晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

玉切り大作戦 2/12

2009-02-13 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.12(木)曇り

 黄砂が来ているという。良い天気のはずなんだが山が霞んでいる。砂漠というものが人災であれば、黄砂も人災である。砂漠が年々広がっているのだから黄砂も年々きつくなっているのではないか。黄砂については単に空気の汚れと言うだけでなく、病原菌やウイルス、アレルゲンなどの流入という至って迷惑な現象がある。負の部分ばかりで正の部分が無く、防ぐ手だてが無いというのがやるせない。
 さて、燃料の薪がしっかり入手できたと思ったらやたら暖かくなってきて、これもマーフィの法則かと思っているのだが、石田君に頂いた薪がほんの少し長いことに気付く。もちろんストーブにくべるものとして用意したわけでないので、さもありなんと言うところだが、半分に切ると短すぎる、帯に短しと言うところである。やむなく3/4位のところをチエンソーで切ってみるのだが、なにしろクロスコンテナにいっぱいあるのだ。そこで武蔵は考えた、荷作り用のテープで1/3位のところをしっかり縛り、端の10cmぐらいのところを一気にチエンソーで切り落とすのだ。束にするのは面倒なところがあるが切断は効率的だ。小西町でもらってきた細い木もこんな感じで、何カ所かをテープで縛り、薪の長さに切れば効率的且つそのまま保管が可能だ。Img_2094

テープで束ねて保管する。切れ端は土嚢袋に入れて保管。


それにしてもチエンソーというのは枯れ木には弱い、如何に生の間に処理をすべきかが問題なのだが、木小屋が出来ないことには始まらない。

今日のじょん:忠犬は存在するか?(6)
 習慣、訓練、本能以上の行動は無いのじゃないかという私の考えには、多くの愛犬家の批判がありそうだ。里見八犬伝以来、犬と人間の関わりには仁義礼智云々といったいわゆる人間独特の精神構造が犬にもあるように錯覚されてきた。忠犬ハチ公に代表される映画や物語が放映、出版され、多くの人々が感動し、涙した。しかし私はハチ公が亡き主人を慕って渋谷駅に通ったとは思えない。ただ、そういう習慣があったということなのではないか。
 先日これもテレビ番組で、いつも一緒に行動しているおじさん(飼い主ではない)が転落し、気絶してしまったというのがあった。犬は家に帰って奥さんにワンワン吠えて急を知らし、おじさんは九死に一生を得たという美談なんだが、果たしてこの犬は、「主人が大変だ、奥さんに知らせて救出してもらわなければ」と考えただろうか? つづく。

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看板大作戦 2/11

2009-02-13 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.11(水・祝)曇り、雨

 様々な方から店の看板を作るように言われ、昨年秋に東側予告看板を作製、そして西側の予告看板も9割9分出来上がった。地主さんとの打ち合わせもあるが、なんとか2月下旬までには立てたい。Img_2090

綾部側に立てる予定の予告看板

そしていよいよメインの店の看板である。銀杏の一枚板を村上建設さんにプレゼントしてもらって一年近くなる。先日支柱となる大木も調達したし、いよいよ着工というところか。最初は風見鶏など立てておしゃれに仕上げるつもりであったが、スチールの風見鶏はおそろしく高価で中古品などもなかなか手に入りそうにない。かみさんが「拾ってきた材木、電柱みたいやなあ」と言うからそれならいっそレトロな電柱風に仕上げようかと思案中である。村上さんに相談すると古い碍子を持ってきてくれた。碍子のブレーカーもあるし、街灯も手に入れた。後は琺瑯の看板とオシッコよけの鳥居ぐらいか。などと考えているととても楽しいのだが、肝心の看板書きが大変そうだ。Img_2093
ムシロの部分は地中、杉丸太の30cmぐらい上をちょん切る予定。

