hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

『関東三十六不動尊巡り』㉑〜第32番岩瀬不動尊

2025-02-21 05:00:00 | 霊場巡り
『関東三十六不動尊巡り』㉑、第32番札所岩瀬不動尊を訪れた。21番目でようやく東京、埼玉、神奈川に次ぐ4県目の千葉の札所に行き着いた。

岩瀬不動尊は千葉県富津市にあり、最寄りの駅は内房線大貫駅で歩いて20分程度掛かる。しかし、寒さも考慮して木更津駅までバスで行き、安易にレンタカーで行くことにした。

木更津駅からは君津方面に走り、途中、郡ダムの周りを走ると大きな看板が出てくるため、迷うことはない。20分ほどである。

里山というべき高さの普和山山麓にある真言宗豊山派最上寺は由緒を調べると大化の改新の天智天皇の御代(6世紀)まで遡る。知らぬもののない役行者がこの一帯を開墾、役行者に代わり、役尊がこの地に一宇を建立した。

役尊は不動明王を勧進して普和山と号し、悪疫退散・万民豊楽を祈念し、最上寺と称した。周囲の人々から深く信仰され、大変栄えた。しかし、室町時代に弘治の変(1556年)により堂宇は焼失、本尊と観世音菩薩のみが災禍を免れた。さらに廃仏毀釈でも寺領が没収されたが、第19世義嶽和尚の尽力もあり、1949年に観音堂を普和山山腹に起こし、1972年に本堂の再建を果たしたもの。

左右に仁王様の石像があり、その間を行くと、近所の人々が境内の掃除に励んでいる。ご挨拶をした後に正面の本堂に向かう。



本堂の左側には不動明王の石像、その前に小さな石像が奉納されている。本堂入口には大きな数珠が吊り下げられていて、数珠回しが行われるのだろう。下谷の英信寺でも見たことがあるが、玉が落ちるたびに大きな音がする。

本堂の中にはご本尊の不動明王坐像が安置され、荒々しい憤怒の表情ながら、我々の煩悩を怒りの形相と智慧の剣で消し去るご利益があり、たくさんの方の信仰を得ている。



お寺の方と『千葉県の札所は最初です』と話をすると、『ここはお隣の札所ともかなり離れていて不便なところ。次の33番の安房神社も36番の成田山新勝寺も遠いからね』ということであった。確かにどちらもかなり遠く、今回はこのお寺だけで東京に戻ることにした。

本堂の右手には当山開基の役行者を祀る神変堂。これは役行者が神変大菩薩と呼ばれているからそのように呼ばれている。



最後に本堂正面の大きな天狗の面を見て、参拝を終えました。




トマト鍋礼賛〜四谷・日がさ雨がさ

2025-02-20 05:00:00 | グルメ
四谷三丁目の駅から徒歩1分、ビルの7階にある『日がさ雨がさ』にはよく足を運ぶ。特に寒い季節は1シーズンに1回は行っているようである。銘酒居酒屋であるが、特にマスターの出身地である長野県のお酒が充実。いつもの面子でお邪魔した。

早めにスペシャル席を予約、6人まで入れる半個室で1つしかないが、落ち着くだけでなく、四谷三丁目交差点が見渡せ、夜景もいい。今回はコースに加えてプレミアム飲み放題(3500円)も付け、贅沢に楽しむ。

まずはグラスビールで乾杯。お通しはローストビーフサラダ、牛肉が美味い。

飲み放題のメニューをじっくり眺めていると『信州亀齢』(長野県上田市)を発見、すぐに注文する。飲み放題の極意というほどのこともないが、美味い酒・飲みたい酒は最初に頼みことにしている。



入手困難なお酒のため、注文は1回のみ。私も久しぶりだが、キレがいい飲みごたえのある酒である。一同感動。

刺身は信州サーモンと岩魚である。脂が乗っており、海のない長野県産とは思えない刺身、漬けるのも単なる醤油ではなく、もろみ醤油。甘みがあり、これだけでもつまみとなる。



サワラの味噌漬、同じ麹である味噌に漬けてあり、日本酒と相性がいい。合わせた酒は『水尾』(長野県飯山市)、コメが金紋錦。やや甘口ながらすっきりとしている。添えられている鞍掛豆もいい。



