いや、あの、勇気をふりしぼって告白しますが、わたしリチャード・ギアの大ファンなのです。スクリーンに彼がいるだけでどんな凡作でも満足。
たとえば「愛と青春の旅立ち」なんていうクソ映画でも、まあギアがやっていることだから仕方がないか、なんて思ってしまう。わたしにとって、まさしくスターだ。
ジョン・パーカーが著した「リチャード・ギア~Mr.セクシーの真実と嘘」(ゴシップを中心に映画史を読み解いている。下品だが、これは手法としてありだと思う)を読むと、しかし彼の遍歴がおよそ順風満帆ではなかったことがわかる。
だいたい、彼のデビューにしても業界ではさめた目で見られていたのだ。
プロデューサーのトレヴァー・ウォレスはこう語っている。
「当時(70年代後半から80年代前半にかけて)はハリウッドをあげて、新しい男優を探している時期だった。
誰かいないかとあたりを見回してみても、若手スターは片手で数えられる程度しか見当たらなかった。ポール・ニューマンは五十歳を優に過ぎてたし、ロバート・レッドフォードは四十過ぎで、監督業のほうに色気があった。バート・レイノルズも同じだ。
ダスティン・ホフマンは四十歳になったばかりだが、セックス・シンボルといったタイプじゃない。クリント・イーストウッドは五十に手が届くところで、監督業とどっちつかずの状態だった。デ・ニーロやパチーノは重厚でシリアスな作品ばかりえり好みしている上に、仕事で組む相手にもうるさい。
クリストファー・リーブは『スーパーマン』シリーズにかかりきりだし、ニック・ノルティは低迷したまま。となるとジャック・ニコルソンしかいない。彼は達者な役者だが、やはり四十歳を超えている。まあ、考えてみてくれ。ハリウッドはいついかなる時でも十本あまりの作品が同時に製作されてるとする。セクシーで、若いスターの需要は変わらないのに、全作品に行き渡るほど人材がない。トラヴォルタやギアは、映画史におけるまさにそんな時代に居合わせて、重宝されたんだ。」
その後、大コケが続いて“過去の人”あつかいされたギアが、一発大逆転を果たしたのがあの「プリティ・ウーマン」。以降は大化けをするでもなく、フェイドアウトするでもなく、安定した履歴になっている。ファンとしてはもっとも理想的な展開。ダライ=ラマに傾倒して反中国の立場をあからさまにしているのも心情的に納得できる。
世界一のスーパーモデル、シンディ・クロフォードと結婚(後に離婚)していたのに、なぜか常にゲイの噂が絶えないあたりは、松平健と大地真央のカップルに似た事情かもしれない。若い頃すぐ脱ぐ役ばっかりだった影響もあるらしい。
まあ、わたしはあの高貴なルックス(ほんとうに美しいと思う)が健在なら、ゲイでもなんでもいいんですけどね。インド人 ?ほっとけ!