『創業の地を歩く』その6。今回は水道橋から神保町方面に歩きながら創業の地を探して行くことにしたい。
水道橋駅近くのガードを越え、東洋高校を左に曲がると小栗坂がある。小栗坂は江戸時代にはこの奥に小栗家という旗本の屋敷があったことに因む。
坂を下ると二又になるが、左側の道を歩くと旧明治大学明治高校のグラウンドのところに『東京音楽大学発祥の地』の石碑がある。明治40年(1907年)東京音楽大学の前身である東洋音楽学校がこの地で生まれたとある。日本の私立音楽大学では最古で、卒業生には淡谷のりこ、黒柳徹子、船村徹などの錚々たる人たちがいる。
旧明治大学明治高校の脇を通り、78段の急な階段坂である男坂を登る。関東大震災の復興事業で新たに2つの坂道(階段)ができたが、傾斜が厳しい方を男坂と名づけただけで別に神社があるわけではない。
坂の頂上を右に曲ると左側にクラシックな建物が出てくる。これが文化学院の発祥の地、今はBS放送局が入っている。文化学院は1921年に西村伊作により作られた『学校令に縛られない自由な学校』として設立、与謝野晶子や石井柏亭などが賛同した。
このアーチ型の校舎ができたのは1936年、軍部から目をつけられ、西村伊作は投獄、また連合国の捕虜収容所とされたが、それゆえに空襲を免れた。モダンな校風で芸術を教えていた学校だったが、惜しまれながら2018年に閉校してしまった。今もその建物は残されている。
真っ直ぐ歩き、広い通りを渡ると杏雲堂病院が出てくるが、その前には『法政大学発祥の地』の石碑。
石碑によると『法政大学の前身である東京法学社は1880年にこの地に設立。翌年には東京法学社の講法局が独立して東京法律学校となり、フランス人法学者ボアソナード博士による講義が始まった。その後、和仏法律学校を経て1903年に法政大学と改称された』とある。それにしても明治大学本部校舎の真ん前が法政大学の発祥の地とは思わなかった。(以下、次回)