寒い冬にはとお燗をお願いする。『九郎右衛門』(長野県木曽郡)の純米酒、米はひとごこちである。濃密な旨みの後、酸が効いたしっかり系、出された焼き鳥と合わせた。





長野県だけでなく、他県の酒と『白露垂珠』(山形県)のうす濁り。透明な綺麗な瓶に入っていてフレッシュな爽やか系。珍味の粕漬けとイカのウニ和えをつまみながらゆっくり喉越しを楽しむ。



ここでメインの『トマト鍋』が登場。トマトはもちろん、ズッキーニ、ピーマン、じゃがいも、玉ねぎなどの野菜、豚肉、ソーセージ、さらにムール貝、ホタテ、エビなどの海鮮をトマト味のスープで頂く。

この店のトマト鍋の歴史は古く、今のような市民権を得る以前からの名物である。今回は4人で来たこともあり、量的にもちょうど良い。トマトのいい出汁が色々な具材を包み込み、冬にはもってこい(秋から冬の間の季節商品だが)である。最後にパスタをいれて出汁の一滴まで楽しんだ。



酒は『龍水泉』(長野県大町市)『鍋島』(佐賀県)御湖鶴(長野県諏訪市)笹の誉(長野県松本市)を頂く。もう飲み過ぎモード炸裂。



酔ったついでに別料金で『ソガベール』(長野県小布施町)を注文。やはりこれは特別であった。



最後にデザートには胡麻アイスを頂き終了、お開きとなった。いつもながら美味い酒と美味いツマミ、全員大満足、ごちそうさまでした。



日がさ雨がさ
新宿区四谷3ー9ー11四谷シンコービル7階
05055899017


『最後の新車』が納車されました

2025-02-19 05:00:00 | 日記
今まで乗っていたプリウスがついに13年となることから新車を購入することにした。しかし、前回購入時からかなり時間も経過。さらに新車選びの状況が大きく変わってしまっていた。

(スカイラインJAPAN)

私が免許を取得したのが21歳の頃、それから45年経過した。初めて買ったというか買ってもらったのが、日産のスカイライン(JAPAN)2000ccターボ。6気筒の力のあるエンジンで走りには問題なかった。ただ、夏のバッテリー上がりやパワーウインドウの故障など細かい問題はあったが。

(ローレル)

次いで義理の父から貰ったローレル2000GTメダリスト、これは10年落ちだったが、乗り心地は良かった。ただ、野晒しにしておいたため、最後はマフラーが外れるトラブルが発生、修理をしながらだましだまし乗っていた。スカイラインは1リットルで8km、ローレルは6kmしか走らない燃費も問題だった。



自分で一から探して買ったのは次のカルディナが最初である。実は当時トヨタのディーラーを新規で攻めていてトヨタに乗り換えた。1997年モデルチェンジ直後の2代目カルディナ、本当はマークIIが欲しかったのだが、当時の社宅の立体駐車場に入らずやむなくではあったが。従来の乗っていたセダンからステーションワゴンに変え、旅行の荷物の量を気にせず行けるようになり、燃費も1リットルで13kmとかなり良くなった。とにかく故障とは無縁の名車、単身赴任の相棒だった。

2012年3月に今のプリウスに乗換。カルディナが購入後に13年経過、毎年車検回避の必要(当時、今は毎年車検ではない)が出てきたことも買い替えの大きな理由である。同じタイミングで東日本大震災が発生、ハイブリッドカーの燃費の良さと税制優遇などの様々な環境がプリウスを選択させた。新車購入後に高速道路で1リットルあたり25kmも走るプリウスの魅力、走りの良さに満足している。


つまり21歳の時から乗換した車が4台、乗り潰しながら新しい車を買うサイクルとなっていた。ここで車を乗り換える最大の理由は年を重ね、私が車の運転が下手になったことを自覚し始めたからである。13年間のうちに車の安全性向上の技術革新が目覚ましく、夏の旅行の際にレンタカーを借りた際に安全装備、例えば右からの車の接近のセンサー、駐車サポートシステム、踏み間違え防止装置など驚くばかり、見た目はともかく、その性能の変わりようには驚いた。

購入を決めたのはアクア。他にも軽自動車やスズキカルタスも候補に挙げたが、①安全性から軽自動車には不安が払拭しきれないこと、②今乗っている車と運転の仕方が似た車が良かったことから昨年10月には決めざるをえなかった。幾らオーダーメイドに近いからといって納車を3月とすると10月までには注文しないと納車が間に合わないということである。半導体不足なのか、労働力不足なのかは分からないが新車事情は変わっていた。

