1月16日(月)
夜7時から、茨木市内で日本共産党茨木豊能地区委員会の党大会報告会で3人の参加代議員の一人として報告・発言しました。
こんばんは、箕面市会議員の名手宏樹です。1月11日から14日まで日本共産党24回党大会に代議員として参加させていただきました。前回大会に全面改訂した党綱領にもとづき、今後の方針である大会決議の採択、新しい中央委員会の選出などおこなってきました。私も大阪府党で選ばれた代議員として採択に加わってきました。報道では、「不破議長が、議長を下り、上田副委員長らが中央幹部会を去る」など注目されているのでしょうか?
私は、全国的集会には学生時代の全学連の大会や議員になってからも、議員交流集会など参加させていただいたこともありますが、党大会参加はもちろんはじめてです。新幹線で伊豆半島の付け根、熱海で降りて、「伊豆の踊り子」で有名な伊豆下田ゆき伊東線に乗り換え、2つ目の駅、伊豆多賀でおりる。大きい荷物を預かり所にあずけ、会場まで歩いて約30分から40分、駅から相模湾を見下ろせる坂をおりて、民家の間の道をぬけ、誘導の要員の方とあいさつをかわしながら、伊東線の高架をくぐって山道へすすむ。手を伸ばせば、実をつけているみかんに手が届く、みかん畑の間の坂道を、途中から汗だくになりながら、服を脱ぎながら登ってゆく。肺活量が上がり、足がだるく、だんだん上着が邪魔になってくる。ころに、やっと代議員プレートのチエックと書籍など販売テントがみえ、会場入り口の「24回と党大会」の看板が見えてきました。
会場入り口では、党の議員候補らが代議員を迎え、わたしも早速、高知大学の先輩の四国ブロック元衆議院議員春名なおあきさんや、ずっと以前、箕面にすんでおられた大森猛元議員らの歓迎をうけました。むこうから手持ちのデジカメでシャッターを押すのを頼まれました。到着いきなりで、息をはあはあさせ、汗だくの中、シャッターをおしました。後に、春名さんとは改めて握手の写真をとっていただきましたが、昨日すでに春名さんのホームページに大会報告とともに私の写真も掲載されていました。先輩といっても一つ違い、私が民青に加入し、入党したときにすでに、民青の大学地区委員長その後、党の全学委員長をつとめた人です。さらに、大会会場ではこれも一つ先輩で、現在、もらった名刺によると、高知市の高知地区委員長を務める佐藤さんや、豊中で講師をしていた頃の数少ない教え子、金森さん、亡くなられた元豊能地区委員長の金森さんの娘さんが、通訳の仕事をされている、そして、豊能地区民青でいっしょに活動していた、高井由美子さん、この方は、保育士としてうちの妻を民青と党に入れた人でもありますが、民青中央に、現在は市田書記長の秘書をしている・・4日間で、こうした方々にあえました。これらは、私の二〇代から三〇代にともに社会を変えようと活動を広げた仲間達ばかり、1970年に党に加わり80年代90年、なかなか大きな躍進ができなかった中でも全国でこうした仲間の方々が党の色んな分野での中心で活動していることに本当に心をあつくする思いでした。
さて、大会の中味ですが、決議や中央委員会報告、そして発言・・すでに日々の赤旗で詳しくそのまま報道されているとおりです。
大会では、アメリカ支配が崩れ、アジア、ラテンアメリカなど世界の流れで孤立を深めていっているのはアメリカであり、この中で、日本の小泉政治がアメリカ言いなりの軍事、外交姿勢で、靖国参拝でアジア近隣諸国をはじめ世界から孤立していることが浮き彫りになりました。そして、この中で日本共産党の新しい綱領と活動が世界の国々から注目されていることが浮き彫りになりました。昨年末の中国共産党との理論交流とこの間の中国との関係が一層深まり、中国からは党から国を代表しての大会参加、韓国の議員など54人、党大会にこれまでにない海外来賓が参加され、ドイツで前進している左翼党から「日本共産党の新しい綱領は参考に値する」と報道されたように世界の進歩の流れにそった党の方向に確信をふかめました。
