プロレスを語るのはむずかしい。賞揚してもくさしても批判をあびるにきまっているのだ。プロレスこそ最強の格闘技だと固く信じている人もいれば、単なる出来レースになにを興奮している、と冷たく突きはなす人もいる。折衷案として虚実皮膜の間に「味」をもとめる“プロレスの味方”もインテリには多い。いずれにしろ、お前のプロレスに対するスタンスはどんなものなのか、を明確にしないと語る資格すらない雰囲気がある。要するに宗教に近いわけ。その宗教の善くも悪しくも“教祖様”は文句なくアントニオ猪木。文藝春秋の編集者だった柳澤が著したこの本は、1976年に行われた猪木の四つの試合が、なにゆえに陰惨な結果を招いたかを描いている。
その四試合とは……
①2月6日、日本武道館におけるウィリアム・ルスカ戦
②6月26日、同じく日本武道館におけるモハメッド・アリ戦
③10月9日、韓国テグで行われたパク・ソンナン戦
④12月12日、パキスタンのカラチ・ナショナル・スタジアムのアクラム・ペールワン戦
……である。
①はいわゆる異種格闘技戦のはしり。アントン・ヘーシンクとオランダ柔道界で確執があったルスカ(妻がオランダ政府公認の売春婦であったことで差別されていた)に、猪木はバックドロップ三連発でTKO勝ちする。
②はいうまでもなく“世紀の凡戦”として今でも語られる一戦。猪木はマットにあお向けになり、アリはそのまわりを“蝶のように舞い”ながら、お互いが「カモーン!」と挑発しあう。異種格闘技である以上、猪木は寝技に、アリは殴り合いに持ち込みたかった結果だ。
③はアリ戦で自分をランクアップさせたと信じる(と同時にアリ戦で多大な借金を背負った)猪木が、韓国プロレスのスターだったパクを、掟破りにも敵地で(目に指を入れてまで)破ってしまった試合。観客もプロモーターも殺気立ち、猪木はほとんど逃げるようにして帰国している。
④は、パキスタンの人気レスラー一族のペールワンに、ダブル・リストロックを“遠慮なしに”決め、左肩を脱臼させ、靱帯も損傷させて試合続行不可能となり……
……わたしはこの四試合をまったく見ていない。①③④はともかく、猪木VSアリ戦をわたしの世代で見ていないのはめずらしいと思う。実は中継のときにやくざ映画を観ており、映画館のもぎりに置いてあったテレビで、あ、今やってるんだと気づいたぐらい。なぜ観なかったというと……以下次号。