納車をしてもらったのは日曜日10時、プリウスを走らせてディーラーまでの最後のドライブ、諸手続きを行ない、11時にはアクアに乗っていた。まずはガススタンドに給油に行ったのだが、プリウスとオイル口の位置などはほぼ同じ、あとはカーナビやスマホ連携をすれは良いのであった。

午後からは大宮八幡宮に新車安全祈願、ちょうど13年前にも同じ場所でお祓いをしたが、同様に安全運転を誓ってお祓いを終え、お札を頂いた。


アクアにあと10年乗ったら私ももう76歳、やはり『最後の新車』になるだろう。そう思うと何となく感慨深かった。


『久我山歳時記』(57)〜雨水の春の兆し

2025-02-18 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』(57)、前回の歳時記は1月19日の大寒、その後『立春』を越えていよいよ暦上での春とはなったが、かえって寒くなった日が続いた。

ようやくここ数日は日中は15℃ほどとかなり暖かい日もあり、いよいよ2月17日は『雨水』となる。

雨水とは『空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始める頃』を言う。また、雨水直前の朔日が旧正月(春節)であり、旧正月の日付を決める基準である。

七十二侯では『土脉潤起(つちのしょううるおいおこる・〜2月23日)』『霞始靆(かすみはじめてたなびく・〜2月28日)』、『草木萌動(そうもくめばえいずる・〜3月4日)』と大きく変わっていく時期なのである。土が雨により潤い、冬眠をしていた動物が起きる頃、霞やもやのため山野の風景が変わる頃、そして芽吹きが見られる頃を現している。



久我山界隈もようやく梅の花がほころび、花びらは白も紅も色が鮮やかになりつつある。最も早咲きの梅の木は倒れてしまったが、古木になっても花を付けるのが良いところ、いずれも可愛らしい。

京王電鉄の富士見ヶ丘検車区には野草が咲いているが、まだ土筆の姿は見ることが出来なかった。咲いていたのはかたばみの黄色の花とオオイヌフグリの青くて小さい花。
(カタパミ)

(オオイヌフグリ)
しかし、スズメノエンドウやホトケノザ、ノゲシも芽を出していてもう時期小さな花を付けるまできていた。

(スズメノエンドウ)


(ホトケノザ)


路地で咲いているのはスイセンとクリスマスローズ。白い花に続いて紫色の花も蕾が大きくなっていた。



ネコヤナギの仲間の芽は大きくなってきて、葉になるのももう時間の問題である。まだ、久我山けやき通りの欅は裸のままだが、芽吹きが始まると美しい季節が始まる。



ただ、そんな春の息吹も今日までで18日は寒波襲来。これを過ぎれば再び春への道を歩み、次の啓蟄(3月5日)となっていくのだろう。




『東海七福神と旧東海道を巡る』⑤〜鮫洲、立会川辺り

2025-02-17 05:00:00 | 宿場町
『東海七福神と旧東海道を巡る』⑤。再び旧東海道に戻り、先を急ぐ。青物横丁を越えると急に寂しくなってくる。

途中の都道420号線(通称環状6.5号線)を右に曲がると鮫洲運動公園、埋立地にある公園としては珍しく真ん中に小山が作られていて小さな子供から小学生程度の子供たちが盛んに遊んでいる。

他には鮫洲付近も白玉稲荷神社があるくらい。コンクリートの壁に囲まれたこじんまりとした稲荷社。元は清伝寺という廃仏毀釈で廃寺となったお寺の境内にあったが、この稲荷社のみが残っている。



青物横丁あたりまでは東海道と書いた街灯が左右にあったが、鮫洲に入るとこれもなくなる。普通の商店街同様の『鮫洲商店街』という暗い小さな街灯のみ、旧街道のイメージは全くなくなる。



街道から少し奥にあるのが『鮫洲八幡神社』、緑の屋根が路地の奥に一部見える。旧御林町の総鎮守で江戸時代に創建されたようである。1929年に合祀され、白山神社、稲荷・漁呉玉・厳島・鮫祠神社の末社も鎮座している。

