「ブラッド・ダイヤモンド」を語るときに、まず前提にしなければならない映画がある。「ナイロビの蜂」(’05 The Constant Gardener)だ。ジョン・ル・カレの原作は読んでいないけれど、前作「シティ・オブ・ゴッド」(03年のわたしのベストワンです)の監督フェルナンド・メイレレスは、原作とはずいぶんと肌合いの違う作品にしあげたのだと思う。ブラジル版深作欣二、と勝手に名づけたメイレレスは、「シティ~」と同じように時制を自在にあやつりながら、今度はアフリカの現状と西欧の暴虐をあばいてみせる。アフリカの混乱(エイズ、貧困、部族対立)の陰に、アフリカを食いものにする資本の力があることを怒りをこめてスクリーンにたたきつけているのだ。庭いじりにしか興味のない夫(レイフ・ファインズ)が、妻のやりたかったことを完遂してみせる意地の物語。妻を演ずるレイチェル・ワイズがあいかわらず盛大に脱いでくれているだけでもうれしいが(「レニングラード」のあのお尻は健在でした)、アフリカの風景そのものがもつ力がすごい。
そして「ブラッド・ダイヤモンド」も、同様に“告発”の映画だ。シオラレオネの内戦において、紛争ダイヤと呼ばれる存在が“内戦が終わってもらっては困る”宝石業界の意向とあいまってアフリカを疲弊させていることと、次々と死んでいく人民と革命の名のもとに洗脳されていく少年兵たちを生み出すものが、『給料の三ヶ月分を支払って美しい宝石を身につけたい』とする先進諸国の国民の無邪気な欲望なのだと告げている。
両作品とも、その贖罪のためか、主人公の白人男性はアフリカに殉ずる。穏やかな表情で死にゆく彼らの痛みこそ、わたしたちに向けられたナイフの切っ先だ。
三十才をこえたレオナルド・ディカプリオが意外なほどいい。彼が画面にいるだけでドラマがはずんでいる。「タイタニック」以降、どこが“うまい”役者なのかなあと思っていたけれど、ちょっと見直しました。ジャーナリストを演ずるジェニファー・コネリーとの、こんな会話がちゃんと納得できるのだ。
「あなた、密輸業者じゃない?」
「どうしてそう思う?」
「ユニセフ、ってタイプじゃないもの」