『関東三十六不動尊巡り』㉑、第32番札所岩瀬不動尊を訪れた。21番目でようやく東京、埼玉、神奈川に次ぐ4県目の千葉の札所に行き着いた。

岩瀬不動尊は千葉県富津市にあり、最寄りの駅は内房線大貫駅で歩いて20分程度掛かる。しかし、寒さも考慮して木更津駅までバスで行き、安易にレンタカーで行くことにした。

木更津駅からは君津方面に走り、途中、郡ダムの周りを走ると大きな看板が出てくるため、迷うことはない。20分ほどである。

里山というべき高さの普和山山麓にある真言宗豊山派最上寺は由緒を調べると大化の改新の天智天皇の御代(6世紀)まで遡る。知らぬもののない役行者がこの一帯を開墾、役行者に代わり、役尊がこの地に一宇を建立した。

役尊は不動明王を勧進して普和山と号し、悪疫退散・万民豊楽を祈念し、最上寺と称した。周囲の人々から深く信仰され、大変栄えた。しかし、室町時代に弘治の変(1556年)により堂宇は焼失、本尊と観世音菩薩のみが災禍を免れた。さらに廃仏毀釈でも寺領が没収されたが、第19世義嶽和尚の尽力もあり、1949年に観音堂を普和山山腹に起こし、1972年に本堂の再建を果たしたもの。

左右に仁王様の石像があり、その間を行くと、近所の人々が境内の掃除に励んでいる。ご挨拶をした後に正面の本堂に向かう。


本堂の左側には不動明王の石像、その前に小さな石像が奉納されている。本堂入口には大きな数珠が吊り下げられていて、数珠回しが行われるのだろう。下谷の英信寺でも見たことがあるが、玉が落ちるたびに大きな音がする。

本堂の中にはご本尊の不動明王坐像が安置され、荒々しい憤怒の表情ながら、我々の煩悩を怒りの形相と智慧の剣で消し去るご利益があり、たくさんの方の信仰を得ている。


お寺の方と『千葉県の札所は最初です』と話をすると、『ここはお隣の札所ともかなり離れていて不便なところ。次の33番の安房神社も36番の成田山新勝寺も遠いからね』ということであった。確かにどちらもかなり遠く、今回はこのお寺だけで東京に戻ることにした。

本堂の右手には当山開基の役行者を祀る神変堂。これは役行者が神変大菩薩と呼ばれているからそのように呼ばれている。


最後に本堂正面の大きな天狗の面を見て、参拝を終えました。
