2018.1.20(土)曇り
今回の目的の一つは、通谷から石橋(上林城城下)まで峠を歩いてみたいというものだった。特に石橋側の谷が足谷というらしいので、どのような谷か見てみたいという気持ちだった。だからミスコースは大きな痛手で、後から地図を開いてがっくりきた。それにしてもその峠道の取り付き付近で最初の休憩をしていたようだ。もちろん道標など有るはずも無いのだから解らなかったのだが、瀬名の三叉路の所にあった大石と同様の石が道ばたにあったのを思い出す。
周囲に見当たらない石が置いてある。
ひょっとしたらそれが道標代わりだったのだろうか。角の取れた庭石にでも良さそうな石だったのだが、通谷の上流には結構転がっているようだ。通谷の途中にはもう一本馬場に向かう峠道が合流しているのだが、これも気にしていなかったためか見つからなかった。次回は石橋に抜けて馬場から帰ってこようかとも思うが、果たしてルートは見つかるだろうか。
例のきれいな石がごろごろしている。
さて帰りは左岸に古い道を探すべく下っていく。明治24年陸地測量部の地図では左岸の道は現在の一区小山方面からの道と西河内(京丹波町)に向かう堀尾峠への道があるのみで、浅原の主要道はやはり右岸である。近世後半の道はこの通りと思われるので、それ以前の道を探すのは困難なようである。
余談だがこの堀尾峠、浅原の小字堀尾に由来するものかと思っていたら、和知の西河内にも堀尾がある。峠の両端に同名の地名のあるのも珍しい、単なる偶然だろうか。
すると田んぼの上になにやら道状の段が見える。あわててMTBを置き、斜面をよじ登る。この時期は草茫々の心配も蛇や虫の心配も無い。期待の道はやっぱり用水路だった、しかも水路はポリの筒で出来ており、最近のものと解る。
林の中に道発見、水管が通っていて残念。
もっとももとは溝を水が流れていたのだろうが、そのもとが道と判断するには無理がある。妙に水平に走りすぎているのだ。やはりもともと右岸の道が主要道なのだろうか。平安京のように古地図が残っているところは何かと調べやすいが、地方の山奥となると昔のことは想像するしかないようだ。おわり
【今日のじょん】今年の雪はこの地方は幸い、回数は多いが積雪量が少なくすぐに解ける。
14日今冬最大の積雪、5cmが16日には皆無となる。でもゆめゆめ油断めさるな。