今日のじょん:忠犬は存在するか(5)
 先日紹介した実験で、犬の正解は「お巡りさんを呼びに行く」だと思うのだが、1,2匹がそのようにしたと記憶している。この正解の行動をとった犬は、自らの考えでそうしたのだろうか、あるいはそのような訓練がなされていたのだろうか。ひょっとしたら同じような経験があったのかも知れない。大多数の犬が異変には気付いても、どうして良いか解らなかったように、犬が自らの頭脳で思考し、工夫を凝らした行動が取れるとは思えない。おそらく犬は訓練されたこと、習慣となっていること、経験したこと、そして本能に基づく行動以上のことは出来ないのじゃないか。もちろん私は動物学者でも研究者でもなく、根拠があって言っているのではなく、あてずっぽで言ってるわけだが。人間の新脳に当たる部分は犬にはあるのだろうか、あったとしてどの程度あるのだろうか、知っている人があったら教えて欲しい。その度合いによっては、犬が自らの思考で行動することはあり得ることとなるからだ。つづく

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続じょんのび村の中の沖縄 2/10

2009-02-11 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.10(火)曇り

 沖縄のバザーで石敢當を買わなかったのが悔やまれるが、もっと残念なのがシーサーである。というのは建物の屋根が緑の屋根になるとは決まっていなかっただからだ。Img_2088

この広い屋根には朱いシーサーがよく似合うと思うわけだが、やはり現地で買ってみたい。いろんなシーサーがあるが、朱い瓦のシーサーが絶対によく似合う。旅行中、茅打バンタの近くで見つけた北国小学校の校門にあるシーサーが素朴で良かった。Img_2749

北国小学校のシーサー。

仕方がないので、今のところは昔おみやげに買ってきた小さなシーサーを店の入口階段にこっそり置いている。先日お見せした魔除けの土人形と石敢當、シーサー、喫煙テーブルに置いている米軍放出の灰皿など沖縄の好きな人は来じょんされたらちょっぴり楽しめると思う。

今日のじょん:連続ものをちょっと休んで、じょんの近況をお知らせしよう。
十日毎のシャンプーの日は体重測定の日でもある。18.4Kg、前回と一緒だ。まあ18K台だとOK、19Kで黄信号、20Kで赤信号ということにしておこう。
 猪チビ君はカメラを持っていった日から姿を見せなくなった。山に還ったか、他のところに行ったか、はたまた食べられてしまったか解らないけど、じょんにとっては不安の種が無くなったということか。
 シャンプーの日は爪切り、髭切りの日でもある。嫌がるじょんもレインコートを着せると固まるので、何かとやりやすい。ところが今日はいかにも妙なスタイルで固まってしまった。笑うっきゃない。Img_2085

 

