2018.1.12(金)快晴
各地で大雪が伝えられているがどういうわけか中丹地方は好天続きだ。折角の休みなので午前中をMTBで浅原探訪にあてる。執筆中の浅原の地名考の取材や確認のためだ。
10:40 じょんのび出発
11:15 通谷出合い
11:52 堰堤先林道崩壊部分で折り返し
12:50 帰宅
勢名(せな)から下りてきた三叉路先で小さな洞穴といくつかの地蔵さまを発見、何度も通っているところなのに気がつかなかった。洞穴は貯蔵庫としては小さく、どうやら水場らしい。
道の脇に大石と洞窟と地蔵様を発見。
現在浅原の主要道は浅原川右岸である。近世の後半には此路があったと思われるが、それ以前はどうだっただろう。右岸は川と山腹が近く、しかも表土の下はすぐ岩盤で索道はかなり困難だと思われる。それに比べ左岸は、傾斜が緩く、表土も厚そうだ。当初の道が造られるとしたら左岸ではないかと考えている。なにか道の跡らしきものが左岸にないものかと常に考えている。今回発見の地蔵は右岸にある。この場所は忠(ただ)から峠を越えて降りてきたところだ、城下に向かうには、この地蔵さまのところを右折し、岩ノ元から通谷の峠を越えて行ったと思われる。 道標でもあればと思うのだがそこに有る大石には何も書いていない。公民館を過ぎて桜並木の辺りに来ると道の上部にユリ道が見える。ひょっとしたらこれが昔の街道かなと写真に納める。道はどんどん登っていき、ユリ道らしきものは段々近づいてくる。やがて合流してその正体がわかった。用水路である。
上部に古いユリ道らしきもの発見、でもそれは用水路だった。
やはり右岸に古い道はなかったのだと安心する。続いて左手に三宇の祠があるところに着く。その向かいにある二対の岩が陰陽を表しているように思えるのだが、考えすぎだろうか。葛禮本神社に陽物の石棒があるのだが、これが縄文時代から浅原に在ったかどうかは別として、石棒が縄文時代に遡る信仰あることは間違いない。この大岩が陰陽を表しているとすれば、古い信仰が残っているといえる。
気になるのは、この新しい三宇の祠はあちこちに祀られているものを持ち寄って建てられたという事を聴いていることだ。新たなお祀りの場所だとすれば古い信仰なんて関係なくなる。とそのとき、見上げた先に朽ちかけた二宇の祠を囲んだ建物が眼に入った。この場所も何度も訪れているのだが、この祠には気がつかなかった。この二つの神様は古くからこの地に祀られていたようだ。
陰陽を表しているか?新しい祠の上部に古い祠を発見。
岩ノ元まで来て周囲の山を見渡す。その地名の謂われとなりそうな岩がないか見るためだ。冬になって広葉樹の葉が落ち山肌が見やすくなっている、それでも岩は見つからなかった。顕著な大岩はなさそうだ。続いて通谷に入っていく。林道が続いており、MTBで充分行けるが、先の台風で道が荒れており、倒木もあって乗っていくのは厳しい。
岩ノ元の上部に大きな岩は見当たらない。
帰宅後に地図を開いて解ったことだが、実は大きな勘違いをしていたのだ。大栗峠方面に伸びている大きな谷が本谷で、上林城下の石橋に向かう峠道が通谷かと思っていたのだ。峠道に向かう林道かと思い、どんどん進むがきりが無い。とっくに峠に着いている距離なのに、未だに谷川のそばの林道を歩いている。
通谷の林道、通谷から本谷方面を望む。
地図もコンパスも持っていたが、ついぞ開くことはなかった。見ればすぐに解ることだったのだが、思い込みとは怖ろしい。やがて道が大きく崩れ、雪も深くなってきた。午前中の予定だったので、ここで引き返す。
行けども行けども林道は続く、ついに崩壊して引き返す。
つづく
【今日のじょん】冬にはドッグランどの訪問犬が無いのでさびしい。唯一ニューモモちゃんだけが来てくれるのだが、腹ぺこじょんがモモのご飯を食ってしまった。モモのあきれた顔。