日本国内でも沖縄で、岩国で、神奈川でアメリカの基地再編強化に自治体首長を先頭に自治体ぐるみで反対運動が広がり、憲法9条の会が全国4000をこえ、「平和の憲法9条を守ろう」「戦争する国にはさせない」の運動が大きくなっている状況が語られました。大会冒頭の発言で、沖縄の那覇の市議の代議員は、この方は昨年7月の選挙で議員になったばかりですが、「日本軍が沖縄人民を守らなかったのに沖縄がなぜ、日本に復帰したかったのか疑問だった」と問いかけ、「憲法9条があったから、平和憲法の元に帰りたかった」と先輩から教えられた。「父の前衛に人民党が島ぐるみのたたかいを評価し、日本共産党に合流したとある」「命こそ大事、平和憲法を守り、基地をなくす世代になる。」と発言し、発言のっけから会場の大きな拍手に包まれました。
小泉構造改革で国民生活が一層破壊され、働き盛りの世代でも、高齢者世代でも、くらしが脅かされ、特に若者の雇用や生きる希望が失われていっている中で、政治をかえよう、「社会的連帯と反撃で未来をひらこう」と国民の利益を守る日本共産党を大きくして生きる希望を取り戻どすたたかいで、党を大きくしている発言が、涙あり笑いありで多様に交流されました。
和歌山の代議員で福祉職場で1年で、20歳代30歳代で30人の党員を迎えた経験を発言し、障害者自立支援法阻止で闘ってきた党と立場が、赤旗の報道とともに鮮明になり、「福祉の現場の仕事だけではしんどくなる。国政をかえることを夢見て、僕らとぼちぼちやったら楽になるで~」と語りかけ、きわめつけの決め台詞は「僕ら君を楽にしたいんよ」と和歌山弁で党の仲間を広げている発言に笑いの渦がひろがりました。そう、私たちの党活動は、本来、社会を、人々を楽にする、しあわせをつくりだす展望をもった活動であり、そのために党員を仲間を増やさなければと、私も和歌山出身ですが、和歌山弁とともに感激しました。「僕ら君を楽にしたいんよ」志位委員長も結語で今大会の「名文句の一つ」として紹介されました。
千葉県の民青の代議員は、「勝ち組、負け組み」の枠で、どちらになっても不安や絶望感、他者を蹴落とさなければ、自らの幸せがないと思い込ませれ、信頼できず連帯できない社会がつくられている、住み込みで働かせ手取り5万しか渡さない建設業者飛び出し行方不明になった青年2人を党議員と一緒助け、同じような青年つくらないためにと仲間に迎え入れた。援助交際繰り返し、信じるものがない、「愛だってお金で買える」といい、自分を必要とされているのかと、手首をリストカットし、悩む女子青年、今の青年のすさまじい実態を告発し、「自己責任」にもとあきらめさせられている青年たちに「君は一人じゃない、君が悪いんじゃない、あきらめずいっしょに社会をかえる党や民青がある」と訴え、心をかよわせ党を語り、未来をつくる活動をひろげている発言には会場全体が感動と涙でいっぱい、会場が一つになりました。
私は、これまでも全国的な交流集会に参加する機会はたびたびありましたが、今回もまた、いやこれまで以上の感動する発言に多く出会えました。
「党勢拡大をはじめ本格的な活動を軌道にのせるために」、私たちは何をしなければならないか、具体的な発言にも出会いました。姫路駅から熱海まで新幹線の停車駅1駅ずつ拡大するという「拡大すごろく」をつくって大会に参加した兵庫・姫路の居住支部の発言は地域の支部に身近な発言でした。帰りの拡大が目標に入っていなかったと大会中も新たに目標を決めて、現在、京都どまりと会場を笑わせました。この支部では、後援会をつくり、親睦行事でつながりをひろげ、毎年2,3人の党員拡大で党勢を倍化しています。3年前から毎月後援会ニュースを発行し、編集会議を月2回開き、支部で地域要求、9条の会、議員活動、国政などを取り上げ、200部から540部へ24人で配布をひろげ、たとえ「赤旗」が切れても無数の「赤い糸」で結ぶというものです。議員と要求実現にとりくみニュースと後援会員に依拠した活動で、従来の400の支持拡大を衆院選では1500に前進させています。単位後援会は支部にとって「金の鉱脈」と発言しました。わが地区内で、そして箕面でもこうした活動をされている支部もあるでしょう。私の住む居住支部でも選挙前はできても恒常的にはできていません。もう一度、この当たり前の、定石どおりの地道な活動で支部をさらに活性化させ、党勢をひろげるとりくみを支部とともにすすめなければと強く感じました。大会決議の「修正で支部と党員が周りの人々と日常的に深く結びつくことは党活動の手段ではなく、それ自体党の活力の根本にかかわる問題」と加えられました。