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じょんのび村の中の沖縄 2/9

2009-02-10 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.9(月)曇り

 一昨年自転車日本一周の旅後半の沖縄への旅立ちは2月14日であった。怖ろしい雨風の中を六甲アイランドに急ぎ2日間の船旅をしたところは実はブログには抜け落ちているのだ。暇なもんだから記事はノートに一杯書いているのだがブログに書き込む暇がなかったのだ。日本中まわってどこが一番いいかと聞かれると、沖縄と東北と答える。住んでみたいとか言うのではなくて、好きなところ、また行ってみたいところである。両方とも関西人にとっては異文化の地方だからそうなるのだろう。東北地方は通りすぎることはあっても訪ねることは今回の旅が初めてであった。ところが沖縄は近隣の府県を除けば最も数多く訪れている。沖縄、奄美の文化歴史はパック旅行では解らない、じっくりと腰を据えて見て回り、勉強もしないと理解できない。
 最初の沖縄訪問は復帰の翌年であった、その後トライアスロンやゴルフなんかで訪れるが、そんな目的では沖縄は理解できない。伊是名島トライアスロンの審判で島を訪れたとき、あの大きな亀甲墓を見て沖縄の文化や歴史に興味を持つようになった。それまでにも何度も亀甲墓など目にしているのだが、意識というものは網膜の映像とは無関係である。門中墓、シーサー、石敢當、御嶽信仰、洗骨などの文化風俗、沖縄戦に代表される戦争の歴史など知れば知るほど興味深くまた、考えさせられることの多い沖縄である。自転車の旅でも沖縄、徳之島と合わせて2月14日~3月8日まで長期にいたのはやはり最も興味深いテーマを持っていたからかも知れない。そんな沖縄だからゆかりの品がなにがしかあるわけだが少し紹介しよう。
じょんのび逸品集(7)石敢當
「いしがんとう」という。沖縄の家々にはほとんどと言っていいほどこの表札?がある。黒い焼き物の板が多いようだけれど、島に行くと大理石の柱になっていたりする。「沖縄の人はみんな同じ姓なんだなあ」なんて笑い話があるぐらい、どの家々にも立っている。これに気付いたのは伊是名島である。どの家にも立っているので、境界かなんか示すものかと尋ねたら、「それは沖縄の魔除けですよ。沖縄の魔物は直線的に進から、家の角々に立っているのですよ」と教えてくれた。直線的に進む魔物って台風かなあと思っているのだが、最近は車も石敢當のあたりによく当たっている。Img_2087_2

じょんのび村の石敢當は小ぶりで何とも情けないもので、ちょっと風が吹いたら倒れている。本当は普通のを欲しかったんだけれど、通販で探したらめっちゃ高いのである。沖縄のバザーや骨董市で数百円で売っていたのを知っているだけに買えなかったのである。
 向日市に沖縄の方が数軒住んでおられる地域があった。家の角にベニヤ板にマジックで石敢当と書かれた板を立てておられた。郷土を愛する気持が現れていてとてもほほえましく思っていた。最も大きな石敢當は西国街道長岡京市から大山崎に至る道中に2,3mはあっただろう石塔があってミニコミ紙の記事にしたことがあったが、京都を離れるときに訪ねたが見あたらなかった。ごま油で有名な離宮八幡の境界にあったそうである。街道がクランクしているところにあり、沖縄同様、角を守っているようだった。つづく

今日のじょん:忠犬は存在するか(4)
 そのTV番組の続きは、飼い主と散歩しているとき飼い主が大きな落とし穴にはまり、出られなくなったときワンちゃん達はどうするかというものである。記憶ではお巡りさんや家族などが用意されていたように思う。ひょっとしたら縄ばしごなんかも用意されていたかな。これは主人を助けるために知恵を使わなければならないシチュエーションで結果は主人を見殺しにするものがほとんどであった。知らん顔してその場を離れる犬が多く、薄情者という落ちなのだが、果たして犬の真実とは如何なるものなのか。つづく

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薪ストーブは奥が深い 2/8

2009-02-09 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.8(日)曇り

 ストーブの薪が揃ったら妙に暖かくなってきた。朝の気温4度、室温は12度である。
早速石田君にもらった年代物の薪を試してみる。10年以上乾燥されたものだけあってよく燃える。しかも火持ちも良くおきもいつまでも残る。種類はクヌギ、ケヤキ、樫あたりのようだ。あまり燃えすぎるのでおきが出来たところで、栗の節のところの大きな薪を入れる。小さく割ろうにも割れない厄介者だ。表面だけは燃え上がるが、あとはくすぼっている。乾燥している木でこれだから、栗というのは燃料としてはあまりよろしくない木のようだ。ただ薪割りは栗の木は気持ちいいほどきれいに割れる。ところが節の近くになると、重い薪割りが跳ね返されてしまう。
 色んな種類の色んな乾燥度合いの木を燃やすのは工夫と勘がいる。そしてしょっちゅう炊き具合を見ていないと燃えすぎたり消えたりしてしまう。ちょうど蒸気機関車の窯炊きみたいで、これほど面白いものもない。おまえ窯炊きしたんかいって、、、いやあしたことないけど。クヌギの生木も細いものは使えるが、燃える際の木の汁が耐熱ガラスにくっついて、ちょっとやそっとでは取れなくなった。やはり、ちょっと干してから使うか。とまあ余裕も出てきた今日この頃である。Img_2079 Img_2082

