この深夜芸人を、お昼の帯番組に、しかもMANZAIブームの終焉によってみんなが視聴習慣を失いつつあった「笑ってる場合ですよ」の後番組に起用しようと考えた人間は、よほどの慧眼の士か、あるいはどうでもいいやと開き直ったかだろう。およそ成功するとは思えなかった「森田一義アワー 笑っていいとも!」は、しかし現在もなお続く大ヒット番組となった。
この成功の要因については、思い当たるふしがある。おそらく森田一義は、タモリとしてのギトギトの深夜芸に自分で見切りをつけ、自分らしさを消していこうとどこかで切り換えたのではないか。若い頃の森繁そっくりな風貌と存在感から、味のあるバイプレーヤーに進む道もあったかもしれない。でもタレントのくせに「自分の色を消す」という選択をするあたり、なみのクレバーさではない。
「友だちの輪」やさんまとのからみに顕著だが、主張の強い相手をいなすことに活路を見いだし、「ただいるだけ」の存在の凄みは「後世に評価されたい」欲望をかけらも感じさせない。「アーティストを緊張させたくないから」と意図的にテンションを下げているミュージックステーションや、司会者に冷水を浴びせる発言ばかりしているトリビアの泉などをよーく見てほしい。タモリ自身が、およそ何もしていないことがわかる。保険の営業マンだった時代に職場結婚した奥さんを表にいっさい出さず(フェイ・ダナウェイ似なのだそうだ。見たい)、スキャンダルの匂いもしない。子どもの頃に事故で失った片目の視力を考えてみよう。おそらくはテレビにもっとも露出している身障者にもかかわらず、そのことをわたしたちは意識することすら忘れている。存在することの不自然さをも消し去った、やはり、特異なタレントと言えるだろうか。
その意味で、オールナイトニッポンで彼が語っていたなかに、思い出される話がある。
「ブランデーとかコニャックとかって、そりゃあ美味いよ。美味いけど、いつも飲もうとは思わないだろ?でもウィスキーはなんでいつも飲むかっていったら、あれ、まずいからだよねえ(笑)」
次回は最終回、ビートたけし篇。