『東京の坂、日本の坂』その163。
成城の坂道巡り③。どんぐり坂の上は崖線の上にあたる通りで再び両側に高級住宅地が広がっている。左に曲がり、しばらく行くと成城3丁目緑地に出る。
その手前の道を直角に右に曲がる細い坂道があるが、これが『お茶屋坂』。この風流な名前は江戸時代初期にこの辺りを納めていた喜多見重勝がここに茶室を作ったことから名付けられたと言われている。
お茶屋坂は細く自動車はとても通れないまっすぐな坂道、ただ途中からは少し太くなる。ところで成城地区を歩いていると玄関先に『無事OK』の緑のサインが出ていることに気づいた。
調べてみると、自治会による安否訓練の一環で毎年9月1日と3月11日に『無事OK』『助けてSOS』のいずれかのサインを掲示することになっている。もちろん今回の散歩で赤色の『助けてSOS』のサインが出ている家はなかったのではあるが。
再び坂上まで戻り、緑地の中に入る。もう9月だが、まだまだ蝉の声が煩い。緑地の中央部に到着すると降りていく坂道を発見、これが『へび坂』である。由来は多分ヘビが出てきそうな鬱蒼とした藪の中にあるから、または坂道が左右にはうねりながら降っていくからのいずれかであろう。
それにしてもこの辺りは『緑地』が多い。この『成城3丁目緑地』は元々公務員宿舎があった場所を払い下げ、地元住民が作り上げ、また、管理している森であるが、その規模には驚かされる。
少し戻り、坂道が二又に分かれたところを右手に曲がる。すると一般道になり、成城通りにぶつかる。
成城通りが『病院坂』と呼ばれているが、これは明治末期から戦前にかけて坂上に伝染病の隔離病棟があったためと言われている。因みに横溝正史の『病院坂の首括りの家』のモデルはここではなく、港区にある魚藍坂である。
ここからの上りは緩い坂だが、この辺りから弧を描きながら勾配もキツくなる。右側には先ほどの緑地が続き、坂を降り切ったところが交差点となっている。歩道も狭く、少年が自転車で苦労しながら登ってきたので思わず道を譲った。
成城にはまだまだ坂道があり、坂を巡ると二子玉川あたりまで行くことができる。しかし、まだまだ暑く、さらに次の坂までかなり距離もあることから、今回はここで一旦終わらせ、バスで成城学園前駅に向かうことにした。