『夏旅2024』⑧、聖林寺を後に談山神社に向かう。談山神社は多武峰の中腹に位置し、藤原鎌足を祀っており、また、神社本殿裏山で行われた蹴鞠の会で中大兄皇子と藤原鎌足が大化の改新のことを諮り、645年飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を討ち、中央統一国家成立という歴史的偉業がなされた事でも有名である。
とはいえ、山に築かれた神社は階段状に建物が立ち、入山料を支払うと石段が聳える。まずは階段を登り、左にらくらくコースとあるため、左に曲がる。
すると神廟拝所(重文)、この横にけまりの庭がある。ここで1600年前に蹴鞠の会が行われたのである。もう一つの受付の前を通り、末社・総本廟、総社拝殿(重文)に着く。
少し階段を登り、最も高いところにある本殿、拝殿に辿り着く。広々としたスペース、ここからの眺めは素晴らしい。
次にお隣にある十三重塔(重文)は鎌足の長子・定慧和尚が鎌足の供養のために678年に建立した塔婆。今のものは1532年に再建されたものである。木造十三重塔は世界で唯一のものである。
歴史的な出来事があった場所をゆっくり登りながら見ることができた。特に十三重塔は造りが素晴らしく、これを飛鳥時代に作ったとは、その技術力に感動する。ただ、35℃の中、参拝者は殆どおらず、やはり紅葉の頃に来るといいのだろう。
談山神社から明日香村までの県道は以前来た頃にはできておらず、このルートを使うには徒歩しかなかったが、2009年に県道155号線が開通し、回遊できるようになった。
石舞台古墳に向かう。大化の改新で滅ぼされた蘇我氏の馬子の墓ではないかと伝わる。30年前に訪れた時とは様変わり、立派な施設となっていた。7世紀前半に築かれた一辺50mの方墳または上円下方墳と考えられ、上に被せてあった土が失われ、巨大な石室が剥き出しとなっている。
石は総重量2300tもあり、大小30個の花崗岩を3段積みにした玄室は長さ7.3m×幅3.4m×高さ4.8mという巨大なもの。
ただ、前回訪れた時には私が古墳の知識がなく、とにかく石をどのように組み上げたかのみに興味を持ったのだが、巨大古墳にはこうした石室が備えられ、ただ、覆った土が何らかの理由で失われたということに初めて気付かされた。
史跡入口の解説板は実にわかりやすく、ためになった。せっかく明日香村まで来たのだから高松塚古墳を始め、見たい史跡は多くあったが、早めに宿に入るべく、後ろ髪を引かれる思いで奈良市に向かった。(以下、次回)