族、氏族のことだろう。
鬼とされる悪人が人を強奪する、取って食う等というのはこの類の伝説に付きもので、それをヒーローが出てきて成敗し、めでたしめでたしとなるのも同じである。しかしそのことを古代の戦としてみると、鬼は単に先住民であり、ヒーローは国家政権から派遣された将軍といったところか。それは成敗というよりは侵略、征服であって、ストーリーが悪い鬼を退治するとなるのは、勝てば官軍式の物語の成立とみるべきだろう。私は大蜘蛛とは麻呂子親王伝説にいう土熊、土車いわゆる土蜘蛛だろうと解釈している。
綾部市西坂町から大江山に向かう途中、由良川を越える橋を大雲橋という。なんでも由良川はかつて大雲川であったという。ちょっと気になることではある。つづく
(大唐内のこと(18)は2010.12.12)
今日のじょん:今晩の御飯は稲庭うどん鍋だった。じょんにもお相伴させたら大喜び。麺類って好きみたいだ。それにしても私など稲庭うどんを初めて食べたのは55才の時なのにじょんって幸せだなあ。
おっと失礼。