ただ、それまでの観光仕様と違い、住民御用達の居酒屋や角打ち、町中華の店などが点在している。



立会川が近くなると街道沿いに古い商家が並んでいて、皆現役。店の前にAmazonの段ボールが積まれているのが今昔取り混ぜた風景でこれも面白い。



また、渋い大きめのお蕎麦屋『立会川吉田家』が出てくる。広めの駐車場も完備していて興味がある。ただ、この日は営業時間外で中に入ることは出来なかった。





立会川(河川)に架かる橋が浜川橋、別名なみだ橋である。涙橋と呼ばれているのは江戸時代にこの先にある鈴ヶ森刑場で処刑をされる罪人がはだか馬に乗せられ、江戸から護送された。その際に密かに親族がその姿を一目みんと見送りに来て、橋の袂で涙を流して見送ったことから付けられた悲しい歴史を持つ名前である。



橋を渡るとすぐ右手に鎮守天祖神社という石柱が現れた。ここに東海七福神6番目、福禄寿が祀られている。

参道を行くと『天祖諏訪神社』となる。天祖神社・諏訪神社は古くはそれぞれ神明宮・諏訪社と称していた。

ここはかつては東京湾に面していて、立会川を挟んで並び祀られていたのである。この2つの社を1965年に合祀したものである。(この地は元は天祖神社のあった場所である。)天祖神社は12世紀、諏訪神社は1631年頃の創建と言われている。(以下、次回)


備前府中焼きをアンテナショップで頂く

2025-02-16 05:00:00 | グルメ
『備後府中市』と言っても正確な場所がわかる人は中々いない。

広島県東部、尾道市と福山市の北側に隣接する内陸部にある自治体で神田小川町にアンテナショップを開いている。

私はアンテナショップの中にあるnekiという店で食べさせてくれる『備前府中焼き』と名付けられたお好み焼きが好物である。

広島お好み焼きの一形態と言ってしまうとその通りだが、薄い生地の上にこれでもかという程の千切りキャベツを乗せ、さらにミンチ肉や玉子、ネギなどを飾り、さらに焼きそばを乗せ、生地を少々ひっくり返して焼きそばがカリカリに焼くお好み焼きである。広島風お好み焼きはよく食べるが、こちらのは厚みがあまりなく、ソースの味もあるかも知れないがややあっさりとしている。

夜の部に来るのは初めてだが、6人ほど入れるテーブルはほぼ予約済、私は入口横の2人席に案内された。



まずはつまみとメニューを見ると『とん平焼き』『鶏皮焼き』『ホルモン焼き』など色々あるが、さっぱりと『せせり焼き』(880円)を注文。タレと大葉塩があるが、タレにした。飲み物はグラスビール、こちらはすぐに到着。

ボーとテレビのニュースを見ていたらその日の昼に食べに行った『わかい』という家族経営でやっているラーメン屋さんの取材をしたグルメレポートをやっていてびっくりする。

その間にせせり焼き到着、せせりを焼いてタレをかけたもの。下に敷いたキャベツと共に食べるが、いい味付けでビールを飲み干した。



お好み焼きは悩んだが、『あぶりねぎマヨ焼き』(1430円)にした。飲み物は『瀬戸内レモンハイボール』、レモンが爽やかでついつい飲んでしまう。

お好み焼きは少し時間がかかるため、最初に頼んだが、いいタイミングてわ焼き上がる。鉄板に乗って供されたが、かなり熱々。

ヘラで周りから切り、少しずつ頂く。味はたっぷりのキャベツのおかげでさっぱり、上に乗った焼きそばがカリカリ、さらに焦がしマヨネーズも香ばしい。ハイボールとの相性も抜群。

半分くらい食べてから一味を振って味変する。

一味唐辛子で辛くするのが広島風、さらに食欲も増し、もちろん完食。わざわざ食べに来る価値のあるお好み焼きである。ご馳走さまでした。

広島県府中市アンテナショップNEKI
千代田区神田小川町1ー3ー1
0368117980


『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』②

2025-02-15 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その259。『東京メトロスタンプラリー〜20年ありがとう』②。茗荷谷駅から丸の内線で池袋駅に出て、有楽町線に乗換駅東池袋駅に向かう。


有楽町線への乗換えは一旦改札口を出て東武東上線の方に行く。通路が増えたこともあり、乗換えはスムーズ。東池袋駅は2つ改札口があるが、ほぼその中間にスタンプ台は置かれていた。



スタンプのデザインは7000系、有楽町線は1974年10月30日に開業、当時は池袋〜銀座一丁目間であった。私の自宅は護国寺駅から5分のところにあったため、この開業で飛躍的に便利になったことを覚えている。



