暮れの浅草に来年の干支の手拭いを買いに来た。浅草観音横にあるふじ屋さんに翌年の手拭いを買うのが恒例となっている。
都営地下鉄浅草駅下車、そこから雷門まで行き、仲見世通りを歩く。既によく分かっていることだが、とにかくインバウンド客と修学旅行生で溢れかえっている。
仲見世は以前お土産を売る店が大勢だったが、最近は食べながら歩けるいちご飴やメロンパン、吉備団子、カップに入ったソフトクリームなどを商う店が増えてきている。もちろん、昔からある雷おこし、人形焼、揚げまんじゅう、切山椒なども今もあるが。
仲見世は雷門近くは細く、徐々に広くなるのだが、伝法院通りと交差するあたりまでは混み合って動きが取れない。その先は流石に動きが取れるようになった。それにしても和服の若い女性を多いと思ったが、よく見ると殆どが中国人女性。レンタルの着物を着て歩くのが流行っているようだ。
宝蔵門には小舟町の大提灯、参道には3つの大提灯があるが、それぞれに特徴がある。裏に回ると仁王様の大きな草鞋が2つ、奉納しているのは山形県村山市、10年ごとに新しいものに取り替えられる。この草鞋は45mもある。この辺りからは左側に五重塔、前には本堂が見えてくる。
本堂手前にはお守りやおみくじを売る授与所が多く設けられているが、それぞれに参拝する人でいっぱい。特にインバウンドの方々にはおみくじは人気がある様子、ここのおみくじは凶や大凶が多いことは知っているのだろうか。
本殿の階段を登るが、入口に賽銭箱が置いてあるため、ここで賽銭を投げ、中に入らず帰る人が多い。せっかくならば中に入り、観音様に手を合わせた方がいいのだが。それでも知らないことは色々、例えば本堂の天井には立派な絵が描かれていた。何度も足を運んでいながら初めてじっくりと見たのである。私も参拝をするが、何と柏手を打つ人が多いことか。ここはお寺であり、神社ではない。
無事参拝をして本堂を後に左にある二尊仏の方に行く。二尊仏は1687年に上野国館林大久保村の高瀬善兵衞という人が願主になり勢至菩薩と観音菩薩を造立したもので濡れ仏と言われている。
その先を右に曲がると『ふじ屋』さんが出てくる。手染め手拭いの老舗で毎年末に翌年の干支に因んだ新柄を2枚作る。来年は乙巳(きのとみ)のため、蛇の図柄かと思ったが、横の手拭いは江戸の街に巳と書いた凧が上がったデザイン。(赤で囲んだもの)
縦型は和服の人が巳巳巳と書かれた扇を持った図案となっている。悩んだ挙句、横型を購入した。店の人に『干支の手拭いには蛇が描かれているかと思っていたけど、両方とも字で巳と書いたのですね』と聞くと『蛇は縁起がいいとはいいますが、絵柄にするとやはり気持ちが悪いのでこうなったみたいですよ』と教えてくれた。
初めてこの手拭いを買ったのが未年(前々回)なので22年も前のこと、光陰矢の如しである。