朝夕の散歩の他に昼の庭遊びをする。

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持つべきものは、、、 2/7

2009-02-08 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.7(土)晴れ

 朝の気温は-3度、室温は10度、体感温度というのは多分に相対的なもので、そう寒くは感じない。秋の終わり頃だと6度、7度でずいぶん寒く感じたし、昨年初めてマイナスを記録したときは絶望的な寒さを感じたものだ。春は気温が低くても暖かく感じられて、いい季節である。ふきのとうを発見、天ぷらでもするか。Img_2076

ふきのとうが春を思わせる。大根はできぞこない。


 今日は天気もいいので昨日運んだ薪を整理する。クヌギがほとんどだが、その中に直径が4,5センチの細いものがある。生木だがなんとか燃えるのじゃないかと数本切ってみる。実は一昨日、備蓄してあった栗の枯れ木をすべて薪割りをし、ベランダの下に保管したのだが、2月中旬で使い果たすだろうその備蓄状態に大きな不安を抱いたものである。「買っておけば精神的に楽ですよ」という蕎麦の花さんの言葉が妙に気に掛かる。いや、絶対に薪は買わないぞと言う決心が揺らいでくる。そのためにもだ、生木であっても細いのならば燃えてくれるんじゃないかという淡い期待がそのクヌギにかかっているのだ。祈るような思いで数本をストーブに放り込む、中は廃材と細かく割った栗の木で充分おきが出来ている。ガンガン空気を送ってもなんの変化もない、やはり生木はつらいかなあ。諦めて昼食をとり、ストーブを覗いてみるといやいや先程の木が炎を上げて燃えているではないか。おーこれでこの冬は安泰だ。あの細い木ならいくらでもあるぞ。Img_2078

細いのなら生木でも燃えるぞ。


  永い呪縛から解き放たれたような爽快感を味わいながら、細めのクヌギを刻んでゆく。太い目のは積み上げて来冬の燃料とする。   そうこうしているうちに軽トラがやってきて石田君が姿を現す。荷台には古い薪が満載だ。燃料が灯油となって不要になった薪を三和町から持ってきてくれたのだ。乾きに乾いた最高の薪だ。もうこの冬は盤石、ヒヤヒヤしないで好きなだけ薪が使える。三ツ井君にお借りしているクロスコンテナに満杯の薪を目の前にして、持つべきものは友だなあと感激する。Img_2077
10年以上乾燥させているからよく燃えるぞ。

 まあしかし、油断することなく薪を集め続けてやはり3年分ぐらいは備蓄をしたい。なんの拍子に手に入らなくなるかも知れないのだ。

今日のじょん:忠犬は存在するか?(2)
私が倒れているときに一番心配したことは、じょんが勝手に離れて事故に遭わないかと言うことだけである。悲しいのは脅えてしまったじょんがこちらに近づかないこと、「おいで」のいうことを聞かないことだ。ここ一番、最もいうことを聞いて欲しいときにきかないのは本当にがっくり来る。這々の体で家にたどり着いたら、じょんはベランダでじっとしていた。人間なら思い切り怒鳴りつけて解らせようとするかも知れないが、人間と犬との間では理解させようとするのは不可能である。じょんは私の気持ちはわからないだろうし、私もじょんの気持は解らない。それが人間と犬との間なのではないだろうか。つづくImg_2070