その活動のもとあるのが、新しい綱領の学習です。発言では不破さんの「新綱領を学ぶ」がテキストとして学んでいる例なども発言されました。地域の党支部が、学び、党員同士心を通わせ、「政策と計画」を充実させ、地域住民の要求、住民の苦難の解決に運動を広げている。どんな支部でもぜんしんできる。たくさんの発言が相次ぎました。
最後に、今回、「後進者に力を発揮してもらう」と議長をおりた不破さんは、「いま日本で日本共産党こそ支配勢力の標的の的になっているのは、アメリカ、財界など支配勢力が、日本共産党が正確な綱領をもち、社会進歩の流れに沿う不屈の活動をおこない、社会主義・共産主義への未来社会まで展望、党だとこれまでの歴史を通し知っているからだ」と指摘した、また、「本当に日本を変える新しい綱領と全国に2万4千の支部と機関紙『赤旗』をもつ日本共産党の前進こそ希望ある日本をつくる」と訴えました。
私は、学生時代に戦前の暗黒時代に一貫して、侵略戦争に反対し続けてきた平和の党である日本共産党と、そして、これまでの歴史と未来の日本と人類の歴史をつくる社会進歩の党、日本共産党の姿に心を打たれて党に加わりました。今回の大会に参加して、大会報告や改めて青年の活動にもふれ、不破さんの最後の発言にもふれ、また、最初にお話した学生時代、20、30代の活動した仲間と再会できたことも含め、党への初心を思い起こさせられるものでした。日本共産党の一人として、この大会に参加させていただいた代議員として、党の市議としてさらなる奮闘をしなければならないと気持ちを新たにした4日の大会でした。
党大会で撮影 小池参議院議員・政策委員長と
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夜7時から、茨木市内で日本共産党茨木豊能地区委員会の党大会報告会で3人の参加代議員の一人として報告・発言しました。
こんばんは、箕面市会議員の名手宏樹です。1月11日から14日まで日本共産党24回党大会に代議員として参加させていただきました。前回大会に全面改訂した党綱領にもとづき、今後の方針である大会決議の採択、新しい中央委員会の選出などおこなってきました。私も大阪府党で選ばれた代議員として採択に加わってきました。報道では、「不破議長が、議長を下り、上田副委員長らが中央幹部会を去る」など注目されているのでしょうか?
私は、全国的集会には学生時代の全学連の大会や議員になってからも、議員交流集会など参加させていただいたこともありますが、党大会参加はもちろんはじめてです。新幹線で伊豆半島の付け根、熱海で降りて、「伊豆の踊り子」で有名な伊豆下田ゆき伊東線に乗り換え、2つ目の駅、伊豆多賀でおりる。大きい荷物を預かり所にあずけ、会場まで歩いて約30分から40分、駅から相模湾を見下ろせる坂をおりて、民家の間の道をぬけ、誘導の要員の方とあいさつをかわしながら、伊東線の高架をくぐって山道へすすむ。手を伸ばせば、実をつけているみかんに手が届く、みかん畑の間の坂道を、途中から汗だくになりながら、服を脱ぎながら登ってゆく。肺活量が上がり、足がだるく、だんだん上着が邪魔になってくる。ころに、やっと代議員プレートのチエックと書籍など販売テントがみえ、会場入り口の「24回と党大会」の看板が見えてきました。