この7000系は開業と同時に共用された新型車両で有楽町線のカラーであるゴールドが使われていて2022年4月まで使われていた。当時は6000系の千代田線車両、7000系の有楽町線車両、8000系の半蔵門線車両がフォルムがよく似ており、ただ地下鉄のラインカラーを見れば一目でどの線か分かったことを思い出す。

次はそのまま25分有楽町線に乗り続けて豊洲駅で下車する。1988年に有楽町線が新富町〜新木場の延伸を果たした際に開業、2000年頃は年間利用者が5万人程度であったが、2006年頃より急に増加、現在では20万人が利用する駅となった。

この利用客増加に伴い、ホームが手狭となったため、本来は折り返しを想定した2線4ホームであった構造を2、3番線の使用を停止、実質的にホームとして利用している。

スタンプのデザインは有楽町線10000系車両である。元は2008年開業の副都心線運行増に対応すべく作られた車両で、最初に有楽町線に投入、その後副都心線にも使われている。

有楽町線では全て10両編成(副都心線などは一部8両編成で利用)で運行されている。そのため、有楽町線のカラーであるゴールドは使われず、副都心線のブラウンを採用している。なお、2007年度グッドデザイン賞を受賞している。(以下、次回)

来福亭〜老舗洋食屋さんの2階でオムライスを頂く

2025-02-14 05:00:00 | グルメ
春節の影響でもないが、人形町のランチの混み具合が激しい。いろいろな店を巡っているが、11時半オープンのタイミングでも列ができている店が増えていて中々入れない。ところが、今日に限って『来福亭』の前に人がいない。

このお店は創業1904年だからかれこれ120年以上に歴史のある洋食屋さん。かと言って敷居が高い店ではなく、お店の方もフランク。最近立て直したH亭のようにランチの値段とは思えないなんということもない。料理でも一番高いポークソテーが1400円、カキライス(フライ)やホタテライス(フライ)も1300円と庶民派である。

11時半の開店時間は過ぎているのを確認、引き戸を開けると1階は2組いて満席、しかし、お姉さんに『おひとり様ですか、2階左側のお部屋にどうぞ』と言われて靴を脱いで友達の下宿のような階段を上がると6畳と8畳の和室が2間、まだ誰もいない。



言われた通りに左側の6畳の方に行き、奥に腰掛ける。畳敷に座布団で足にきそうと思ったが、後ろに壁もあり、まあ何とかなりそうである。

机の上にはメニュー、調味料はウスターソース、溶き辛子、塩胡椒、爪楊枝が乗っているのみ。すぐに先ほどのお姉さんが階段を上がり、お茶を持って来てくれる。
すぐに『オムライスと小メンチカツ』(1100円)をお願いした。



お姉さんが階下に降りると部屋はガランとして1人だけ取り残された感が漂う。しかし、5分ほどで2人客が階段を登って来てもう一つの8畳へ。2人はかなり悩んでいたが、ポークソテーライスを注文。静かだから聞き耳を立てずとも聞こえてしまう。さらにお爺さんが1人、彼も8畳の部屋に入り、ポークソテーを注文。

待つことしばし、私の注文の品が到着。ワンプレートにオムライスと小メンチカツが乗っている。お姉さんが『ウスターソース、辛子がありますのでお使い下さい』と教えてくれた。

まずは調味料を準備、さらにオムライスを2つに割るとうまそうなケチャップライス。具は玉ねぎ、マッシュルーム、グリンピース、鶏肉とオーソドクス。

やや米が柔らかめではあるが、懐かしの昭和レトロ。いや、明治レトロかもしれない味、こういう味は昔から皆んなすきなんだなあ。もちろん私も大好きである。

作りたてだから熱い、少しずつ崩しながら頂く。鶏を中心に具材も多い。

メンチカツはウスターソースがよく合う。少量の刻みキャベツを大切に頂きながら、メンチカツを一口。初めから3つに切り分けてあり、食べやすい。中々肉肉しく、しっかりしていて美味い。

昔、この部屋でどんな会話が交わされたのだろうか。芸者といい仲になった成金が洋食をご馳走すると言った風情も感じられる2階だった。何しろ狭い店だから入れたらラッキー、でも前回頂いたカツ丼、今回のオムライス、いずれも一級品の味であった。ご馳走様でした。