そんなの関係ねえってんで遊んでいる。

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続々じょんのび七不思議 2/6

2009-02-07 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.6(金)曇り

 河原に流木を拾いに行く予定の日だったのだが、小西町の伐採現場の木が予想以上に沢山あり、一日かけて運搬することとなる。上林から小西町まで往復1時間かかるので、切りそろえ、積み込み、荷作りなどしていると一回2時間強かかる。結局3往復して用意していただいていた木を運び終える。木はクヌギがほとんどだが、樫や桜なども少し混ざっている。庭はまるでパルプ工場のようにうずたかく木が積んである。この後の整理、玉切りが大変だ。そしてなにより木小屋を作らないと始まらない。嬉しいようなしんどいようなプレッシャーがのしかかってくる。木の採取に際して親切にしていただいた輪島木材さんに感謝する。まだまだ伐採は続くそうで、「どんどん取りに来てよ」とありがたいお言葉を頂く。Img_2071

これで二往復分。


 じょんのび七不思議では、なんでいきなり5番目になるのかという声があったので整理をしておこう。
じょんのび七不思議
(1) 山上に謎の建造物(秋)
(2) じょんのび谷に黄金の光(12月)
(3) 節分に芝桜(2009.2月)
(4) 上林は都市ガスか
(5) 川原石の怪
というわけで、すべて御紹介している。さて今日は6番目の不思議、「開かずの窓」である。カフェじょんのびは吹き抜けとなっているが、二階ベランダ側に窓があり、ベランダの一部を望むことができる。イスとテーブルを置いているので、そこも客席か?という問い合わせもあるが残念ながらそこは物干しである。二階のベランダで夕暮れのビールでも飲んだらさぞ美味しいかと思っているが、未だ実現したことはない。それはさておき、その窓ははめ殺しではなく、網戸もあり、行き違いに開くようにもなっている。Img_2072

陽が差し込んで汚れも目立ってきたので、クリーナーで研いてやろうと思いきや、鍵の開けようがないのだ。もちろん外からは開けられない。中からははしごでも掛けてよじ登らないと開けられない。これならはめ殺しでもいいんじゃないか。第一あの鍵をどうやってかけたかも知りたいところだ。
てなわけで七不思議(6)は「開かずの窓」に決定。

今日のじょん:忠犬は存在するか?(1)
昨日の転倒は色々と考えさせられる事があった。転倒してしばらくは動けなかったが、リードが離れているのでじょんは20m程離れたところでこっちを見ている。朝の通勤時間で府道は車がひっきりなしだ。このまま離れてしまうと危険なこととなる。倒れたまま落ち着いて「おいで」とやるが不安そうな顔をしているだけでちっとも来ない。ポケットに砂肝があるのでそれで誘ってもやっぱり来ない。倒れたままの飼い主を見て何か異常を感じている様子だ。結局リードを引きずったままどこかへ行ってしまった。多分家に帰っているだろうと思ったが、その間には府道の横断がある。車がスピードを落としている様子がうかがえる、肝をつぶす思いだ。やっとの思いで起きあがり、痛む足を引きずって家に向かう。100m程の距離が怖ろしく長く感じる。道に倒れてはいまいか、家に帰っているだろうかと不安に感じながら歩いてゆく。つづく

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続じょんのび七不思議 2/5

2009-02-06 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.5(木)快晴

 じょんのび七不思議(5)川原石の怪
以前にも書いたが、じょんのび村では河原のような円い石がまとまって出土する。最も多いところは北北東の角でゴロゴロ出てくる。河原からは相当上がっているところで、このような円く摩耗した石が出るのは不思議なことだ。購入する前は畑地であったということだから、耕した際に出る石を集める場所なのかなと考えたが、それならば色んな種類の石が出てきて当然だ。ところが出てくるのは円い砂岩ばかりで、河原の堆積地のような感じである。このあたりの地盤は味噌石と呼ばれる粘板岩で、摩耗した砂岩が出るのは、どこからか運ばれたか、川や谷の堆積に依るものと考えられる。Img_2065

