2015.8.3(月)快晴 あなしら上林-10は2015.6.27
あなしら上林、生守山最終回を紹介します。掲載のかんばやし里山新聞(第10号)じょんのびで配布しています。(無料)
あなしら上林 小原英明
二、生守山 その八
サンドラ岩は柱状節理であるという結論が出た。枕状溶岩にみられる外周の殻が見られない、断面には放射状の気泡や割れ目が見られなく、材質が均一である。海底で流れ出たときに出来る縦の皺が見られない、輪切りとなる冷却節理がある。外周は六角形の直線的な形をしているなどの多くの証拠で柱状節理と言えるのだ。玄武洞や夜久野玄武岩公園の玄武岩と同じ仲間なのである。
(写真1)サンドラ岩核心部
どちらも溶岩が急激に冷えて固まった玄武岩なのだが、小滝先生は「枕状溶岩だったらよかったんですけどねえ」と奇妙なことをつぶやいておられた。海底火山の可能性があるからだろう。45億年前の地球誕生から丹波山地は陸地であったり、海底であったりを繰り返している。上林の赤石と言われるチャートだって海中の放散虫の死骸が堆積して出来たものである。質志(しづし)や大原の石灰岩だって海底で出来たものである。
気の遠くなるような地球の歴史を頭の中で整理することは出来ていないのだけど、サンドラ岩はその歴史のエポックを示す貴重な標本として上林の宝である。
小滝先生は「サンドラ岩が柱状節理だと解明できた今、あの河原石の方が興味がありますね」という風なことを言っておられた。それは鼻峠周辺に存在する拳大の河原石のことである。
(写真2)鼻峠、生守山間の稜線に散在する河原石
最初に生守山に来たときから気になっていたし、老富町の人々もその存在は知っておられて、「一体誰が何の目的で持ち上がったんやろ」とおっしゃっておられた。山稜上に河原石があることは誠に奇異な感がするのだが、もちろんそれらは人によって持ってこられたのではなく、地殻の変動によってその場所に存在するものである。 河原や海岸にある風化して丸くなった石が地殻変動で隆起して山稜上に持ち上がったものと考えていたが、まだ山や谷が形成されていない原地形に初期の川が出来、そこでつくられた河原石が残ったのではないかとする方が妥当性があるように思う。やがて浸食がすすみ上林川が形成されるとしたら、鼻峠は原上林川ということになり、なんともロマンである。
サンドラ岩、鬼の岩屋、「飯の山」、廃村生守村などの数多くの謎とロマンを含んだ生守山(地元では丸山と呼ばれる)はあなしら上林の筆頭である。おわり
次回から「上林の盃状穴(はいじょうけつ)」をご紹介いたしたい。
上林たんけんたい(カフェじょんのび内)