来福亭
中央区日本橋人形町1ー17ー10
0336663895

東海七福神と旧東海道を巡る④

2025-02-13 05:00:00 | 宿場町
『東海七福神と旧東海道を巡る』④、小学校を過ぎると右手に諏訪神社が現れた。由緒によると天妙国寺の開基・天目が信州諏訪神社に勧進し、13世紀に創建されたと言われている。旧東海道からは細い参道を歩くと現れた。



この辺りが青物横丁、元は南品川宿から池上道に続く横町で妙国寺の門前町であった。

江戸時代から大きな八百屋が軒を連ね、俗称『青物横町』、その後1878年に品川青物市場として認可された。駅の名前と町の名前が違うが、開業時(1904年)は青物横町駅であった。



ちなみに今の駅名となった時期はわからないが、横丁とつく駅名は日本唯一である。街には昔のイラストなども飾られていて、駅が愛されているのがよく分かる。



品川寺(ほんせんじ)は東海七福神の毘沙門天、さらに門前にある大きな地蔵菩薩は江戸六地蔵の第一番にあたる。立派な山門手前に大きな地蔵菩薩銅像が鎮座していてこれは1708年に作られたものである。



大きなイチョウの木、さらに境内の左側には七福神が飾られていて住職に『こちらは布袋様ですか』と聞いたら、『いや毘沙門天でこちらにあります』と言われた。ただ、普段は本堂に安置されているが、1月はこちらに移されるとのこと。



梵鐘は四代将軍家綱の寄進とされているが、幕末に海外流出し、バリ万博やウィーン万博に展示されていた。しかし不明になり、1919年にスイスジュネーブ市のアリアナ美術館に所属されていることがわかり、交渉の結果、1930年に返還された。その後も品川区とジュネーブ市の交流は続き、友好都市となっている。

門前、出たところに釜屋跡がある。品川宿は旅立つ人を送りに来る人が宴席をしたり、参勤交代の大名が旅装束から江戸屋敷に入る支度をするなどを行う茶屋が賑わった。品川寺の前の釜屋は幕府御用宿として多くの幕臣が利用した記録も残されている。(以下、次回)




とりカツ丼次郎〜人形町ランチグルメ

2025-02-12 05:00:00 | グルメ
寒い日が続いている。ランチに行こうと外に出ると思いの外寒い。こういう日は暖かくなるもの→担々麺と安直に考えた。ただ、少し時間が早かったので少し離れた店を目指す。

『天秤棒』は今までに1回だけお邪魔したことがあるが、開店直後ということもあり、落ち着いたかな?と思い5分ほど歩いて行く。実はこの店の前は『丈参』という好みの焼き鳥屋で特にシロモツが美味かったのである。

しかし、店に着くと様子が違う。『天秤棒』という看板の下に『とりかつ丼次郎』という垂れ幕、潰れたかな?と思ったが、取り敢えず入店してみた。



すると鳥カツ丼単品勝負の店になっていて、シングル(カツ4枚)1200円を注文した。店は居抜きで全く変わっていないが、先客はおじさん1人。寂しい感じ、店の人も若い女性が手持ち無沙汰そうに接客している。



待つこと7分ほど、私しか客がいない割には時間がかかる。出でくる丼は蓋が直立のままサーブされる。

中身は鳥カツが4枚並び上に卵黄、タルタルソースが囲んでいてレモンが添えてある。レモンを絞り食べるが、ややこしくなりそうなので卵黄をまず潰し、カツの上に掛ける。カツの下にはキャベツの千切り、ジャンクな鳥カツ丼である。

味はレモンの酸味がよく効いており、またササミカツのため、かなりあっさりとしている。カツを齧りながらご飯を木の匙で掬い、食べる。予想通りの味だが、悪くもない。きゅうりの漬物も添えられている。



汁物はわかめスープ、少し胡椒を掛けるなり、胡椒挽きを置くなり工夫が欲しい。味は普通であった。

ご飯の量からするとカツはこれで十分、ただ味変させるようか調味料を置いてもいいかな。店の女性に聞くとこの店は昨年10月に業態変更をしたが、運営は元の会社のまま、ランチのみがとりカツ丼、夜は中華料理を出しているとのこと。

なるほど、天秤棒の看板もあながち嘘ではないようだ。ご馳走さまでした。

とりカツ丼次郎
中央区日本橋人形町2ー5ー11
0338086505