北北東の角には夥しい円い石が出る。

もう一つは、特徴的な赤い石である。水成岩と思われるこの赤い石も混じって出てくる。大きいものでは一抱えもするもので、大小入り交じって出土する。Img_2066_2

最も大きいのは一抱えもある。その他10~20cm、小石も多く出てくる。

この赤い石が上林川に存在したならば、じょんのび村の地はかつて、上林川であったと確信していいのではないかと思っていたところ、あるはあるは、毎日の散歩で河原に降りてひとつずつ拾っていたら、怖ろしいほど集まった。Img_2068 Img_2069

美しい石なのでガーデニングに使っている。


この赤い石の大元をいつか探検したいと思うが、今のじょんのび村の地域がかつて上林川の河原であったということは私の仮説としてかなり信憑性があるのではないかと思う。
じょんのび村一帯の地形は、変わった地形である。屈曲を繰り返しながらもそれなりに素直に流れていた上林川が急に南に流れを変えて、南東進し再び北上して本来の直線上に並ぶのである。その最初の屈曲点にじょんのび村はあるのだが、その川の流れを変えた尾根は相当強力な岩盤らしい。その付け根が河牟奈備神社である。その河牟奈備神社の鳥居には大きな注連飾りがあるのだが、それは波打って大蛇の様子を呈している。不思議に思っていたのだがある方の話しに依れば「大昔洪水があってこの地に大蛇が流れ着いた。それ以来川は現在のように蛇行した」というものである。昔とはいえ、川が直進していたとは思えないが、神社のあたりまで川があったとしたら、じょんのび村はその流域となる、これはあながち否定できないことである。
 もう一つ地名のことだがじょんのび村の地名は、睦合町古川(むつあいちょうこがわ)である。古川という地名は数軒があるだけの極狭い地域だが、かつて川があって古川なら、これはロマンである。もう一つ地名のことで面白い話なのだが、古川の上は念道でバス停にもなっているので、上林ではこのあたり一帯を念道と言っている。実はこのあたり川の屈曲点でおおきな湖であって、その堆積物が粘土となっているというのだ。確かに粘土質だが、それが念道と言うには少し飛躍のような気もするのだ。いずれにしてもじょんのび七不思議、5番目はこの川原石である。

今日のじょん: 中型犬以上の場合散歩時に引っ張られて転倒するというのがあり、年配の方など大騒動になったりしている。私の場合大丈夫と思っていたが堤防の下り坂でやられてしまい、したたかにお尻と手首を打ってしまった。リードは離れてしまい、じょんは脅えてしまい寄ってこない。優しく呼んでも近づかないし、持っていた砂ズリの肉にも近づかない。そうこうしているうちに、勝手に家に帰ってしまった。道中は通勤時間帯の府道があり、事故に遭わないか心配だは、身体は動かないはで、えらい目に遭ってしまった。
 

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じょんのび七不思議 2/4

2009-02-04 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.4(水)曇り

 今日は志賀郷では篠田神社の筍神事が行われている。正月四日に筍が上がり、茗荷と同様の神事が執り行われるそうだ。七不思議の内五つは正月に季節はずれの花や実が成ったというもので、元旦の白藤、三日の茗荷、四日の筍、五日の萩、六日の柿と続く。要するに超温暖な年があって、冬に花が咲いたり、実が成ったりしたのだろうか。
 さてじょんのび村では昨年植え付けた芝桜が数輪咲いている。Img_2054タンポポなんて雪
       
Img_2060
の間も咲き続けていた。これもじょんのび七不思議に入れとこうか。

というわけで三つの七不思議が登場したが、この際四つめを御紹介しよう。それは家を建てる際のことである。東側ののり面に古い道の跡があり、歩行用に、あわよくば軽トラぐらいは通行できるようにとユンボで掻いてもらった。ところがだ、水道管らしきものがあるというので、工事は中断、調査をすることとなった。じょんのび村の用地には過去に二軒の屋敷があったと言うことだが、その家が使っていたものだろうか。
調査の結果は意外なものだった。水道管ではなくてガス管だったのだ。えっ上林には都市ガスが入っていたのか???まさか都市ガスが供給されていたことはないだろうが、どうもプロパンガスの集中管理があったらしい。ところがこのガス管理がいつごろ、どのような形態で行われていたのかちっとも解らないのだ。近所の人に聞いてもさーてな感じで一向に要領を得ない。ガスの供給なんてそんな古いことではないと思うのだが、その実態が解らないのだ。そうこうしているうちに西側のじょんのび坂付近にもガス管を発見、これが七不思議でなくてなんだろう。Img_2059


