晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の盃状穴(45) 8/14

2015-08-14 | 盃状穴

2015.8.14(金)曇り  上林の盃状穴(44)は2013.9.20

 「盃状穴考」を再読する。(1)
 盃状穴に関する専門的な書籍はわたしの知る限りではこれ一冊ではないかと思っている。府立図書館にあって取り寄せられるのだが、館内閲覧図書なので借りることが出来ない。毎日綾部図書館に通って読んだのだが、実に新鮮であった。古書の販売で調べるとやたら高価で手が出ないのだが、少し安い値で出ていたので清水舞台で購入、それでも5,400円の高値だが、裏表紙に前回取引の200円のメモ書きが残っており淋しくなる。それでもじっくり読めるのでありがたいのだが、前回とは違った目線で読んでいけるのでその感想も随分違ったものになる。つまりこの間多くの盃状穴を見てきたし、盃状穴に関する考察も芽生えてきたので、本の内容を無条件に受け入れるのではなく、客観的、批判的に考えられるようになったということである。そこで盃状穴の研究を進めるに当たって改めて本書の内容について思いを述べておきたい。(なお、「盃状穴考」を始めて読んだのは2013年1月のことで、雨読では2013年1月22日から紹介している)

「盃状穴考」その呪術的造形の追跡 国分直一監修 国領駿・小早川成博編集 慶文社 1990年5月30日第1刷 古書
 本書の発行から4半世紀が経っている。それ以降新たな出版は無さそうだし、考古学者や民俗学者による研究発表やシンポジウムの開催なども見当たらない。それは本書で熱く語っている方々が一線を退かれたためか、あるいは亡くなられたためなのだろうか。つまり後継者が育っていないのではないだろうか。そして盃状穴そのものが考古学者にも民俗学者にも見すてられた、あるいは相手にされなかったという気がしてならない。再読をして特にそういった傾向の萌芽が本書の中の論説中にあるのではないかという思いがするのである。
 本書は多くの研究者によって書かれたものを編集されているのであって、総てがそうではないのだが、中には盃状穴を科学的に解明しようという姿勢が窺われないものが散見する。わたしのような若輩者がこのようなことを言うのはおこがましい限りなのだが、盃状穴という歴史的民俗学的に素晴らしく、それでいていくらでも存在する資料についてなんとか少しでも真相に近づきたいという思いがそうさせるものとご容赦願いたい。つづく

 【今日のじょん】この春ぐらいからだろうか、じょんは散歩コースに自分の意志を表示し始めた。行きたい所へ行こうとするし行きたくないところへは頑として動かない。行けるとこへは行ってやることにしている。

高橋さんの小屋の通路には行きたがるので通ってるが、畑の方にも行きたがるので困る。探検したいのかな? 

コメント
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