会場入り口では、党の議員候補らが代議員を迎え、わたしも早速、高知大学の先輩の四国ブロック元衆議院議員春名なおあきさんや、ずっと以前、箕面にすんでおられた大森猛元議員らの歓迎をうけました。むこうから手持ちのデジカメでシャッターを押すのを頼まれました。到着いきなりで、息をはあはあさせ、汗だくの中、シャッターをおしました。後に、春名さんとは改めて握手の写真をとっていただきましたが、昨日すでに春名さんのホームページに大会報告とともに私の写真も掲載されていました。先輩といっても一つ違い、私が民青に加入し、入党したときにすでに、民青の大学地区委員長その後、党の全学委員長をつとめた人です。さらに、大会会場ではこれも一つ先輩で、現在、もらった名刺によると、高知市の高知地区委員長を務める佐藤さんや、豊中で講師をしていた頃の数少ない教え子、金森さん、亡くなられた元豊能地区委員長の金森さんの娘さんが、通訳の仕事をされている、そして、豊能地区民青でいっしょに活動していた、高井由美子さん、この方は、保育士としてうちの妻を民青と党に入れた人でもありますが、民青中央に、現在は市田書記長の秘書をしている・・4日間で、こうした方々にあえました。これらは、私の二〇代から三〇代にともに社会を変えようと活動を広げた仲間達ばかり、1970年に党に加わり80年代90年、なかなか大きな躍進ができなかった中でも全国でこうした仲間の方々が党の色んな分野での中心で活動していることに本当に心をあつくする思いでした。
さて、大会の中味ですが、決議や中央委員会報告、そして発言・・すでに日々の赤旗で詳しくそのまま報道されているとおりです。
大会では、アメリカ支配が崩れ、アジア、ラテンアメリカなど世界の流れで孤立を深めていっているのはアメリカであり、この中で、日本の小泉政治がアメリカ言いなりの軍事、外交姿勢で、靖国参拝でアジア近隣諸国をはじめ世界から孤立していることが浮き彫りになりました。そして、この中で日本共産党の新しい綱領と活動が世界の国々から注目されていることが浮き彫りになりました。昨年末の中国共産党との理論交流とこの間の中国との関係が一層深まり、中国からは党から国を代表しての大会参加、韓国の議員など54人、党大会にこれまでにない海外来賓が参加され、ドイツで前進している左翼党から「日本共産党の新しい綱領は参考に値する」と報道されたように世界の進歩の流れにそった党の方向に確信をふかめました。
日本国内でも沖縄で、岩国で、神奈川でアメリカの基地再編強化に自治体首長を先頭に自治体ぐるみで反対運動が広がり、憲法9条の会が全国4000をこえ、「平和の憲法9条を守ろう」「戦争する国にはさせない」の運動が大きくなっている状況が語られました。大会冒頭の発言で、沖縄の那覇の市議の代議員は、この方は昨年7月の選挙で議員になったばかりですが、「日本軍が沖縄人民を守らなかったのに沖縄がなぜ、日本に復帰したかったのか疑問だった」と問いかけ、「憲法9条があったから、平和憲法の元に帰りたかった」と先輩から教えられた。「父の前衛に人民党が島ぐるみのたたかいを評価し、日本共産党に合流したとある」「命こそ大事、平和憲法を守り、基地をなくす世代になる。」と発言し、発言のっけから会場の大きな拍手に包まれました。
小泉構造改革で国民生活が一層破壊され、働き盛りの世代でも、高齢者世代でも、くらしが脅かされ、特に若者の雇用や生きる希望が失われていっている中で、政治をかえよう、「社会的連帯と反撃で未来をひらこう」と国民の利益を守る日本共産党を大きくして生きる希望を取り戻どすたたかいで、党を大きくしている発言が、涙あり笑いありで多様に交流されました。
和歌山の代議員で福祉職場で1年で、20歳代30歳代で30人の党員を迎えた経験を発言し、障害者自立支援法阻止で闘ってきた党と立場が、赤旗の報道とともに鮮明になり、「福祉の現場の仕事だけではしんどくなる。国政をかえることを夢見て、僕らとぼちぼちやったら楽になるで~」と語りかけ、きわめつけの決め台詞は「僕ら君を楽にしたいんよ」と和歌山弁で党の仲間を広げている発言に笑いの渦がひろがりました。そう、私たちの党活動は、本来、社会を、人々を楽にする、しあわせをつくりだす展望をもった活動であり、そのために党員を仲間を増やさなければと、私も和歌山出身ですが、和歌山弁とともに感激しました。「僕ら君を楽にしたいんよ」志位委員長も結語で今大会の「名文句の一つ」として紹介されました。