じょんのび坂のガス管。


今日のじょん:猪チビ
朝の散歩時いつもの猪の子どもが堤防にいる。こりゃあはぐれイノシシか、とにかくいつも同じやつで、どうも居着いているみたいだ。じょんに教えてやっても、果たして見えていないのか、見えているけど知らないふりをしているのか、関心がないようだ。同じ距離にいるカラスには異常なほど興味を示すのだが、、、。農作物に害を及ぼすイノシシだが、小さいのがひょこひょこと歩く姿は可愛らしい。猪チビと命名しよう。ただこのまま、この場所で大きくなってきたらどうなるのだろう。いまだって、私たち以外に猪チビの存在は村の人に知られているだろう。それほど見通しの良いところでうろうろしているのだ。明日はカメラを持って散歩に出よう。

 

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茗荷神事 2/3

2009-02-03 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.3(火)雨

 金河内町の阿須々伎神社の茗荷神事は志賀の里の七不思議の一つで、旧暦正月3日の早朝に茗荷が上がり、その茗荷でその年の豊凶を占うというものだ。何が不思議ってこの冬の真っ盛りに茗荷が出来るというのが不思議なことだ。
 新暦となって2月の3日に行われることとなったのだが、うっそうとした境内には屋根からの雪が残り、とても茗荷の出来る季節ではない。ところが説明書には今でも茗荷が上がると記されており、上がるとは一体如何なることかと不思議がる。
 茗荷が上がるのは日の出から7時までにと記されてあり、私たちが行ったのはお昼前なのでお宝田は何事もなかったの様に水が流れていた。Img_2043 Img_2045

雨にもかかわらず多くの参拝者、右はお宝田。


嬉しいのは多くの行事が日曜日の開催となっている中で、しっかり日を守っておられるということだ。もっともその日に茗荷が上がるというのだから変えようがないのだが。おかげで定休日の今日に参拝することができた。もう一つの目的は、今夏さぬきうどんの店を開店予定の竹原さんが出店するというので是非食してみたいということだ。出店なのでかけうどんのみの販売だが、うわさどおり旨いうどんだった。実は先日村上さんと一緒に来じょんされており、案内も頂いていたのである。店の開店が待ち遠しい。
Img_2050

竹原さんは28才のバリバリ、村長とえらい違いだ。 


 麺類が続くが志賀郷もそうそう来られないので、花伝院のラーメンとお焼きを食べてみる。お焼きは本場信州に比べるとボリュームも食感もいまいちだが、ラーメンは綾部で食した内ではまずまずというところか。
 近くに美味しいとうわさのお豆腐やさんがあるので寄ってみる。看板も案内も無い店で、声を掛けても誰もいなかった。残念。
 その後小西町の伐採現場に雑木をもらいに行く。先日来じょんされたお客さまが木を切っておられ、不要な木を置いておくから持っていってと言われていたのだ。書いてもらった地図を頼りに探し回って現場に行く。畑に山積みされた木を一本ずつ担いであっぱれ号に積んでゆく。チエンソーを持ってきて良かった、長さがちと不安定なのだ。かみさんはよそ行きの服で運転席で待っている。そんな作業って出来ないよね、そうそうに切り上げて後日のこととする。
 伐採をしている塩見さんが確認のために来てくれた。「みんな持ってっていいよ」とありがたいお言葉なんだが、相当あるぞ、何日かかるかなあ。それでも来年の薪の確保のため頑張ろう。ふんだんに、在庫の心配をしないで薪を炊くことがどれほど幸せなことか思い知った冬であった。