千葉県の民青の代議員は、「勝ち組、負け組み」の枠で、どちらになっても不安や絶望感、他者を蹴落とさなければ、自らの幸せがないと思い込ませれ、信頼できず連帯できない社会がつくられている、住み込みで働かせ手取り5万しか渡さない建設業者飛び出し行方不明になった青年2人を党議員と一緒助け、同じような青年つくらないためにと仲間に迎え入れた。援助交際繰り返し、信じるものがない、「愛だってお金で買える」といい、自分を必要とされているのかと、手首をリストカットし、悩む女子青年、今の青年のすさまじい実態を告発し、「自己責任」にもとあきらめさせられている青年たちに「君は一人じゃない、君が悪いんじゃない、あきらめずいっしょに社会をかえる党や民青がある」と訴え、心をかよわせ党を語り、未来をつくる活動をひろげている発言には会場全体が感動と涙でいっぱい、会場が一つになりました。
私は、これまでも全国的な交流集会に参加する機会はたびたびありましたが、今回もまた、いやこれまで以上の感動する発言に多く出会えました。
「党勢拡大をはじめ本格的な活動を軌道にのせるために」、私たちは何をしなければならないか、具体的な発言にも出会いました。姫路駅から熱海まで新幹線の停車駅1駅ずつ拡大するという「拡大すごろく」をつくって大会に参加した兵庫・姫路の居住支部の発言は地域の支部に身近な発言でした。帰りの拡大が目標に入っていなかったと大会中も新たに目標を決めて、現在、京都どまりと会場を笑わせました。この支部では、後援会をつくり、親睦行事でつながりをひろげ、毎年2,3人の党員拡大で党勢を倍化しています。3年前から毎月後援会ニュースを発行し、編集会議を月2回開き、支部で地域要求、9条の会、議員活動、国政などを取り上げ、200部から540部へ24人で配布をひろげ、たとえ「赤旗」が切れても無数の「赤い糸」で結ぶというものです。議員と要求実現にとりくみニュースと後援会員に依拠した活動で、従来の400の支持拡大を衆院選では1500に前進させています。単位後援会は支部にとって「金の鉱脈」と発言しました。わが地区内で、そして箕面でもこうした活動をされている支部もあるでしょう。私の住む居住支部でも選挙前はできても恒常的にはできていません。もう一度、この当たり前の、定石どおりの地道な活動で支部をさらに活性化させ、党勢をひろげるとりくみを支部とともにすすめなければと強く感じました。大会決議の「修正で支部と党員が周りの人々と日常的に深く結びつくことは党活動の手段ではなく、それ自体党の活力の根本にかかわる問題」と加えられました。
その活動のもとあるのが、新しい綱領の学習です。発言では不破さんの「新綱領を学ぶ」がテキストとして学んでいる例なども発言されました。地域の党支部が、学び、党員同士心を通わせ、「政策と計画」を充実させ、地域住民の要求、住民の苦難の解決に運動を広げている。どんな支部でもぜんしんできる。たくさんの発言が相次ぎました。
最後に、今回、「後進者に力を発揮してもらう」と議長をおりた不破さんは、「いま日本で日本共産党こそ支配勢力の標的の的になっているのは、アメリカ、財界など支配勢力が、日本共産党が正確な綱領をもち、社会進歩の流れに沿う不屈の活動をおこない、社会主義・共産主義への未来社会まで展望、党だとこれまでの歴史を通し知っているからだ」と指摘した、また、「本当に日本を変える新しい綱領と全国に2万4千の支部と機関紙『赤旗』をもつ日本共産党の前進こそ希望ある日本をつくる」と訴えました。
私は、学生時代に戦前の暗黒時代に一貫して、侵略戦争に反対し続けてきた平和の党である日本共産党と、そして、これまでの歴史と未来の日本と人類の歴史をつくる社会進歩の党、日本共産党の姿に心を打たれて党に加わりました。今回の大会に参加して、大会報告や改めて青年の活動にもふれ、不破さんの最後の発言にもふれ、また、最初にお話した学生時代、20、30代の活動した仲間と再会できたことも含め、党への初心を思い起こさせられるものでした。日本共産党の一人として、この大会に参加させていただいた代議員として、党の市議としてさらなる奮闘をしなければならないと気持ちを新たにした4日の大会でした。
党大会で撮影 小池参議院議員・政策委員長と
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