今日のじょん:鬼は内、じょんも内
 一日お留守番をしていたじょん君は、夜は鬼となって豆まきをする。綾部の豆まきは「鬼は内、福は外」と言うそうだ。藩主が九鬼さんだったせいもあり、大本さんでは王仁三郎氏を敬ってのことらしい。我が家でもじょんが鬼なので「鬼は内」となる。じょんは一才で一個の豆をもらったが、我々はとても食べきれない。
Img_2053
じょんは内。

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受験お守り 2/2

2009-02-02 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.2(月)曇り

 受験シーズン真っ盛りで、各地で受験のお守りが売り出されている。大体、滑らない、落ちない、合格等々語呂合わせで売り出しているのがほとんどで、無数にある。
しかしまあ、おぼれる者は藁をもつかむと言うが、そういう物が売れるんだねえ。というわけで我がじょんのび村でも受験お守りを作って売り出すことを考えついた。先日の大雪で簡単に折れてしまった百日紅(さるすべり)の枝があるのだ。薪にどうよと言ってるのだが、見るとなかなかおしゃれな木肌なのだ。
 縁起のいいものはいくらでもあるが、これほど縁起の悪い、しゃれの効いたものは無いと思う。大体やねえ、受験なんて己の実力でやるもので神頼みなんかするものじゃねえ。そんな根性じゃ合格したところでろくな学生にはなれないわけだ。己の努力と己の力で切り開いてゆく、そんな受験生に送りたいお守りとなるだろう。これを胸にぶら下げて、それでも合格する受験生こそ独立独歩頑張れるんじゃないかな。と言うわけで情けなく捨てられている枝を明日は拾ってこよう。、、、、そんなお守り誰が買うかあ!!!

今日のじょん:続固まりじょん
雨の日が続いたので、レインコートを着る日が多かった。着せるのも大変だが、ようよう着せても、その時のそのままのスタイルで固まってしまうのだ。いい加減に慣れろよなあと思うが、頑固なところがよく似てきた。(誰がじゃ)とにかく呼んでも叫んでもそのままのスタイルで動かない。何分でも何時間でもだ。無理矢理お尻を押すと動きだして、後はいつもと同じようにはしゃいでいる。犬というのは解らない。Img_1669

これは去年の固まりじょん

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嵐の後 2/1

2009-02-02 | 日記・エッセイ・コラム

2009.2.1(日)霰、曇り

 一日半荒れ続けた嵐がやっと去った。次は寒気が来て北日本は雪になるとか言ってるが、雪が降ることはなかったが朝方霰が降った。その後は時々雨となり、結局二日二晩降り続いたこととなる。雨の合間を縫って嵐の後の片付けをする。まず、大切なカボスの支柱を立て直し、ビニールを掛ける。その他の植木の支柱もよく見ると緩んだり、倒れたりしている。一つひとつ点検しながら直して行く。
 散らばった波板を拾い直し、コンパネや古材に掛けて行く。これからも強烈な風が吹くだろうから、建造物や植木などこころして対策をしなければならない。
 川も増水していたのでどんなものか見に行く。実は近々薪拾いに河原に行こうかと思っていたのだ。目を付けていた流木も流れてしまいがっかりするが、新しいのが流れ着いているので一緒か。次の次の休みには決行しよう。
 
 今日のじょん:マーブルファイト事件
店を片付けているとマーブル宅へ散歩に行っていたかみさんが青い顔をして帰ってきた。「えらいこっちゃマーブルが扉に当たってガラス割ってしもた。」えー、あのでかい図体でぶつかったら割れるわなあと思いつつ、修理に出かける。割れたガラスを拾い、残ったガラスにガムテを張り、全体にベニヤを張り付けて完了、とりあえずはこれでマーブルも大丈夫だろう。じょんもマーブルもバツ悪そうにしている。

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